Sideスル:誰も気づかない

 深い深い峡谷。

 夜の闇にまぎれるように、暗黒の神殿は存在した。


 自由都市地方には、灰色の地点グレースポットと呼ばれる場所がたくさんある。

 人が寄りつかない沼地。未踏の大地。法の目が届かぬ場所。そうして灰色と灰色が重なりあえば暗黒が生まれる。


 そういった場所に魔性は棲みつくのだ。


 悪魔族スル=スメラギは、暗黒の神殿を歩いていた。

 石造りの長い廊下の両端にはうす紫の炎が灯っている。おぞましくも荘厳な彫像がいくつも並んでいた。


 彫像は魔王ヴァルボロスを象ったもの。

 いくつも姿があるのは、魔王には第二第三と複数の形態があるらしい。


 異形の王と呼べる姿に、彫像だとわかっていてもスルの背筋が凍りついた。


(ぜったいに滅びることのない不死の魔王か……)


 この世に闇があるかぎり滅びることない魔性。

 魔王ヴァルボロスこそが、スルの主人だった。

 

 ヒリついた空気から逃れるように深呼吸する。


(ふう……まさか目当ての人物とばったり出くわすわとね)


 特徴があまりにもモブっぽいとは聞いていたが、本当にモブっぽいとは思わなかった。

 あんなにもモブっぽい人間がいるなんて、とスルは苦笑する。


 しっかり意識していないと顔を忘れてしまいそうな彼の姿を思い浮かべながら、長い廊下を歩きつづける。

 すると、重厚な両扉があらわれた。


「――三邪王様、スルがまいりました」


 スルがそう告げると、扉は重たい音を立ててひらいていく。魂すら凍てつかせるような魔性の霧が床下から伸びてきた。


 スルは背筋を伸ばして、ゆっくりと広間に入る。


 おどろおどろしい邪王の間には、天井に届くほどの長椅子が三つあった。

 長椅子には、ローブをまとった魔性の者がそれぞれ座っている。


(うっ……視線だけで気絶しそう……。なんて強い魔性なんだ……)


 スルは忠実なるしもべの表情で歩いていき、彼らの前で膝をつく。

 ローブのしたで魔性たちが邪悪にほくそ笑む。


「愛しい愛しいスル……。今夜はどんなふうに私たちを喜ばせてくれるのかい?」


 中央の魔性がねっとりと囁いた。


 邪王チュウオウ。

 魔王ヴァルボロスの忠実なる部下で、その魔力は魔王に匹敵すると言われている。

 300年前の大戦時、この大地で悪逆非道の限りをつくし、すべての生命から恐れられていた存在だ。


 スルがこうべを下げたままでいると、右側の魔性が叫ぶ。


「スル! てめぇ! くだらねえ情報をもってきやがったらただじゃおかねぇぞ‼」


 邪王ウオウ。

 魔王ヴァルボロスの忠実なる部下で、その力は魔王に匹敵すると言われている。

 300年前の大戦時、この大地であまたの戦士を倒しつづけ、無数の戦場をきずきあげた恐るべき存在だ。


 荒々しい声をスルが黙って受け止めていると、左側の魔性がつぶやく。


「だ、だめだよ……だーめだめ……。スルは貴重な貴重な僕たちのしもべ……。優しく丁重に扱って……。だめだったときは厳しくお仕置きしてやらなきゃね……くひひひ!」


 邪王サオウ。

 魔王ヴァルボロスの忠実なる部下で、その技は魔王に匹敵すると言われている。

 300年前の大戦時、この大地を暗黒に染めあげた者であり、彼の創りだす迷宮は難攻不落とも呼ばれていた。


 邪王チュウオウ。邪王ウオウ。邪王サオウ。

 魔王ヴァルボロスに仕えていた三邪王がスルを見つめる。褐色の少女はこのまま闇に溶かされるのでは思った。


 身動きできないスルに、邪王チュウオウが甘い声でささやく。


「こらこら……愛しいスルが怯えているじゃあないか。……スル、なーんにも怖がることはないよ。私たちは君を大事な大事な……とても大事な仲間だと思っている。さあ、有益な情報を持ってきたのはわかっているんだ。教えておくれ」


