卒業・人生最後の通信簿

Kurosawa Satsuki

独白

プロローグ(序幕):


ここは何処だ?

お前は誰だ?

お前は私だ。

私はお前だ。

どうしてここにいる?

理由もなくここにいる。

真っ白だ。

視界に映るのは真っ白な世界。

私は死んでいるのか?

それとも、死に損ねたのか?

死に損ねたってどういう事だ?

私は、死にたかったのか…?

…………………………………………

私はかつて、男だった。

夢を諦めた情けない男だった。

人の不幸で笑顔になる奴だった。

惨めで愚かな人間だった。

愛する者さえいなかった。

そして、冴えない物書きだった。

私が覚えている情報はこれだけだ。

男の私は、何を書いていた?

男の私は、自分の理想を書いていた。

男の私は、自分の生涯を書いていた。

泣けもしないちっぽけな人生を大袈裟に書いた。

同じ話ばかり書いていた。

彼の書く話は、どれもつまらない話だった。

知人に見せたら笑われたのだ。

私も笑った。

その後、泣いた。

今までの人生で一番の悔し涙だった。

どうして分かってくれないんだと、

出来ないことを他人のせいにした。

本当に、老いても子供のままだった。

変われなかったわけじゃない、

変わりたくなかったんだ。

死にたいです。

疲れたんです。

もう、生きたくないんです。

志望理由の記入欄にそれだけ書いて、

専門の窓口に提出した。

ここは、死後の世界。

私が書いた小説の舞台と同じ場所。

小説の中では、少女が人生をやり直し、

他人の為に奮闘したり、心身共に成長していき、

少女が報われる結末なのだが、

生憎、私がいる此処は小説の中とは違う。

死因は、入水自殺。

三回目でようやく死ねたんだ。

最初は、自宅で首を吊ろうとしたが、

紐が上手く結べずに失敗、

二回目は、企業ビルに不法侵入した後、

飛び降りようとしたところで警官に捕まった。

尋問の際に洗いざらい話したが、

誰からも相手にされなかった。

妻の浮気、交通事故よる片腕の損傷、

きっかけは、なんでもよかった。

ずっと死ぬ口実を探していた。

目の前には、白い毛皮の人語を話す生物がいる。

女の声で、先程渡した用紙に書かれた私の薄っぺらい人生を淡々と読み上げている。

「勿体ない事をしてしまいましたね」

「それはお前にとってはだろ?

俺にとっては必要だった」

「何れにせよ、貴方の場合は取り返しがつかないので、戻る事はできません。ですが...」

彼女は、何か重要な事を言いかけたようだが、

最後まで聞けず、右側の扉に入るよう指示された。

当然、この先に何があるのかを私は知っている。

神様的な存在の少女がいて、

つまらないやり取りをしながら、

このまま消えるか、

また一から人生をやり直すか、

転生して新しい人生を始めるかを少女が決める。

ここまで全部、私が書いた話と同じだ。



モノローグ(独白):



小さな光が地上に落ちた。

小さな光に命が宿った。

やがて命は形になった。

それが第二の人生の始まりだった。

汚い光の新たな器は、私の理想そのものだった。

一応これでも真面目だったんだ。

誇れるものは何も無いが、

何とかして場の空気に馴染もうとしたり、

自分でも出来る仕事は、サボる理由を探す事も無く、

真っ直ぐに取り組んできた筈だ。

他人からどう見られていたのかは定かではないが、

人並の努力はしてきたと、私は思っている。

裁かれる程の重罪を犯した訳でもないしね。

だからこそ、今の私がある。

私を嫌いな神様も、

私の願いを聞き入れてくれたんだと思う。

だが、これはあくまで借り物だ。

死んだはずの少女の体だ。

いつまで彼女の親を騙せるのかは分からない。

どの道、バレるのも時間の問題だろう。

そうなる前に、用事を済ませなければ…

「めぐ、ご飯よ」

リビングの方から、私を呼ぶ母の声がする。

昔に書いた物語と同じ台詞を聞きながら、

私の今日が始まる。

そして、学校から帰れば、

「おかえり」と、暖かい言葉を貰い、

学校での一日を無邪気に語る。

もちろん、こんな平和な日々が長くは続かない事も分かっている。

いつかは、二人(両親)に全てを明かさないといけない。

そして、明かした事で親子関係に傷が付き、

場合によっては家を追い出されたり、

取り返しのつかない事になる可能性も否定は出来ない。

というか、そんな事を考えている余裕はない。

「USB?」

青い瞳の白猫が、赤いUSBを咥えてやってきた。

「君の忘れ物だよ」

日本語を流暢に話す白猫。

夢の中で出会った猫なのだろうか?

