第44話 ただの門番、女神と語らう
あのあと、キルリからお説教を受けた。
『お湯が汚れるので、浴場での子づくりはマジ禁止です!』
浴場を清潔に保つのはいかに大変かも語られて、俺は平謝りした。
彼女の反応から察するに、どうも推理は間違っていたらしい。
とすれば俺は痴態に及んだ変態野郎になるわけで、あまりの羞恥に穴にもぐりたかった。
ハミィやサクラノも勢いに任せた自覚があるのか、赤面してなにも言わない。
メメナは『まあまあ、お互いに勘違いもあったよーじゃし。勢いで熱に浮かされることもあろう』と楽しそうに笑っていた。
話がこんがらがったのは、メメナのせいと察する。
俺たちはなんかこう、こそばゆい空気の中にいた。
ハミィは俺と目を合わせるだけであたふたしたり、サクラノとはちょっと手が触れあうだけでお互いに硬直したりと、モゾモゾする空気だ。
『ええのうええのう。若いってええのう』
そんな俺たちを見て、一番若いメメナが嬉しそうにしていた。
そして、魚介類中心の豪華な夕食が終わり、就寝時間となる。
俺は別室にいた。
三人は英雄の間にいる。
さすがにあの空気で、三人と同じ部屋に寝泊まりするのははばかれた。
別室の奥。
さすがにもう、ここは純粋な癒しの宿だと気づいた。
宿泊者を癒そうとする気遣いが随所に感じられるし、邪悪な気配がまったくない。
女神キルリは優秀な戦士しか選ばないらしいが……。
これはおそらく、俺たち全員の力を合わせて優秀な戦士扱いということなのだろう。
ずっと気を張っていたこともあり、ぼんやりとした時間をすごしていた。
と、フスマの向こうから声がする。
「お客様、起きていられますか?」
キルリだ。
「はい、起きていますよ」
「夜分遅くに失礼いたします。……少々お話したいことがありまして」
俺は少し考えてから返答した。
「どうぞ」
「ありがとうございますーっ」
すすーっとフスマがあけられて、キルリが部屋に入ってくる。
広縁にいる俺のもとまでテコテコとやってきて、対面にちょこりと座った。
「和んでいますねー、お客様ー」
「ええ……ここは良い宿ですね」
「それはもう女神たる私が管理していますから!
私たちは現世に強く干渉できません。なので、こうやって精一杯おもてなしをしているんですよー」
キルリは得意げにぺかーっと笑った。
人を騙すようには思えない笑顔だ。俺は疑っていたことを恥じた。
「……すみません」
「ほえ?」
「実は、俺たちを騙しているんじゃないかと疑っていました」
「でしょうねー。そんな気がしていましたー」
「あ、あっさりとしてますね……」
「あなたとよく似ている現役の戦士を知っていますからねー」
キルリはケラケラと笑う。
「俺とよく似た人? どんなところがです?」
「その人も盛大に勘違いするんです。
思いこみが強いというか天然というか……。
自分がめちゃくちゃ強いことも全然気づかないんですよ」
自分の強さに気づかないって、そんなボヤヤンとした人がいるんだ。
ああでもハミィも似たようなものだし、いるところにはいるのだろうな。
「でも、その人が勘違いするのも仕方ないんですよね……」
キルリは苦笑した。
どこか陰りが見える表情で、彼女は俺に告げる。
「その人……。魔王を討伐した勇者ダン=リューゲルの末裔なんです」
勇者の末裔。
たいそうな言葉が出てきて、俺はちょっと驚いた。
勇者の末裔が現役の戦士としているんだ。というかだ。
「……勇者の末裔なら、どうして勘違いしても仕方ないです?」
そうたずねると、キルリは辛そうに微笑む。
俺から少しだけ視線を逸らし、改めて見つめてきた。
「勇者ダン=リューゲルについて、少しお話ししましょうか」
「? はい」
「ダンは才あふれる優秀な戦士で、若くして頭角をあらわした人間でした。
困った人もほうっておけないお人好しで……。
どんな困難でも、たとえ自分より強敵であっても、決して恐れずに立ち向かう。
そんな彼を、誰もが勇者と呼びました」
キルリは懐かしげに言い、膝のうえで拳を握る。
「……目立ちすぎたのでしょうね。ダンの故郷は、魔王の手先に襲撃されたのです」
「…………」
「以降、ダンの旅は苦難がつづきます。
なにせ顔が割れていますし、活躍すれば魔王がすぐに手下をさしむけます。
彼の行く先々は戦地となり……尊い犠牲もありました」
キルリは一度深呼吸して、また語りだす。
「そして魔王討伐後。ダンは女神たちに、とある祝福をかけてもらうようお願いしました」
「女神の……祝福ですか?」
「もし後世で魔王が目覚めることがあれば、子孫の力が覚醒するように。
そして自分と同じ過ちを踏まないよう、認識が阻害されるように。
そんな祝福を……女神たちは勇者の血に数年かけて刻みこみました」
認識が阻害?