 邪王チュウオウの声は穏やかだが、感情がない。

 ここでつまらない情報を伝えれば、死より恐ろしい折檻が待っているのはスルにわかっていた。


「三邪王様、例の者と接触しました」


 スルは静かに顔をあげた。

 ローブで表情は見えないが、彼らが歓喜で口元を歪めたのが少女に伝わる。


「クハハッ! そうかそうか! さすがスルだな‼」

「くひひ……仕事がはやいねえ……。さすが人類の裏切り者の悪魔族だ……」


 手のひらをかえした邪王ウオウとサオウに、スルは嬉しそうに微笑んで見せる。

 邪王チュウオウはねっとりとした視線を送ってきた。


「愛しいスル。の者はどうであったか?」

「……とてもモブっぽい男でした」

「腕に覚えがあるかのように見えたかい?」

「見えません。むしろすごく弱そうで……。それに黒銀の剣と聖鉄の鎧をわざわざ手放して、オンボロ装備を喜ぶ珍妙な人間でした」


 邪王ウオウが「んだそりゃ! 物の価値がわからねー馬鹿かよ!」と爆笑していた。

 邪王チュウオウが満足げに微笑む。


「ふむ。それでは私の眷属が調べたとおり、王都に封印されていた魔王様は本当にだったようだね」


 邪王サオウが悲しげにつぶやく。


「くひっ……魔王様……。僕たちにそんな大事なことを教えてくれないなんて……」

「仕方あるまい。私たちは忌々しきダン=リューゲルの手によって滅ぼされた。魔王様のお力により死は免れたが……。復活して、こうして力を取りもどすのにずいぶんと時間がかかってしまったしね」


 邪王チュウオウの背後の景色がゆがむ。

 勇者に滅ぼされたことを思い出したのか禍々しい殺気が伝わってきて、スルは表情を崩さないようにするので必死だった。


 邪王ウオウが苛立ったように叫ぶ。


「スルッ‼ そのモブ男はなにしに自由都市にきやがった⁉」

「……なにかを探しているようでしたが、わかりません。気配を消すのが得意なのか追跡が難しく……。気をぬくと存在を忘れるぐらい印象のうすい者で……」

「言い訳はいいんだよっ‼‼‼」


 スルは怒声を真顔で受けとめた。

 ここで下手なことをいえば自分だけでなく、一族に災厄がふりかかるとわかっていた。


「愛しいスル」

「はい、邪王チュウサマ」

「私たちは君を大切に想っている。ときには厳しい言葉がかけられるかもしれないが、それは君を……悪魔族を大事な仲間だと思っているがゆえなんだよ」

「変わらず、絶対の忠誠を誓わせていただきます」


 スルの返答に満足したのか、三邪王の怒気がゆるまった。


「愛しいスルよ。おそらく、彼の者は調査に秀でた能力を持っているのだろうね。君の任務は、彼がこの地でなにをするのか見定めること。優秀な君のことだ。すでに策はうっているのだろう?」

「……神獣カムンクルスが眠る地にいざないました」


 スルの言葉に、三邪王は固まった。


(策というか、怪しい場所はないか聞いてきたから教えただけなんだけど……)


 だが余計なことは言うまいと、スルは沈黙をたもつ。

 神獣カムンクルスと聞き、三邪王は嘲るように笑った。


「だははっ! そいつはいいぜ! 奴は人間嫌いだからな!」

「くひっ……もうすぐ回生の次期だしねぇ……。くひっ、煉獄の炎が大地に降り注いじゃうねぇ……! くひひひひひっ!」

「ふふ、彼の者も運がない。神獣カムンクルスによって死より恐ろしい目にあうだろうね」


 邪王チュウオウは慈悲をみせたが、口元がひどく歪んでいたのをスルは見逃さなかった。


 邪王ウオウが力任せに床を踏み、神殿全体がズズズッとゆれた。


「はんっ! 分身体といえど魔王様に剣を向けたんだ! むごたらしく死んでもらわなきゃ困るぜ‼」


 邪王サオウが神経質そうに手を合わせると、広間の空気が氷点下まで下がった。


「くひひっ……! 懐かしいね、久しいねぇ! 魔性の者によってニンゲンどもが泣き叫ぶ時代が戻ってくるよう……!」


 自分が今、呼吸をできているのかスルにはわからない。

 三邪王が放っている圧に、内臓が締めあげられているかのようだ。


 それぞれの得意とするところで、魔王に匹敵する力を持つ三邪王。

 まだ全力ではないだろうに、底知れぬ恐ろしさが伝わってくる。


 そしていずれ復活することを見越し、三邪王に回生術を施していた魔王。


 魔王ヴァルボロスはいったいどれほどまでの力を持っていたのか。分身体といえど楽な相手ではなかったはず。情報はうまく隠ぺいされていたが、きっと大勢の兵士と圧倒的な策をもって撃破したのだとスルは思った。


 邪王チュウオウの魔の気配がふくれあがる。


「魔王様はきっと、別の大地で力を蓄えていることだろう。魔性がふたたび世界を支配するため……今は祈ろう、同胞たちよ」

「だはは‼‼‼」「くひひっ‼‼‼」


 おそましい瘴気にあてられながら、スルは暗黒時代のおとずれを感じた。



 ――そう。

 誰も、魔王が完全ガチに滅んだとは思っていなかったのである。

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