理論武装

旗尾 鉄

第1話

 部屋で寝転がってマンガを読んでいたら、ノックもなく母ちゃんが入ってきた。


「あーっ! やけに静かだと思って様子見にきたら、またマンガ読んでる!」


 僕の至福のひと時に、一気に緊張が走る。


「ちょっとケンジ、なにこの部屋! ぐちゃぐちゃじゃない! お母さん、年末から部屋の掃除しなさいって何回も言ったよね? 全然やってないでしょ?」


 確かに、部屋は散らかっている。マンガ本とか、脱いだ靴下とか、ペットボトルとか、そういうものが溢れかえっている状態だ。あえて一言で表現するなら、『ぐちゃぐちゃ』だ。だが、これには理由がある。


 僕は四月から中学生になる。中学では野球部に入部するつもりだ。部活をやるとなると、帰りはけっこう遅くなって、自由な時間は減る。だからその前に、クリアしておきたいゲームもあるし、マンガも切りのいいところまで読んでおかないといけない。部屋の片付けなどにうつつを抜かしている暇はないんだ。


 いつもならカラ返事でやりすごす僕だが、今日は違う。こんなこともあろうかと、親友のミツグと相談して対抗策を考えてあるのだ。ミツグは本が好きで物知りだから、こういう時は物凄く頼りになる。


「お言葉ですが母上、エントロピー増大の法則って知ってますか?」


 僕は説得力を持たせるために、きちんとした日本語を使った。この一戦に、僕と二人の弟が春休みを楽しく遊んで過ごせるかどうかがかかっている。三兄弟の長男として、ここはビシッと決めなければならない。


「母上!? なにそれ? エント……なんだって?」


 母ちゃんは、きょとんとしている。僕は一気に攻勢にでた。


「物理法則です。物質はみな、乱雑で無秩序になろうとするものなんだ。お湯と水を混ぜると、ぬるま湯になるんだ。僕の部屋も同じなんだ。クローゼットに物を全部押し込んでも、また元に戻るよ。自然の法則には逆らえないんだ」


 ミツグに教えてもらったキーワードは全部言えたはずだった。だが、母ちゃんは自然法則よりも強かった。


「ヘリクツ言わない! だいたい、それはクローゼットに押し込むだけで終わらせようとするからでしょ! クローゼットの中もちゃんと片付ければいいじゃない」


 これは思わぬ反撃だ。想定外だったので、僕は上手く反論できない。ミツグよ、この理論には穴があるんじゃないのか?


「いいわね、春休みの間にやりなさいよ!」


 母ちゃんは出ていった。作戦は失敗だ。こういう新しい理論は、権力者かあちゃんには否定されがちなんだ。あとでミツグに電話して、あいつも同じミスを犯さないように教えてやらないと。


 地動説を否定されて裁判にかけられ、『それでも地球は回っている』と言ったガリレオの気持ちを、僕はしみじみと噛みしめていた。

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理論武装 旗尾 鉄 @hatao_iron

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