【短編】ポンコツな神と、増殖するママ

はゆ

『時間軸』と『世界線』

 青山あおやま葵は、十五歳ということになっている。

 幼少期の記憶は無い。思い出せる記憶は、この児童養護施設へ入所してからのものだけ。実年齢は不明。便宜上、年齢には見た目から推測された年を、誕生日には入所日が登録されている。苗字は児童養護施設の所在地名しょざいちめい、名前の葵は市長が付けた。

 戸籍には『調書により記載』と記され、暫定的な情報以外は空白。


 掃除中、不意に後ろから肩を掴まれる。

「あなたを迎えに来たわよ」

 驚きのあまり、腰の力が抜け、崩れ落ちる。

 少し前、施設長が部屋に向かって「お迎えが来ました」と言っていた。

 誰かの迎えが来たことは認識していた。でも、私に向けられている言葉ではないと、聞き流していた。無関係な来訪者を、いちいち気にして生活してはいない。

 私は、施設から出たことが無い。施設の外に知人は居ない。だから、私以外の子の迎えが来ることはあっても、私に迎えが来ることは無い。普段から、関係無いことだと聞き流している。


 驚かされたことについて、文句の一つでも言ってやろうと振り返る。

 視界に入った来訪者、東雲しののめ楓の顔は、私と瓜二つ。驚きのあまり言葉を失った。

 楓は、私が呆然としていることを気にも止めず、私の耳元に顔を寄せて囁く。

「私は未来のあなた。首元のホクロが証拠よ」

 楓は髪をかきあげ、首元を私に見せつける。そこにあるのは、私と同じ星形のホクロ。他の外見的特徴も、私と一致する。信じ難いけれど、楓が私であることを否定出来ない。


 施設長が、楓と私をまじまじと見比べる。

「似ているとは思ったけれど、並ぶとまるで双子のようね」

 私と楓の違いは、よく見比べると、楓が少しだけ年上のような気がすることくらい。それでも、親子程の年齢差は無いように見える。


「この子を引き取るには、どうすれば良いですか? 養子縁組の要件は満たしています」

 楓が施設長に尋ねる。『子』と言われたことが不快。子ども扱いされる程の年齢差は無い。

 ムカつく――私は、楓の頬を摘まみ、引っ張る。

「痛い。何でそんなことするの?」

「若作りしているなら、化けの皮が剥がれると思ったの。特殊メイクなら引っ張れば取れるだろうし」

「剥がれないわよ。あなたが引っ張っているのは、正真正銘私の顔だよ」


 施設長が、私の手をすっと下ろす。

「葵さんが望むならば、手続きを行えます。どうしたいですか? 十八歳を迎えると、ここを出ていかなければなりません。だから、お姉さんの元で暮らすのは良いと思う」

 施設長は、私にとって母親的な存在。施設長が『良いと思う』と言うのならば、良いのだろう。だけれど、楓とは今初めて会ったばかり。信じて大丈夫なのかな――楓が本当に私自身わたしじしんならば、私の不利益になることはしないとは思うけれど――。


 考えてみたけれど、自分では答えを出せそうもない。

「私にとって良くなるようにしてください。施設長に判断を委ねます」


 施設長は「書類を準備してきます」と言い残し、退室する。

 『お姉さんの元で暮らすのは良いと思う』と言っていたから、養子になる結果に至ることはわかっていた。自分では決断出来なかっただけ。私も、それで良いと思った。


 楓と二人きりになった部屋。無言の時間が続く。落ち着かない――困っていたところに、施設長が書類を持って戻ってきた。

 見せられた養子縁組届の証人欄には、施設長と副施設長の署名・押印がある。

「養子縁組許可申立を、家庭裁判所に提出し許可を得た後、市役所の戸籍係に養子縁組届を提出すれば、手続き出来ます」

 説明が終わると、施設長が楓に書類を渡す。


  * * * 


 楓が来た日から、二ヶ月経過。

 施設長に呼ばれ、養子縁組が成立したと伝えられる。手続きにこんなにも時間が掛かると思っていなかったから、養子になる話は無くなったと思っていた。


 迎えに来た楓と一緒に、施設を出る。

「今日からは私の娘ね。ママと呼んでいいわよ」

「ママって……姉妹設定でしょ」

「養子は実子と同じ扱いだから、制度上は親子なのよ。さあ、ママと呼んでみて」

「お断りします。親子には見えないので、ママと呼びたくありません」

「呼んでよぉ」


 楓の話は、冗談ばかり。相手をせず、車窓からの景色に視線を据える。

 口を膨らませ、不貞腐れる楓。

「おかしいな。私なのに、ノリが良くないわ」

「そんなことより、お前が何者か説明して」

「お前じゃなくて、楓だよ。ママでもいいよ」

「お前」

「その呼び方、嫌」


 無視していると、楓は諦めて説明を始める。

 楓によると、私は増殖バグで存在している楓自身らしい。

 そんなことを言われても、信じられない。でも、もしも真実だとするなら――。

 二人の私が同じ時間軸に存在する。私か楓、どちらかがこの世界の者ではないということ。どちらかは明白。楓が未来から来たのではなく、私が楓の時間軸に来た。楓には戸籍があり、東雲しののめという苗字を持っている。私は無戸籍だった。この世界に存在していない人間は――私。


