灰まみれの殺人

小石原淳

第1話 密室とダイイングメッセージ、矛盾する

 季節は冬。だが、今年は暖かい方らしい。ただでさえ滅多に雪の降らないこの地方、今夜から翌朝に掛けても快晴が続くとのことだ。風は若干あるが、問題ない。

 よし。

 私は興奮が鎮まったのを感じると、俯瞰的に物事を眺めようと、室内の有様を文字通り見下ろした。

 床に横たわるのは、先ほど殺害してまだ間もない遺体。その傍らには、記されたばかりのメッセージがある。白地のタイルに黒のボールペンで、人の名前がはっきりと書かれている。

 これではいけない。

 私はボールペンを手に取ると、その名前が分からなくなるように、上から滅茶苦茶に線を引いた。ぱっと見、読めなくなったのを確認し、ペンにキャップを被せる。

 当初の計画通りにことは進んでいる。あと少しだ。詰めを誤らなければ、誰にも分かるまい。それだけの自信があった。


             *           *


「亡くなったのは木村流樹也きむらるきやさん、三十歳。この一軒家の主で独り暮らしをしていたとのことです。知らせてくれた第一発見者は木村さんの部下で、社長の突然の死に慌てふためいていましたよ」

「若くして成功したのか。部下のいる企業のトップで、自宅もかなり立派だ」

「ええ。東京生まれらしいんですが、こっちに越してきて、うなぎの養殖を始めて当たったみたいです。画期的なシステムを導入して、効率的な配分のエサだとか、飼育環境だとか。

 で、もう一人亡くなっている女性の方は、槇島梨花まきしまりんかさん。木村さんとは高校大学を通じての同級生で、一応、恋人関係だったみたいです。ここ鹿児島の出なので、木村さんが越してきた理由の一つだとも部下の間で囁かれていたと」

「過去形かつ曖昧な表現をするからには、関係は終わっていたか、終わりかけていたとでも言いたそうだな」

「当たりです。またまた部下の人の話によりますと、半年足らず前に槇島さんは別の男と急速に親しくなっていたそうで。猪原琢馬いのはらたくま氏といって、やはり同級生です。祖父が興した地元の化粧品メーカーの部長で、父親のあとを継いで社長の椅子に収まることが約束されているといいますから、うらやましい限りで」

「会社の規模は。うなぎよりコスメの方がでかいのか」

「この場合、そうですね。少し将来の財産の面で比べるなら、猪原琢馬氏が上でしょう。火山灰の成分を配合した美容クリームは、僕でも知っているメジャーな売れ筋商品ですよ。それに比べてうなぎは高値が続いて、売れ行きは頭打ちか下降線を辿り始めてるんじゃないですか」

「おまえの素人分析は横に置くとして、だ。火山灰とは何やら因縁めいているな」

「そうかもしれませんね。何せ、この邸宅の周り一面、降灰ですっかり覆われてしまっていたんですから」

「部下や救急隊の証言を信じるなら、現場の周辺には足跡がなく、一種の密室状態。自殺や事故ならともかく、他殺だったら密室の謎も解かねばならない。面倒なこった」

「ご存知の通り、灰は雪や雨と違い、いついつまで降っていたと正確に分かるものじゃありません。噴火、今回の場合は桜島でしたが、桜島の噴火がいつ起きてどのくらい続いたかだけにとどまらず、空中に漂う量や風向きにも左右されます。それで、この近所に聞き込みに回らせていますが、灰が止んだのは日付が今日に変わってしばらくしてから、だいたい午前一時ぐらいが今のところ有力っぽいです」

「死亡推定時刻を正式に出してもらって、もし仮に午前一時よりもあとだったら、密室か……考えたくもないね。自殺、心中の線がなくなった訳ではないが」

「ですが、自殺を想定するなら、この木村さんの右手の先にメッセージが問題になりやしませんか」

「そうなんだよな。密室に続いて、ご丁寧にもダイイングメッセージまであるとは。いくら重ね書きでぐちゃぐちゃに乱されていても、あれが遺言の類ではないことくらい、感覚で分かる。十中八九、犯人の手掛かりだろう」

「犯人がぐちゃぐちゃにしていったのだとしたら、抜けてますよ。現代科学捜査の技術をもってすれば、楽々読み取れると言ってましたから」

「そうだろうな。まあ、その辺りも含めて、詳細な結果が出揃ってから、方針を定めることになる」


 ~ ~ ~


「――分析した結果、あなたの名前が浮かび上がったんですよ、猪原琢馬さん」

「と言われても、私はやっていないとしか申し上げようがない」

「ええ、ええ。当日夜の行動、調べさせてもらいましたが、やはりアリバイとしては不充分でしたよ」

「仕方がないでしょう。外国から新たな商談が持ち掛けられて、約束の時刻に港に向かおうとしたんだが、例の火山灰のせいで引き返す羽目になった。その結果、家で独りでいるほかなかったんだから」

「港まで行けていたら、アリバイが成立していたと思われますか?」

「は? 質問の意図がよく見えないが……」

「商談を持ち掛けてきた新規の取引相手とは、その後、どうなりましたかとお聞きしたいんです」

「それが、私が約束を守れなかったことに立腹したのか、以降、まったく連絡が取れない。そもそも、先方の所属する商社にお詫びの電話を入れてみたところ、確かに在籍はしていたんだが、日本に来てはいないと言うし……さっぱり分からない」

「なるほど、そうでしたか。こいつはいいことを聞けたかもしれない。改めてお聞きします、猪原さんは木村さんと槇島さんを殺害してはいない?」

「もちろん。客観的に見ても、木村はともかく、槇島さんを殺す訳がないことぐらい明白でしょう。彼女とは順調に行っていたんだから」

「順調かどうかは、傍目からは分からない場合もあり得るのでね。念のためですが、たとえばこんな風にも考えられる。槇島さんは木村さんと不仲になったのではなく、あなたからお金を引き出すために木村さんと切れかけているように装い、あなたに接近した。思惑に勘付いたあなたは、二人を心中に見せ掛けて殺した……と疑えなくはない」

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