いずれにせよ、このUSBが私のもので間違いない。

鈴のストラップが付いているのが何よりの証拠だ。

「どうしてこれを?」

「死んだ後も大事に握り締めていたでしょ?」

「勝手に取るなよ」

「預かっていただけよ」

そう言って白猫は、脇目も振らずに去った。

今の私には、やるべき事がある。

過去に持っていた、大切な物を探す。

服や玩具は何とかなる。

問題は、昔読んでいた小説。

それと、自作小説が入っているもう一つのUSB。

記憶が曖昧で、何処に隠したのか思い出せない。

確か、来世の自分へ書いた手紙もクッキーの缶箱に入れたはず。

読んでいた小説だって、十何年も前の作品だから、在庫があるかどうかも分からない。

お小遣いを貰っていないが、

一年前から親に内緒で株を始めたので、

お金に関しては問題ない。

ネット通販でも、

代引き払いだから、バレる心配もない。

「お届け物でーす」

早速、三日前に注文した物が届いた。

Tシャツと、白のジップ付きフードパーカー、

膝までくらいの短いジーパン、黒のスニーカー。

このセットは、私が昔に着ていた服なのだ。

というか、これくらいしか服持ってなかったし。

「良し」

購入した服を、一度試着してみる。

子供用のレディースだから、昔着ていたのとは若干異なるが、我ながらピッタリだと思う。

懐かしくもあり、やっぱりパーカーはしっくりくる。

言い訳は、どうしよう。

とりあえず両親には、おばあちゃんから買って貰ったとでも言っておこう。

今夜は二人共、仕事で遅くなるらしいから、

久しぶりに料理でもするか。

冷蔵庫には、牛乳とお肉などがある。

ふむふむ、カルボナーラか。

この食材なら、シチューも作れるな。

余った牛乳でプリンを作ろう。

プリンは、バニラエッセンスと牛乳と卵と生クリームを混ぜてカップに入れて茹でれば簡単にできる。

さて、出来上がった事だし、食べるか。

「いただきます」

…………………………………………

この前母に、将来の夢について聞かれた。

絵を描く人と母に言ったら、かっこいいねと褒められた。

私にとっては、そう思わなかった。

これしか道はないと、一度本気でアニメ監督を目指したが、結局失敗に終わった。

やる気は遅いのに、諦めは早い。

昔からの悪い癖だ。

それに、飛び抜けて上手い訳でもない。

所詮は小学生レベルだ。

それでも、絵を描く事、

物語を書く事だけは相変わらず好きだった。

………………………………………

この学校の音楽室のピアノは、呪われている。

そのような都市伝説が広まったのは、

つい最近の事。

ひとりでに鍵盤が動くだとか、

弾いたら呪われるだとか、

よくある、ありがちな話だ。

だから、そんな話を信じる音楽の先生は、

普段からこのグランドピアノではなく、

電子ピアノを使っている。

新しく買えばいいのに。

そう生徒にも言われ、校長先生に頼んだものの、

結局、買って貰えなかったらしい。

もちろん、全部デマだ。

と、私もそう思っていたのだが、

珍しく、霊感という便利な能力を持った私は、

その呪いの正体を見てしまった。

「そのピアノ、好きなんだな」

私は、ピアノを弾いていた少女に声をかける。

すると彼女は、私の直ぐ存在に気づき、後ろを振り返る。

ここに居たってどうにもならない。

立ち去るように告げるが、少女は椅子から動こうとしない。

それどころか、

このピアノ、悲しんでいる。

寂しいって、泣いている。

などと、妙な事を言う。

「私だって弾けるもんなら弾きたいさ。

ただ、レッスンも直ぐに辞めちゃって、

今は、簡単なものしか弾けないからな」

「例えば?」

「パッヘルベルのカノン…とか」

私が曲名を言うと、彼女はクスッと笑った。

いや、笑うなよ。

ヨハンパッヘルベルに失礼だろ。

「なら、私が教えてあげようか?」

「幽霊に教えられる義理はない」

そう言うと、彼女はまた笑った。

「私は幽霊じゃないよ、影が薄いだけ」

