整理整頓パズル

星 太一

大人物の大逆転-1

 ロビン。年、二十四。レーヴ王国の民。


 この男、とんでもない可能性を秘めている大人物なのに誰にも見つけて貰っていない――と思っている。




 頭は良い方だ。新聞は欠かさず読むし友人の中には王城を出入りするエリートもいる。政治家についての文句はいつもカフェーで見知らぬ爺さん方と垂れ流すように議論で発散し、諸先生方の論文は欠かさず買い込み、大学の中にも入ったことがある。


 唯一つだけ。

 その男には機会だけが与えられなかった。


 * * *


 家は平々凡々な農家だ。

 平々凡々であるから極端に貧乏でも裕福でもなく食うには困らなかったのだが、いかんせん父母が余りに長い間その「平々凡々」に浸かっていた為に自分の頭の良さに気付いてくれなかった。

 ただひたすら今の生活に甘んじては自分がきっと家督を継いでくれると盲信し、街に行く金よりも鍬を握らせようとしたものだった。


『良いかねロビン。真に賢いというのは身の丈に合った舞台でこの世を上手く生きていけるということなのだよ。……分かるね。お前は農家の息子なんだよ』

『買っても腹の膨れない物買うぐらいなら良いから働いておくれ!』


 冗談じゃない!! そんな小銭稼ぎ誰がするものか!

 分かるものか!! 本の読み方も文字の読み方も知らない癖に!


 良いか、俺は長老の爺さんから文字の読み方を教わっているんだ!!

 本の読み方も習ったんだ!!


 俺は特別な筈なのに!


 こうなったら絶対に逃げ出してやる。

 俺は街の人間とつるみ、街の人間としてお洒落を楽しみ、街の人間として政治を語り、街の人間としてコーヒーの匂いを楽しみ本をめくる。

 お前達とは格の違う知的な世界で暮らすんだ!

 そして俺の隠された素質に気付いた社長か何かに拾って貰って億万という金を稼ぐのだ!


 こうしてある夜、ロビンは父の財布を盗んで家を飛び出した。


 ロビン。年、十八。

 若人一世一代の無茶である。


 * * *


 そうして現在。

 六年ほど経った。


 相変わらず金が無い。

 生きていくには金が要る。金を作るためには働かねばならぬ。

 という訳でアルバイト。

 新聞配達、パン屋、肉屋、八百屋、本屋……。

 幾つか経験したが、どれもしっくり来なかった。

 ので、やめた。全て長続きはしなかった。

 どれも単純作業の連続でつまらない。こんな大人物の器を持つ人間にやらせることではない。そう思うと世界の全ては色を失っていった。

 やがて、

 ――俺は自分の身の丈に見合わぬ極端に窮屈な世界で働かされている、閉じ込められている。そんな気がする。――

と、考えるようになる。

 もっと、もっと大きな仕事がしたい。

 例えば貿易商、資産家、官僚、社長。

 宰相、大公なんかはどうだろう。

 考えれば考える程夢は膨らむ。きっと物好きな資産家はこんな日のこんな時間から変装して庶民の遊び場を遊び歩き、面白いものに金を投じたり面白い大人物との出会いに胸躍らしているに違いない。

 そういう大人物は山ほど小説の中で見てきた。話の中ではそういう人ほど大体巷でも有名な資産家だった。


 ロビン、夢が見たい。

 家にあるしわしわの一番良い服に身を包み、汚れた良い靴を履き、ぺしゃんこになってトップクラウンがぱっかり口を開けたシルクハット――は流石に惨めだったのでやめておいて。

 顎を持ち上げ必要以上に鼻息を荒くして、人にぶつかろうが構わず目を瞑りながらずんずんと遊園地を威張った態度で歩き回ってみた。皆の避ける空気、気配がどことなく心地よかった。これが金持ち! とも思った。

