『ゴブリン』と『私』

 私と楓は物理的には同一人物で、同じゲノム。

 でも、二人の関係は養子縁組制度により結び付けられただけ。それ以上の繋がりは無い。行動を共にするわけでもない。


 私が一人で買い物をしていると、突然肩を掴まれた。

「楓じゃん。金貸かねかしてよ」

 肩に乗せられた手を振り払う。

 ゴブリンは声を低くし、まくしたてる。

「お前、その態度は無いだろ」

 髪を鷲掴みにされる。お金を借りる態度ではない。貸したら返ってくることは無いだろう。

 そういえば、楓は『お前じゃなくて、楓だよ』と言っていた。私に『お前』と呼ばれたとき、このゴブリンを連想したのか――さぞかし不快だっただろう。

 そんなことは、まあいい。私は楓ではない。

 息を大きく吸い込み、叫ぶ。

「助けてー!!」

 私の叫び声に引き寄せられた野次馬。

 視線を感じるだけ。彼らが私を助けることはない。でも、十分。ゴブリンに向けられるカメラが増え、映像や写真が残れば良い。


 今すべきことは、目撃者と証拠作り。


 私の口を押さえているゴブリンの手に、思い切り噛み付く。

 ゴブリンは、振りほどいて去れば良いものを、反対の手で私を殴りつけ始めた。

 もしも私が噛んでいる手を離してしまえば、二本の手を使って袋叩きにされる。生きて帰ることが出来ないかもしれない。そんな恐怖がある。

 だから離すわけにはいかない。噛む力を更に強める――噛まれた手を振りほどこうと、暴れるゴブリンの大きな動作と怒号は、言い逃れ出来ない暴行の事実となる。


 私には、身体からだが大きいゴブリンを拘束する身体能力は無い。物理的に拘束することは出来ない。出来ることは、助けが来るまでゴブリンをここにとどめておく、時間稼ぎくらい。


 迫り来る複数の足音。

 駆けつけた警察官に取り押さえられるゴブリン。

 ここで起きた事象は、面識の無い未成年の女性に対する傷害事件。目撃者は居るし、証拠はある。現行犯で捕らえられたゴブリンの処理は、大人に任せる。


 大した怪我はしていない。けれど、手配された救急車に乗せられ、病院に運ばれる。

 応急処置を受けていると、楓がやって来た。

「はぁ、はぁ。大丈夫!? 警察から連絡もらって飛んできた」

 楓の呼吸が荒い。ここまで走ってきたことがわかる。とはいえ、原因は楓にある。

「大丈夫に見えるか? 付き合うやつ選べよ」

 私の手を握る楓の手が、ずっと震えている。

 だから、これ以上責めるのはやめる。


 楓と私を見て驚く看護師。

「双子ですか?」

「いいえ、これはママです」

「私はママです」

「そうなんですね。入院手続きをしますので、ついて来てください」

 入院するとお金が掛かる。楓が働いて貯めたお金を、こんなことに使わせたくない。

「お金がもったいないから、帰ります」


 帰ろうとするのを、看護師に止められる。

「心配しなくて大丈夫。加害者に負担させるための〝第三者の行為による傷病届〟というものがあるの。健康保険組合が立て替えて、加害者へ請求するから、被害者は支払わなくて良いの。綺麗に治してから帰ろうね」

「では、お世話になります」


 病室の椅子に座り、ウトウトしている楓。

「明日も仕事でしょ。家に帰って寝なよ」

「大丈夫」

 先程、楓の手が震えていた理由が気になる。

 反省、後悔――なんだか違和感を覚えた。

「楓さ、何か困っていることある?」

「無いよ」

 楓は即答する。私に言って解決出来るような些細な悩みなら、困ることは無いだろう。こう答えることは想定していた。

 私が見ていたのは楓の手。

 楓は、感情が手の動きに出るタイプだと思った。案の定、楓は意識していないだろうが、手をきゅっと握りしめた。


 無理に言わせようとしても拒まれる。言い回しを変えてみよう。

「そっか。うまくいっているならいいんだ。楓は凄いね。私なんてこんな有り様だし」

「そんなこと無いよ。そうなったのは私のせいだし……全然うまくいってない……」

 耐えられない程ではない、何かがあることまでは言ってくれるのね。さて、どう引き出すか。まずは警戒を解かないといけない。

「そっか。じゃあ同じだね。気を紛らわせないと、痛くて辛いからさ、こっちに来て何か話して。どんな話でもいいよ」

 楓は、ベッド横に来て腰を下ろす。

「私が私に話をするって、不思議な感じね」

「でも別人格。楓は楓、私は私」

「それでも不思議な感じ」


 ゴブリンを連想させる話になると、楓はピクッと反応したり、手が震える。

「不快にさせそうだから最初に謝っておく。ずっと施設に居て、人間関係をどう作るのか知らないから、気になるだけなんだけど、何故ゴブリンと接点があるの? あれはなに?」

「ゴブリン? ……あれは元彼」

「楓は、ゴブリンが好きなの?」

「そういうわけではなくて、気付いたらそうなっていたというか……」

「そっか。ああいうのは、他にも居るの? 何度もこんな目に遭うのは、勘弁なんだけど」

「他にも居る」

「何体くらい?」

「五、六体……七、八……あ、九……」

「たくさん居るのね。わかった。もう数えなくていいよ。その中に失いたくない、大切なゴブリンは居る?」

「居ない。さっきからゴブリンと呼んでいる、あれも一応人間よ」

「そうなんだ。私が居た世界では、あれをゴブリンと呼んでいた。少し違うんだね」

「え!? そうなの? ファンタジー世界じゃん」

 そんなわけないだろう。出鱈目でたらめだ。私は施設から出たことが無いし、そもそも記憶が無い。楓は残念な子なのか。少し揶揄からかってやろうと、悪戯心いたずらごころが湧く。

「そうだよ。討伐すると報酬を貰えるの。ただ、私は弱いから他のハンターに捕まえてもらって、一部を分けてもらう感じ」

「この世界にも、そういう物語あるよ! あれって、本当の話だったんだね。書いている人も異世界から来たのかな」

 あるだろうね。私が話しているのは、この世界のゲームの話。

 楓は疑うということを知らないの? 話に乗ってるだけなの?

 後者であって欲しいと、切に願う。

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