「それでも、流石に人がいるって気づくだろ?」

彼女は何も言わず、首を横にふる。

「まぁいいや、弾きたい曲があるんだ。

ピアノ、教えてくれないか?」

……………………………………

中学に上がっても、私は相変わらずだった。

男に恋をする訳でもなく、嫌われる訳でもない。

平凡で退屈な日々を過ごしていた。

とはいえ、この平和な時間が私は好きだった。

一人でのんびり空を眺めるのも、

休日に友達と出かけたり、

家に篭って創作活動に勤しんだりするのも、

昔からの私らしい生き方だった。

そんなある時、

公園のベンチで花のスケッチをしていると、

死ぬ前の小学時代の友人に再会した。

彼は、とある高校の美術教師を務めているそうで、

私の事は一切覚えていないようだった。

だけどまた、彼と仲良くなった。

以前のように、優しく接してくれたし、

彼から勉強面で色々と教わった。

私は改めて、彼が親友でよかったと思った。

「信じて貰えないのは分かってる。

だけど、これだけは言わせて…」

私はようやく、彼にありがとうを言った。

憧れでもあり、親友でもあり、そしてこっそりライバル視していた存在。

私が絵を描く事だけ諦めなかったのは、

彼のおかげなんだ。

「急にどうしたんだ?変な奴だな」

「変なのは昔からだよ」

まぁ、人の真似をするのは、相変わらずだけど。

「よかったら、君の絵を見せてくれないか?」

「いいよ、模写だけどね」

私は、スケッチブックに彼の顔を描いた。

「アニメっぽいな」

「元々、アニメ志望だったんだ」

「けど、悪くない」

その言葉をずっと待っていた。

「どうしてアニメの方に行かなかったんだ?」

「そっちはもう、諦めたんだ」

結局私は、生まれ変わっても色んな事から逃げてばかりだ。

改めて考えると、自分で自分が情けない。

「なら、今度は何になりたいんだい?」

それが解れば、ここにはいないよ。

………………………………………………

私には前世の記憶がある。

今では考え方が女性らしく変わりつつあるが、

彼の残したものや彼がこれまで抱いてきたものを、

私は、誰よりもよく知っている。

忘れつつあるのは、嘗ての友の名前くらいなものだ。

そうだ、少しばかり過去の話をしよう。

これは、私がまだ男として生きていた頃の話。

今までの私は、自分が好きだけど嫌いだった。

男として生きてきて、ろくな目に遭わなかった。

それも全て自分のせいだという事くらい、

馬鹿の私でも気づいていた。

今まで人を傷つけてきたのだから、

当然の報いだと言われればその通りだ。

嫌われ者の人生でも、

自分に手を差し伸べてくれた人がいた。

例え、狭い視野の中で世間を憎んでいても、

笑顔を向けてくれた人がいた。

温もりが、支えが、幸福が確かにあったんだ。

それに目を向けず、独りよがりの涙の末に、

死んだら死んだでこのザマだ。

遺書の内容も大した事は書けなかった。

過去の過ち、後悔と失意の念を綴っただけ。

自分だって人の事言えないくせに、

出てくる言葉は文句ばかり。

変な思想に囚われて、人の教えを否定して、

結局たった一人の我儘が、何十人を不快にさせた。

そして、死に際に願ったのは、

女に生まれ変わりたいという、

傍からしたら馬鹿げたものだった。

自分で自分の機嫌を取り、他人の言葉に従って、

嫌いな奴に殴られようが、罵倒されようが、

抵抗もせずに頭を下げた。

言い訳にしか聞こえないかもしれないけれど、

これでも一応、自分なりに頑張ってはみたんだよ。

それは決して、信仰が途絶えたからではない。

色んな事が足りてなかった。

本当に、ただそれだけの事。

私にとっての人生とは、反省の日々だ。

そんなある時、ドナーの募集欄を見つけた。

心臓のドナー募集中。

適合検査をした後、患者に提供されます。

募集項目には、そう書いてあった。

私も一度、人に命を救われた事がある。

何百人という患者の中から選ばれたのだ。

その中で、同じ手術を受けて死んだ者もいた。