 サーカステントで大道芸を見て分かったように拍手して、大衆の大部分は興味持たないような――例えば熊の尻だったり馬の糞だったり爬虫類のぎょろぎょろした目だったりをしげしげ眺めてみたりする。


 そうして歩いている内に彼は遊園地の喧噪の中、ひとつ異様な空気を放ちつつもじっと気配を殺しているひとつのアトラクションを発見した。


 チェック柄のカードをリボンに挟んだ紺のシルクハットを被りチェック柄のネクタイを締め、胸ポケットからチェック柄のハンカチを覗かせたモーニングのコートのような裾の長い紺の上着。黒いベスト、白いワイシャツ。だぼっとしたベージュのパンツを履いた長い、組まれた足先を飾る黒いエナメル革の靴。

 そんな着飾ったがじっとパイプ椅子に座ってじっと自分を見つめている。

 その足元には革のアタッシュケース。


 そこにはそれだけしかなかった。




「やあ、そこの


「私と整理整頓パズルで遊ぼうか」




 * * *


 自分がぎょっとしたのは「少年の姿かたち」には見合わぬそのしわがれた声――だけではなかった。


 大人物。

 その言葉がこの足を引き留めた。


 変な奴がいる。

 そんな気持ちも吹き飛んで、その少年の方に腹を向けた。

「ああ、ああ。お前が来ると思っていたぞ。さあこっちに」

 白い手袋をはめた左手がおいでおいでと呼んでいる。薄く笑んだ口から犬歯がちらりと銀に光る。

 満更でもないこの気持ちのはやりをぐっと押さえながら、しぶしぶというていでそちらに近付く。

 近くで見れば余計に変なガキ。

 少年の癖に銀の短髪――はいいとして、変なのはその顔と前髪だ。まず右目をチェックの眼帯で覆い、左目は頬の上あたりで切りそろえられた黒と銀の縞模様の髪で隠されている。右目横の特に長い黒髪がかまきりの鎌のようにどこか鋭い。

 その目を見られたくない事情がどこかにあるとでもいうのか。

「やあ、まずは自己紹介だ。私の名はディアブロ、魔術がちょっと使えるだけの一介のパフォーマーさ」

 そう言って握った拳から万国旗をぽんぽん。ありがちなパフォーマンスだ。

「ロビン。ロビン・ジャクソン」

「よろしく、ミスタージャクソン」

「ロビンで良い」

「じゃあロビン。よろしく」

 にっこり口元で笑みながら握手を要求。あくまで自分は大人物、先程からの姿勢だけは絶対に崩さずに手を差し出した。それを相手はにこやかに受け入れる。先程彼が放り投げた万国旗と紙吹雪の雨の中、固くそれらは結ばれた。

「さて早速本題だがな、ロビンさん。レーヴ紳士の知的な好奇心を満たすには丁度よいパズルが手に入ってな」

 そう言って足元の重たそうなアタッシュケースを意味ありげにばんばんと叩く。

「しかも唯のパズルじゃないんだ、ロビンさん」

 言いながら簡易的な机をこしらえ始めるディアブロ。声は心なしかわくわくしているようだ。

「このパズルに見合うだけの大人物でなければ扱えない」

「扱え、ない……?」

 そそられる。

「左様、だからお前を呼んだのよ。――ところでこの世にはごちゃごちゃぐちゃぐちゃした物が多すぎるとは思わんかね」

 全ての準備が整ったところでアタッシュケースを机の上に持ち上げ、鍵をちょろまか開け始めた。

「自由とは混沌、規律とは整頓。人間の世界は陰と陽で出来ているが、時たま乱れてしまう為に世界は定期的に誰かの整列を欲しがる。それを大人物が整えてやるのだ。――ああ、開いた開いた」

