【短編】君が居て、僕が居る。
保紫 奏杜
君が居て、僕が居る。
「これ、解いてくれない?」
そう言って、目の前にネックレスらしき物がぶら下げられた。チェーンがぐちゃぐちゃに絡まっている。それを訳が分からないまま見つめること三秒ほど。
僕はそれを摘まんでいる指の主に視線をやった。僕の妻
彼女が、眉尻を下げて口角を僅かに上げた。
「そろそろ退院できるんだって。銀ちゃんもお家で待ってるよ。荷物、ちょっと片付け始めておくね」
彼女の声は、平静なものに聞こえた。数週間前に目を開けた時には、大きく見開いた目から涙を零し、悲しげに眉を寄せて僕を見ていた。「生きていてくれて良かった」それが、彼女が僕に言った言葉だ。僕は職場からの帰りに事故に遭ったらしい。
これからどうなってしまうのだろう? 仕事は? 勤め先はこんな僕を受け入れてくれるのだろうか? 先生はそのうちにと言ったけれど、そもそも、記憶がいつまでも戻らなかったら? 彼女のことも分からない。銀ちゃんというのは誰なのだろう? ペットか何かか? それとも僕に子供がいるのか? 見舞いに来てくれた他の家族のことも分からない。ああ、頭の中がぐちゃぐちゃだ。
彼女を見れば、床頭台の戸棚を開けてタオルを入れ替えてくれている。レンタルは高いし余計なものも付いてくるからと、家から持ってきてくれているらしい。甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる彼女のことを覚えていないことが、何よりも、もどかしい。
手の中には、先程受け取ったネックレスがある。
僕は煮詰まった思考から一時的にでも逃れるために、相当ぐちゃぐちゃに絡まったチェーンを指で摘まみ上げた。指の腹で擦り合わせると、少し隙間が生まれる。それを取っ掛かりに、僕は爪先で狙ったチェーンを挟み込んだ。
それから試行錯誤しながら奮闘すること数分。とうとう手の中でするするとチェーンが解けていく。そのさまを達成感と満足感で満たされながら見つめる中、ふいに自分の中で壊れていたものが合わさる感覚があった。思考が急激にクリアになっていく気がする。
顔を上げれば、窓の外を見ている彼女がいる。二度目のデートの時。付けて来ようとしたお気に入りのネックレスが絡まっていて付けられなかったの、と僕に差し出した君。僕が解いてあげると、その顔いっぱいに喜色を広げて喜んだ君。ああ、これはあの時の、僕が君の誕生日にプレゼントしたネックレスだ。いつまでも、君がお気に入りにしてくれているものだ。そして銀ちゃんも、君の一番のお気に入りのぬいぐるみ。
「――銀ちゃんは、また夜な夜な君に投げ飛ばされていないかい?」
「え?」
妻が勢いよく振り向いた。大きな目が、更に大きく見開かれている。そこに、みるみる涙が溢れて、零れた。
「忘れててごめん。ありがとう」
「……思い出したんだったら、いい」
妻が、口元を歪ませながら頷いた。声を上げて泣きながら抱き付いてきた彼女の勢いで、僕はベッドに押し倒される形になった。申し訳無さを込めて背中をよしよしと撫でてやれば、彼女の顔が上がる。鼻を啜り上げて泣いている彼女の顔はぐちゃぐちゃだ。そんな彼女が、愛おしくて堪らない。
「早く家に帰りたいなぁ」
「調子いいんだから!」
そう言いながらも、妻は笑ってくれる。
僕は緩んだ涙腺を自覚しながら、もう一度抱き付いてきた彼女を受け止めた。
【短編】君が居て、僕が居る。 保紫 奏杜 @hoshi117
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