それなのに、亡くなった彼らや、

懸命に救ってくれた医師の事など忘れ、

毎日のように死にたいと考えるようになった。

愚かな男だ。

反省してもなお、それでも死を望んでいる。

命を粗末にするな。

そう思われるかもしれない。

けど、

確かに私は、恩返しをしたいと思った。

少女を助けたいと思ったのだ。

無駄死にするよりも、無駄に時間を浪費するよりも、

遥かにマシだと思った。

私は迷わず、ドナー提供に申請し、

病院へ向かった。

ベットに横たわり、検査をした後、

少女のいる手術室へと足を運ぶ。

直ぐに結果が出て、適合率は七十パーセントだった。

問題ないと判断され、手術は予定通りに開始した。

少しずつ視界がボヤけ、意識が朦朧とする中、

私は、願いを一つ胸に抱いて死んだ。

その時の年齢は、三十五歳だった。

長く感じていた日々も、今思えば呆気ない人生だった。

本当は、とうの昔に答えが出ていたんだ。

私に足りないもの、それは愛だった。

自分の書いた物語の主人公の隣には、

いつも優しいヒロインがいた。

今までひた隠しにしてきた思いを理解してくれる人に、自分は愛されたかった。

本気で愛すことが出来る異性が欲しかったんだ。

一緒に生きよう。

誰かにそう言って貰いたかった。

寂しかったんだよ。

結局、私の我儘は誰にも届かなかったようだけどね。

…………………………………

「あった、これだ…」

ついに私は、宝箱の手がかりを見つけた。

行き先は、東京のど真ん中。

ひとり暮らしをしていたボロアパートの庭。

地図の示す通りに行けば、たどり着くはず。

携帯、財布、筆記用具、シャベル、ハンカチ…。

全部、鞄に詰めた。

私は直ぐに、昔住んでいたボロアパートへと向かった。

電車に揺られて一時間、ようやく目的地にたどり着いた。

私が住んでいた部屋には、黄色の立ち入り禁止のテープが貼ってある。

どうやら、誰も住んでいなさそうだし、あの時からそのままにしているようだ。

扉は開いたままなので、玄関から堂々と入る。

部屋の中は、一応片付けてある。

あの大家さんなら、面倒くさがって業者も雇わないだろうと思ったが、正解だった。

押し入れには、小さい金庫がある。

パスワードは、分かっている。

中身を開けると、二枚の手紙と死ぬ前に貯めていた貯金百二十万円が入っていた。

二枚の手紙のうち一つには、宝箱の隠し位置が示されている。

私は、それを元に土を掘り返す。

右端の二輪のたんぽぽが咲いている所。

「あった」

そして、ようやく見つけた。

箱の中身は勿論、原稿用紙とUSB。

それと、また二枚の手紙。

けど、この二枚の手紙には、封がしてある。

中身はというと、個人情報の書かれたものと、

好きだった曲名、小説、今までの後悔、来世の自分へ書いた約束…。

「結局、何一つ変わらなかったよ…」

馬鹿で根暗でオタクで、

都合が悪くなれば直ぐ人のせいにする。

自分にすら平気で嘘を吐き、

他者の前では、自分は大丈夫だとニコニコする。

結局、性別が変わっても、

それ以外は何一つ変わらなかった。

それが君の選んだ結果だ。

なぁ、そろそろ辞めないか?

…………………………………

俺は、私は、ちゃんと理想の自分になれただろうか?

描きかけの絵を捨て、ふと窓の外を見る。

窓ガラスにあの頃の自分が写っていて、

「これでよかったのか?」

と、問いかけてくる。

私は窓の方に歩み寄る。

分からない。

私は左手を窓の方にかざす。

同時に過去の自分も 私の左手に重ねる。

「もう一度試してみる?」

また 過去の自分が問いかける。

「もし今の人生が嫌なら、

自分の望んだ結果じゃないのなら、

もう一度自殺すればいい。

そしたらまた 人生を1からやり直せる。

だからさ 死ねよ。

また あの日みたいに…」

気がつくと私は、あの日に飛び降りようとしたビルの屋上の鉄格子に立っていた。

また私は、死ぬのか?

あの日のように自分を殺すのか?