 そして留め具をぱちんと細い中指で開け、蓋をよいしょと思いきり開けば


 そこにはミニチュアの本棚が蓋いっぱいにぎっしり敷き詰められていた。

 そしてその本棚にも棚に入りきるとは到底思えないえげつない量の小さな本が。


 な ん だ こ れ は。


「はて」


「君のご意見と君の技量を拝見しようかな」




 * * *


 ディアブロのいう整理整頓パズルは自分の知っているそれとはかけ離れたものだった。もっと、スーツケースに荷物を敷き詰めるだなんだだとか色のついた何種かのブロックをルールに沿って積み上げるだなんだだとか、そういうのを整理整頓パズルというのではなかったか。

 これではまるで――。


「どっかの本屋の片付けみたいじゃないか」

「ふふ。見たことあるかね?」

「ああ。裏通りのベン爺さんの古本屋みたいだ。あそこも丁度これ位本でぐちゃぐちゃだった」

「ふんふん」

「本の山をあちこちに作るからこけるし、分類分けはしないからどこに本があるのか分からなくなったりするし」

「そういうのは経験で分かるというものではないのか?」

「その経験も薄れる程ぼけてきてんのよ。この前どっかの貴婦人が探偵小説買い求めて尋ねた時にあのジジィ、ピンクを出しやがった。……ところでこれ全部棚に入るんだろうな」

「入る」

「そうかそうか。こういう時は全部の本を調べてだな」

 ゴマ粒みたいな題字を全部丁寧に確認し分類分けも施し、人差し指の腹に乗っかるぐらい小さな本をどんどん詰め込んでいった。ちゃっかり本を取り出す人のことも考えて隙間も開けたりしながら……。

 そして。


「そうら、芸術的だろうが!」

「おお、見事なものだ!」


 Bravo!!ブラボー! と声を高く張り上げ、大げさに拍手!


