第17話 ただの門番、人妻ロリババアエルフと夜デートする

 深夜。


 澄みきった夜空に満月が浮かんでいる。まぶしい月明かりは、大樹がほどよく光をさえぎっていて、地表から数十メートルも離れた場所のツリーハウスでは、そよそよと涼しい風が吹いている。木の葉がこすれあう音が子守唄代わりになっていた。


 かなり、居心地がいい。

 次に生まれ変わるときはエルフがいいなあ。


 そんなことを考えながら、俺は大きなキノコベッドでまどろんでいると、ずしりと腹が重くなった。


「……?」


 ぼんやりと目をあける。

 銀髪の少女が、俺の腹で馬乗りになっていた。


「メ、メメナ……⁉」

「しーっ。兄様にいさま、静かにじゃ。騒ぎになっては困る」


 猫っぽい瞳のメメナは、俺の唇に人差し指をあてた。


「な、なんで、俺の寝床に……?」

「兄様を夜這いしにきたんじゃ」


 メメナはにまーっと妖しく微笑んだ。


 メメナはときおり大人っぽい表情や仕草をする。

 自分にその趣味がないとはいえ、ちらちらと見えるメメナの柔肌にはちょっとだけドキリとした。


 まあ、十分理性を保っていられるが。


「……さっさと用件を伝えてくれない?」

「なんじゃ、つまらんー。もうちょっとワシにドギマギしてくれてもええのにー」

「モルルに見つかって騒ぎになったら、ドギマギするかもな」

「ははっ、それはワシもドキマギしそうじゃ」


 メメナは悪びれもなく微笑み、ぴょいんと俺の腹から飛び降りた。

 ビビット族のおさでいるときは余裕をもった態度でいるが、こういう奔放な態度が少女の素なのだろう。


 なんというか猫っぽい。


 一向に寝室を出て行かないメメナを見つめていると、少女は後ろ手を組みながら俺に頼んできた。


「兄様、ちょっとワシと夜のデートに付き合ってくれんか?」


 〇


「こりゃあ、すごいな!」


 俺の眼前には、大森林が一面に広がっていた。


 ビビット族の長が住まう大樹。

 その頂上付近の太い枝を切りひらいた展望台に、俺たちはいた。


 大森林が地平線いっぱいまで広がっていて、パルバリー神聖国が見通せる。

 うっすらと山のように盛りあがった森も見えるが、あれは他の氏族が納める地域だろうか。


 世界樹らしき大樹も、はるか彼方にぼんやりと見えた。


「気に入ってくれてなによりじゃ」


 メメナは展望台の淵に立ちながら微笑んだ。


「こんなに見晴らしの良い場所、初めてだよ」

「王都の城から見える景色も立派じゃろうに」

「俺は末端の兵士だったし。城なんて行ったことないよ」


 メメナは上機嫌そうに笑う。


「そーかそーか。エルフでもこの場所は限られた者しかこれん。心して楽しむように」

「へっ……」


 いくら長の許可があったとはいえ、俺はただの門番、もとい人間だ。

 気軽に立ち入ってよい場所じゃないとわかり、ちょっと焦る。


「ど、どうして、俺なんかを誘ったんだ……」

「モルルをふっ飛ばしたからじゃ」


 メメナは即答した。


「それはどういう……?」

「あやつはな、ビビット族の次なる長として、ワシの跡を継ぐ者じゃが。

 腕は悪くないが少々頑固すぎるというか、視野が狭いというか……特に人間を見くびる癖がある。

 人間からすれば、さぞ嫌な奴じゃろう?」

「そんなことはない。良い奴だと思っているよ」


 俺を立てるために、わざと負けたり。

 小さな女の子を母様呼びする性癖をあけすけにしていたり。

 普段はツンツンしていてわかりにくいが、気持ちの良い奴だ。


「そー言うてくれて助かる。まあ、これでモルルも認識を改めるじゃろう。

 個人的にはモルルが長になったあと、兄様が目をかけてくれると嬉しいんじゃが……」

「メメナの代替わりなんてまだまだ先の話だろう?」


 メメナが成人になるなんて何年後の話だ。

 数年後、俺もこの地にいるかどうか。


「いや、ワシはあと数日で長を辞める」


 メメナは神妙な面持ちだ。


「数日? ……それって、今やっている儀式と関係あるのか?」

「兄様は察しが悪いのか良いのか、わからん奴じゃのー」


 メメナは苦笑した。

 察しは良い方だぞ。


「…………ワシはな、森に還るんじゃ」


 メメナは展望台の淵に腰をかけて、大森林すべてを受けいれるように見つめた。

 その母親のような横顔に、俺は彼女の言葉を待つ。


「……ビビット族は、精霊王ブルービット様の庇護で生きておる氏族じゃ。

 ブルービット様の術のおかげで、邪悪な存在はワシらの領地には入れん。

 ……その代わりじゃが」


 メメナは湖のある方角に視線をやる。


「精霊王ブルービット様を支えるためのエルフが一人、必要なんじゃ」

「まさか、森に還るってのは……」

「氏族の長は勤めを果たしたあと、精霊王様を支えるために、エルフすら迷うとされる深淵の森へと向かう。

 ワシはもう二度と、みんなの顔を見ることはないじゃろうな」


 鈍器で頭を殴られたような衝撃に、俺は動揺した。


 信じられない。

 どうしてこんな幼い少女が生贄にならなければいけないのか。

 どうしてメメナはすべてを悟ったかのように言えるのか。


 少女は俺の心を見透かしたように言う。


「贄などと思わないでくれよ?」

「……け、けど!」

「持ちつ持たれつ。精霊王ブルービット様のおかげで、ビビット族の繁栄があったのはたしかなのじゃ。

 育てられた恩を、子が親に返すだけじゃよ」

「……そんなの親子の関係じゃない!」


 俺はそう言うので精いっぱいだった。


 間違っている。

 けれど数日前に出会ったばかりで、エルフのことをよく知らない俺が一方的に断じていいのか。


 救いたい。

 しかしメメナは救いなど必要ないと瞳で語る。

 長の責務から逃げ出そうとせず、じっと俺を見据えてくる。


「そうじゃのう……。親子の関係じゃないのう」


 メメナは少しだけ寂しそうに、まるで子供を育てあげたことがあるように言った。


 俺が精霊王ブルービットとやらを倒すことできれば……。


 できるのか?

 ただの門番が。

 そもそも、ただの人間がエルフの掟に介入していいのか。


 メメナも持ちつ持たれつと言った。

 ここで俺が気に食わないからぶっ倒すなんて、野蛮にもほどがある。


 ああ、くそうっ。

 その精霊王ブルービットが、俺とサクラノを森で彷徨わせた、あの青白い男みたいに傲慢で邪悪であればわかりやすいのに!


「……すまんのう。掟とわかっていても、誰かに聞いて欲しかったのじゃ」


 俺があまりに悔しそうな顔でいたからか、メメナが静かに微笑んだ。

 俺は少女に手を伸ばしかける。


 そのときだ。

 ぶおおと角笛が鳴った。


「――敵襲! 敵襲だ!」

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