俺が
「他人の印象に残らない祝福です。名前も顔もろくに覚えてもらえず、さらに自分の力さえ誤認するように認識が阻害されます」
「そ、そんなの実生活が困難になるじゃ……」
「その戦士にたいして好意や悪意があれば認識はできますが……そもそも、知り合うキッカケがなかなか得られないでしょう。
活躍しても噂が広がらないですしね」
「だから、その戦士は強さを自覚できないんですね」
「あと、本人があんぽんたんなのも原因です」
「あんぽんたん」
「それもかなりの」
「それもかなりの」
女神にここまで言わせる、あんぽたんの顔を見てみたい気もする。
しかし、祝福というよりそれは……。
「呪い、ですね」
キルリは俺が思っていたことを先に告げた。
「英雄としての華々しい人生があったのに、凡人として生きなければいけない。
たとえ世界に平穏をもたらすためであっても……そんなの人生を奪うに等しい行為です」
キルリは唇をきつく結んだ。その表情は見覚えがある。
貴族の子弟に謝っていた兵士長の表情だ。
精霊王の贄になろうとしていたメメナの表情だ。
王都から出て行くしかなかった俺も、こんな風に無力に満ちた表情をしていたのだろう。
「……凡人の人生でもいいんじゃないでしょうか」
俺の言葉に、キルリの瞳がまばたいた。
「俺は兵士です。どこにでもいる……ただの門番です。
道案内したり、トラブルをいさめたり、たまに子供と遊んだり。
英雄とはほど遠い人生を送っています」
俺は言う。
「だからこそ、平和のありがたみがよくわかるようになったといいますか……。
町を生きる人がどれだけ自分の故郷を大切にしているのか。
人は人との繋がりをどれだけ大事にしているのか。
そーゆーのがよくわかるようになったんです」
「……」
「もし俺が、英雄としての華々しい人生を送っていたら……傲慢になっていたかもしれません。
門番として町のみんなを見つづけたからこそ、そう思えるようになったんです」
貴族の子弟のように、尊大な人間になっていたかもしれない。
「その勇者の子孫も、俺と同じかもしれませんよ」
「同じ、ですか?」
「ええ、どこにでもある、ありふれた大切なものを守れるのなら、自分は英雄じゃなくてもいいと思うかと」
「凡人の人生でもいいと?」
「俺はそうです」
俺の言葉に耳をかたむけていたキルリが、柔らかく微笑む。
本当に女神なのだと思える慈愛の笑みだった。
と、キルリが懐から小瓶を取り出して、テーブルに置いた。
「これは?」
「女神の涙です」
「……なにするもので?」
「ただの超強力な身体強化薬ですよー。受け取ってくださいな」
細長い瓶には、桃色の液体が入っている。
夜空の星々のようにキラキラと光っていて綺麗だ。
「――王都グレンディーア地下で、魔王が目覚めはじめています。
かの地は、勇者と魔王の最終決戦地。
本来なら人の心の光で魔王を永久に封じるはずでしたが、奴は人の悪しき感情を少しずつ喰らいつづけ、地下を広大なダンジョンへと変えました」
「…………」
「あなたが、ただの下水道と思っていた場所は、魔王城と化していたんですよ」
「…………」
「そう言っても、あなたは認識できないでしょうが」
「…………?」
……………………なんだか意識がハッキリしない。
やっべ、会話が全然頭に入らなかった。
薬についての話だったのかな。
「えっと、この薬はどう使えば?」
「いざというときに【飲んで】使ってくださいな。身体能力が劇的にあがりますよ」
便利なものがあるものだなあ。ただの兵士がもらっていいのかな?
俺は頭を掻きながらペコリと頭を下げた。
「ありがとうございます、女神キルリさま」
「はいなー。がんばってください、勇――ただの門番さん」
そう言って、女神キルリはうへへーっとお気楽そうに笑った。
〇
瞼に温かな日差しを感じて、俺は目が覚める。
俺は、大草原に寝転がっていた。
鎧は着ている。荷物も側にちゃんとある。
サクラノやハミィも同じように寝転がっていて、俺はどういうことなのかと混乱した。
「起きたようじゃな、兄様」
俺の隣で、メメナがうーんと背筋を伸ばしながら立っていた。
「メ、メメナ……俺たち、宿にいたよな???
まさかずっと幻影だったのか?」
「いんや、身体が軽いじゃろ?」
「……軽いな。旅の疲れを全然感じない」
「全部現実にあったことじゃよ。女神の用件が済んだので放りだしたのじゃろう」
あの女神、雑な仕事を……。
女神キルリの軽薄な笑い声が聞こえた気がした。
と、俺は小瓶を握っていることに気づく。
「兄様、その瓶はなんじゃ?」
「……これは、女神にもらった薬だよ。身体能力を劇的にあげるんだって」
「ほぅー、ええものをもらったのう。どーやって使うんじゃ?」
あれ、なんだっけ。
薬をもらったとき、意識がハッキリしてなかったんだよな。
えーっと、たしか。
「これは、いざというときに……【塗って】使うんだって」
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