「で」


「これやったらどうなるんだ?」

「それはこの後の話」

 本を詰め終えた本棚を丁寧にラップし、アタッシュケースに元のように鍵をかけ

「さあ出よう。お前はついてこい」

 言われるがままに彼についていく。


 ……。


「そういえばロビン」

「何だ?」

「口調と態度が来た時と違うな」


 はっと口元を押さえる。


「はは! 可愛いものだ、小さきものの背伸びとは」


「そういうの、私は嫌いじゃない」


 ……何者なんだ、こいつ。


 * * *


 暫くして辿り着いたのは裏通り。


 冷や汗がつ、と額から垂れた。


「ベンはいるか!」

 扉を豪快に押してつかつかと入る少年。それに応じて暗い店の奥から店主がのろのろ登場。

「へぇ、へぇ。――お、誰かと思えばディアブロ様! とロビン」

「ついでみたいに言うなよ」

「望みの品を持ってきたぞ、ベン」

 今日ものんびりした顔の古本屋の爺さんはアタッシュケースがカウンターにどしんと置かれたのを見ると突然今まで見たことのないような真剣な表情になった。

「ああ……、ですか」

、とは言わないんだな」

 そんな彼の反応にニヤリと笑むディアブロ。

「老い先短い老僕ですから」

「本当にこれで良かったのか?」

「ええ。自分の片付けは自分でしたかったんですがね」

「……?」

 何かそこはかとない嫌な予感がする。

「それではやろうか」

「へぇ、へぇ。……ロビン、突然だけど今までありがとうなぁ」

「な、何が?」

「最後にお前にお目見えできて嬉しかったよ」


「だから何が――ッ!」




 最早説明は不要だった。




 ディアブロが一振りアタッシュケースを汚い本棚にぶち当てるとそれは閃光を放ち、気付いた時にはそこにロビンが詰め直した通りの本棚と老爺の動かない体があった。


 怖気が背中をびゅっと駆け抜ける。

 それは間違いなく……。


「ご馳走様、ベン。Descanse en paz.」

 だが彼は関係ないとでも言うかのように老爺の傍にお行儀よく立っている硝子の小瓶と本棚に打ち付けられたアタッシュケースとを拾い、

「さあ行くぞ」

とさっさと店を後にした。

「え、ちょ、ちょちょちょ! ちょい!!」

 震えて棒のようになった足を懸命にぶん回して少年に追いつき、自分の疑問やら非難やらをどしどしぶつける。

「ベン爺さんは、ベン爺さんはどうしたんだ!」

「んあ? 言っただろ、"Descanse en paz."って」

「それじゃあ分かんねぇんだよ!」

「じゃあ分かりやすく言ってやろう。死んだ」

「――は?」

「あの老翁きっての願いだ。自分の死期はもう分かっている、この店は孫娘が継ぐことになっている。しかしもうこの本棚たちを片付けられるだけの元気も体力も自分にはない、このまま放っておけば私の大事な孫娘を困らせることになってしまうだろう。それにもし万が一自分のいる目の前で大事な本たちが処理されてしまうことがあるならばそれはそれでショックだし、いつくるか分からぬお迎えに怯えて暮らすぐらいならば自分に出来る準備はしてからとっとと去りたいし。――で、だから自分ごと片付けて欲しい、と」

「確かに言ったのかい、あの爺さんが」

「ああ。だからああやって処理させて頂いた」

「処理って……人の命を何だと思ってんだ!」

 思わず胸倉掴み上げ、彼の体を持ち上げた。

 ただそれでも彼の様子は淡々としたもので

「命は命だろうが」

と返事をするばかり。

「……! 説明になってねぇんだよ!」

 思わず拳を振るった。しかし、当たらない。涼しい顔で受け止め

「まあ聞け」

と言う。


「だから大人物にしか務まらんと言ったのだ」

「……!」


 ハッとなる。

 こんなことでハッとなってしまう自分も大分おかしいが、そうだ、確かにそう言っていたっけ。

「言っただろう。自由とは混沌、規律とは整頓。自由奔放に歩き回る人間のおかげでぐちゃぐちゃになったこの世界を冷静沈着、時に機械的に誰かが整えてやらねばいずれ破綻が起こり、取り返しがつかなくなる」

「……」

「かの『河内婦』が良い例よ。食人鬼彷徨う世界が来ても良いというのか?」

「そう、とは言ってないけど……それとこれとにどんな関係が!」

「お前も本は読んだことがあるだろう? 大きな問題への足掛けに、いついつでも小さないざこざが用意されるというものだ」

「……」

「だからお前には私と暫く行動を共にしてもらって、この一世一代の大整列に協力して欲しいのだ」

「……!」


 ……唐突な本題だ。


「最終的には国を整えることになる。大きな仕事だ」

「……報酬は」

「見返りを求めるか? まあそうだろうな。こんな大仕事に無料で力を貸せという方がおかしい。とすれば……、……来い!」

「え――ウワ!」

 突然胸倉ひん掴まれたかと思えば裏路地に引っ張り込まれる。

「テテ、何しやが」

「これを見ろ! これは表の世界じゃ開けられん!」

 突然目の前を溢れたのは札束の山。壊れた洗面台かと思うぐらいどばどば溢れ出てそれこそ金が湯水のようだ!

「これがさっきの老公の命の値段よ。――いや、まあ命に値段は付けられぬからこんな事にはなっているのだが……兎に角このアタッシュケースは

「エエェ!?」

 思わず変な声が出た。

 良いのか?

 何かの冗談だろう!?

「冗談なんかじゃないともさ! ……唯、本当にこのアタッシュケースが欲しいのなら今後私と行動を共にしてくれると約束してくれ」

「するするするッ、モチロンしゅるっっ!!」

「それじゃあこの契約書にサインを……」

 ふわりと差し出された一枚の薄っぺらにサラサラサラっとサインする。

「良いのか? 読まなくて」

「こんな美味しい話、誰に取られてなるものか!!」

「そうかそうか。喜んでもらえて何よりだ」


 ロビン。年、二十四。レーヴ王国の大人物。


 これが本当の大逆転だ!


(つづく)

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