大人が嫌いだった、理不尽な社会に楯突いて、

自由と平和を求めた(自分にとって都合の良い世界)。

けど結局どこにも居場所がなかった。

理不尽なこの世界と、自分の無力さに絶望していた。

昔の私には叶えたい夢があった、希望があった。

私は、優しい人になりたかった。

困っている人を助けたかった。

立派な大人になって 自分を助けたかった。

王様になりたかった、世界を救いたかった。

幼い頃の自分に誇れる大人になりたかった。

だけど、私には無理だった。

路上で凍えながらうずくまっているホームレスを無視した。

お腹を空かせた仔猫の横を見て見ぬふりで素通りした。

暗い音楽を好むようになった。

嫌われたくないから自分を偽った。

嫌いなものが、嫌いな人が増えた。

住宅街を歩くと、いつも近所の犬に吠えられた。

いじめが嫌だから学校をサボった。

残酷な現実から目を背けた。

他人の良心を拒み、大切な人を傷つけた。

誰もが自分の前からいなくなった。

何もかも失った。

そして気がつけば、周りと同じ、醜い色に染まっていた。

いじめで苦しむ者、虐待に苦しむ者、

DVに苦しむ者、借金に苦しむ者、

沢山見てきた、ただ見ることしかできなかった。

テレビを付けると、いつものいじめで自殺をした子供のニュース、アフリカの貧困でお腹を空かせて死んでいく子供、社会で苦しむ子供達をテーマにしたドキュメンタリー番組、

政治家達の無責任な言動、今日も自分らの利益のために、どうでもいい事で争っている。

私は、何も分からなくなった。

そして、考えるのをやめた。

自分の人生に嫌気が差したと言えば嘘になる。

三十代のどこにでもいるおっさんでも、売れない作家で、語彙力無くて、メンタルが弱くて、馬鹿でノロマで、嘘つきで、無愛想で、臆病者で、嫌われ者で、最低で最悪な常人以下の人間だった私でも、 最低限の夢は叶えたはずだ。

幸せだったはずだ。

けれど、もう限界だった。

みんなみんな苦しい思いをした。

沢山沢山辛い思いをした。

痛い思いをした、怖い思いをした。

ならもう、十分じゃないか。

そして私は、あの日ここで、飛び降りて死んだ。

他人にとっては大した事ないはずなのに、誰もが通る道なのに 、ごく普通のどこにでもある当たり前な事なのに、

自分にとってそれが 死と同じくらい 辛く大変な事だった。

もう一度ここから飛び降りたら、

今度こそ 死ねるのだろうか?

また、一からやり直せるのだろうか?

今度こそ 自分が望む結果になれるだろうか?

「お前は誰だ?」

私は私だ。

目の前に立つ男もまた、私なんだ。

所詮はこの男も、

私の心が生み出した幻想に過ぎないんだ。

彼は紛れもなく、私の偽物だ。

今までの私は、全部嘘だった。

今までの私は、仮物に過ぎなかった。

今までの私は、私が望んだ私じゃなかった。

私は、私は、私は…

私はただ、愛されたかっただけなんだ。

自分の存在意義を、生きてる理由を知りたかった、理解したかっただけなんだよ。

こんな事になるなら、こんな思いをするくらいなら、生まれてこなければよかった。

「お前も私を愚弄するか?

皮肉で可哀想な奴だと罵るか?」

私は今まで理想の、本当の自分を探してきた。

だが、何もわからなくなった。

その結果、お前が生まれた。

本当に申し訳ないと思っている。

「嘘つくなよ。

俺はそんな心にもない謝罪が聞きたい訳じゃない」

私は女になりたかった。

そして、私は女になった。

だが、結局何も変わらなかった。

今もこうして、死にたい死にたいと、

弱音を吐いて、その度に自殺を測ろうとした。

「なら、俺はどうすればいい…?」

消えてくれないか、私の為に。

目障りとか、そういう意味じゃない。

今から私は私自身を裁かなくてはならない。

自分で自分に制裁を与える事が、

君らへの、せめてもの償い…。

「ふざけるな…。

お前は本当に、それが正しい決断だと思っているのか?」

あぁ、そうだ。

私は自分で自分の首を絞める。

死ぬことは怖い事では無い。

この世に生まれた生物なら、誰もが通る道。

始まりがあれば終わりがある。

私は私という人生に終止符を打つ。

「めぐちゃん!」

母の声が遠くの方から微かに聞こえる。

だが、今の私にはそんな事はどうでもいい。

「俺は…俺は望んで生まれてきたわけじゃない。

お前、言ったよな?