「ねえ、聞いてる?」

 そういえば先程から楓が何か話している。話の中に何度も出てくる単語は〝ポンコツ〟。

「楓がポンコツだって話」

「違うわよ! 私はポンコツじゃないわ」


 二時間に渡り、無駄に長い説明が続く。

 要約すると、ポンコツから貰ったタイムリープ能力を使うと、この時間軸に行った先の年代の楓が現れるらしい。


 タイムリープとは、過去や未来の自分の身体に意識のみを乗り移らせる能力。同一時間軸に二人の自分が存在する矛盾は生じない。楓が増えるのなら、その能力はタイムリープではない。


 タイムリープを実現するには、複雑な処理が必要。少なくとも以下のプロセスがある。


○行き

 一、元の時代と行先の時代、二つの身体からだの意識と肉体を分離。

 二、行先の時代の肉体に意識を結合。

 三、元ある意識を、後で戻す必要があるため別の領域に保管。


○帰り

 一、意識と肉体を分離。

 二、別の領域に保管していた意識と肉体を結合。

 三、元の時代の肉体に意識を結合。


 ポンコツには、タイムリープ能力を実装する技術が無い。出来ないことを出来ると言い張り、作り出されたのが増殖バグ付きの能力。


「タイムリープと似た能力に、別の時間軸へ物体を移動させる、タイムスリップがある。移動させるだけなら、神にとっては容易たやすい。だから、無能なポンコツはタイムスリップをベースに身体年齢操作機能を組み合わせ、タイムリープを疑似的に体験出来るだけの粗悪品を作ったの」

「神?? ポンコツって神なの?」

 楓が一生懸命説明するから、反応くらいはしてあげている。

「そうよ。そんなことはどうでもいいわ」

 楓はさらっと流し、説明を続ける。


「タイムスリップも十分凄いと思うけど……」

「別の時間軸には行きたいけれど、別の世界線に行くことは望んでいない。そんな能力は求めてないわ」

 『時間軸』と『世界線』の違いがわからないけれど、楓にとっては重要らしい。楓に出来るのならば、私にも――。

「私にも、タイムスリップ出来る?」

「出来るとしても、してはダメよ」

「楓は私なんだよね? 納得できる説明をして。私がしていることを、私がしてはいけないというのは納得出来ない」

「私が増殖すると伝えたわよね。この能力は欠陥品なのよ。能力を使うたび、不幸になる私が増えていく」

 移動先の時間軸に移動するのは、意識のみでなく、年齢を改変した自分自身。二人の自分が存在する矛盾への応急措置として、移動先の時間軸にある身体からだが、移動元の時間軸に転移される。

 私の記憶が無い理由は、雑に転移させられたせいで欠損した可能性が高い。ポンコツには分離させる技術がないから、意図的に身体からだと記憶を切り離したのではないはず。だから単なる欠損だろうと、楓は推察を説明する。


 移動先の時間軸の身体からだは、楓が戻った後もこちらの世界に放置される。その結果、この時間軸に楓が増殖していく。つまり、別世界の私は行方不明になっているということ。そう考えると辻褄が合う。


 私の記憶が消えた理由。

「単なる欠損で記憶を消されたら、堪らないのだけれど」

「私じゃなくてポンコツに言って。保護するために養子縁組をしたんだし」

「超他人事じゃん。保護? 私は野良犬か何かですか……」

「そんなつもりはない」

「その話はもういい。九年……私が施設で過ごした年数。別の世界戦では私にも親が居て、普通に生活していたんだよね?」

「そうね」

「私は記憶を失って、人生を棒に振った。楓は保護したつもりになっているけれど、それはただの自己満足よね」

「……ごめん」

「私の人生を返して」


 楓は言葉を詰まらせた後、私の目を見つめる。

「私の全部あげる。私として生きてもいい。私の人生を壊してもいい。好きなことをしていい。何をしても何も言わないし、一生かけて償うわ」

 私が人の目を真っすぐ見つめて話すとき、嘘は言わない。

 贖罪しょくざいする気持ちがあるときは、許しを乞わない。


 楓は私。楓を苦しめたとしても、私の気分は晴れない。私と瓜二つの容姿の楓が苦しむのを見て、良い気分になるはずがない。だから「許す」と言おうとした。けれど思い止まる。


 楓は『好きなことをしていい』と言った。

 私のことは私が一番よく知っている。確認しなくても、私が前言撤回することは無いとわかる。


「考えさせて」

 楓を追い詰めないため、敢えて保留にした。

 私が何らかの結論を出せば、楓なら――私なら必ずその結論に従う。たとえそれが、死ねという要求であったとしてもだ。


「人生を滅茶苦茶にされたんだもの。恨みつらみがあるのは当然よね。決まったら教えて」

「私が私を責めても仕方ない。罪悪感にさいなまれて、自暴自棄じぼうじきになられたら面倒」

「面倒なんて言い方されると凹む」

「楓が凹んでいるのを見て、ストレス発散するから、存分に凹んで」

「ムカつく。凹んでやるものか」

「反省してないの?」

「反省するのと、ムカつくのは別よ」

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