自分がこの世界に生まれたのは、貧乏で報われないのは、負け組人生なのは、全部神のせいだって。

俺がその言葉、お前にそっくりそのまま返す。

もう一度聞く、これがお前の理想なのか…?」

ごめん。

私にも分からないんだ。

どうしたいのか、どうすりゃいいのか…

その答えが知りたくて、この物語を書いた。

最初は、私だってこんな結末なんて望んじゃいなかった。

誰もが願った理想の世界。

絵本や紙芝居でありがちな、

めでたしめでたしのハッピーエンドで、綺麗に終わらせるつもりだった。

けれど、書いていくうちに分からなくなった。

物語の主人公と今いる自分の心境を重ねていたら、いつの間にか取り返しのつかない事になって…

だからもう、終わらせたかったんだ。

何もかも捨てて、自分を殺す。

それが私の、最後の願いだった。

「お前、本当にそれでいいのか?

才能がないとバカにされ、弱いやつだと罵られ、

女みたいだのなんだのと言われ、

そのうえ、人格まで否定されて、悔しくないのか?

女になりたいと思うなら女になれ。

強くなりたいなら強くなれ。

絵が描きたいなら描けばいい。

ピアノを弾きたいなら弾いたらいい。

音痴だからなんだ?

練習すれば、上手くなれるだろ。

お前はお前だ。

それ以上でもそれ以下でも、それ以外でもない。

自分で自分を否定してどうする?

他人からの誹謗中傷に耳を傾けるな。

周りからの評価を期待するな。

誰がどう言おうが勝手だ。

せっかくの人生だ。

世界は自分中心に回っていると思った方がマシだ。

やりたいようにやればいい。

お前には自信が足りないんだよ。

その諦めぐせを辞めて、一歩前に足を出せ。

もう一度だけ問う。

お前の、本当の望みはなんだ?」

物語を…書きたい…

自分だけの…特別な…

誰にも書けない、そんな物語を…

私は書きたいんだ。

コピペばかりの作品なんかじゃなく、

自他共に認めるような、そんな本物を書きたい。

「それでいい。答えは得た。後は、お前次第だ」

あぁ、そうだ。

本当は、他の作品みたいに心を動かされ、思わず涙が溢れる程感動する、そんな物語を書きたかった。

けれど、私の書いたものは違った。

薄汚い、物語のキャラ達が不幸の末死んでゆく。

感動も共感も涙もクソもない、失敗作ばかり。

私のしている事は、ただの人殺しだ。

本当に、ごめん。

「死んじまったもんは仕方がねぇ。

ほら、笑えよ。笑った顔が一番良いって、

親や先生に言われただろ。だからもう…」

彼はそう言い残し、光となって消えていった。

「めぐちゃん!!」

母は私の姿を見つけるや否や、咄嗟に私の元へと駆け寄る。

そして、怒られるのかと震えていると、

母は自分をやさしく抱きしめた。

「もう、どこに行っていたの? 心配したんだから!

めぐちゃんがいなくなったら、私、私... 」

どう…して?

私はわけも分からず、泣いている母に抱きしめられながらしばらくの間 その場で立ち尽くしていた。

そういえば私、どうしてここにいるんだっけ…?




エピローグ(終幕):



はい、これ。


これは?


人生最後の通信簿だよ。

どう?君は今まで何を残せた?


失敗ばかりで、残せたものなんて、

人には言えない後悔だけだ。

色々あったけど、疲れたよ。

頑張ってないと思われるかもしれない。

それでもいい。

周りに笑われてもいいから、

今のうちに根を上げたい。

これ以上、壊れてしまう前に。


女になれてどうだった?


よかった。

けど、中身が同じだから結末も同じだ。

結局、変われなかったよ。

いや、変わりたくなかった。


自分が自分じゃなくなるから?


そうだ。


やっぱり、前の自分も大事だったのね。


俺の性格って矛盾してるんだよ。


あなた以外の人もそうよ。


知ってる。


そろそろ時間ね。



最後の願いを聞いてあげる。


もう無い。


本当は?


痛みなく静かに消えたい。


分かったわ。


お手柔らかに。


恐怖は一瞬よ。


それじゃ、また。


おやすみなさい。




そう言って彼女は、

私に繋がれている心電図のコードを切った。

静寂だったはずの病室に響くのは、

人が悲しむ声だった。






END

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