第一王女、デネボラ

「クラウディウス王家、第一王女デネボラ、只今帰還した!」


 まるで雷の様にその声は広間に木霊した。 


 金色の髪と瞳は、まごう事なきクラウディウス家の者である事をあらわしている。女性にしては背が高く、レヴェッキオと同じくらいの身長はあった。立ち姿は雄々しく、自信に満ち溢れている。大事な集まりを途中で中断させた事になんの疑問も持っていないようだ。


「お姉様!お帰りなさいませ!」


 そう叫んだのは玉座のうちの一つに座っていた次女、アダフェラだった。

 立ち上がり、デネボラをうっとりと見つめて頬を染めている。

 

「ただいま、わが妹。父上、南の湿原に居た魔物の軍勢は蹴散らしてまいりました。これでしばらくは奴等も大人しくしている事でしょう」

「ご苦労、デネボラ。よくやってくれた」  

「王国の為ですから。……おい、ユピテル。なぜ私が帰ってくるまで待たなかった?」


 デネボラがユピテルに尋ねる。

 

「あ、いえ、王女殿下はあと一週間は帰られないと伺っていたもので……」

「私抜きでこのような楽しそうな事を行うなど、ずいぶんと意地悪ではないか。なぁ?あと三日くらい待ってくれればよかったのに」

「あ、えと、その」


 冷たい声で問い詰めるデネボラにユピテルがしどろもどろになっている様子を見て、イヴァリオは少しだけ愉快な気持ちになる。

 

 デネボラは着ていた甲冑のベルトを外すと、肩当てと胴体を脱ぎ、その場に転がした。皆ギョッとして思わず視線を逸らす。しかし、デネボラ自身は全く気にしていないようだ。


「あー、暑い暑い。大急ぎで今回の討伐を完了させた故、ドレスに着替える暇がなかった。せっかくこの前新調したというのに」


 鎖帷子さえも脱ぎ、綿の下着が露わになる。薄い生地越しに豊満な胸とくびれた腰が見え、その美しい身体に皆が見惚れていた。

 デネボラはそのまま玉座へ向かうと、下着姿同然のその姿でレグルス王の隣にある玉座へと腰掛ける。


「デネボラ、ユピテルは私の命で今日招集をかけたのだ。許してやりなさい」

「あら、父上だったのですか?……ユピテル、すまなかったな。少し意地悪をした」

「いえ、とんでもございません」


 ユピテルは恐縮した様子で頭を下げる。


「しかしデネボラ、もう少し何か着ないと、さすがにその姿では皆が気を散らしてしまうだろう?」


 レグルス王の言う通りだった。デネボラは甲冑や鎖帷子をあちこちに脱ぎ散らかし、薄い綿のキャミソールと、ドロワーズを履いたのみである。生地が薄いせいで、豊満な乳房が透けて見えているし、透き通る様なみずみずしい白い肌が目に眩しい。

 召集された諸侯達は皆、頬を染めたり、目のやり場に困って、視線を彷徨わせたりしている。中には少し前屈みになっている男もいるほどだ。


「お姉様、これを」


 次女のデネボラが毛皮のついた赤いマントをデネボラに着せた。


「アダフェラ、ありがとう。お前は本当に気が効くわ」

「そんな……これくらい当然ですわ。お姉様の為ならばこのアダフェラ、なんだって致しますのよ」


 うっとりとため息を吐き、アダフェラはデネボラの頬に軽くキスをする。そして「きゃっ、恥ずかしい!」と声を上げながら自分の席へと戻っていった。


「父上、中断させて申し訳ありません。さぁ、どうぞ私がやってくる前から続けてくださいな」

「あぁ、そうしよう。それでは皆にカズキを紹介しようか。デネボラ、彼がユピテルが他の世界より召喚した救世主だよ」


 レグルス王がそう言うと、一輝は皆の前へと進みでた。

 王の前だというのに、一輝が緊張している様子はない。先ほど廊下で会った時と同じ様ににっこりと笑みを浮かべ、落ち着き払っている。随分と肝が据わっているやつだなとイヴァリオは思った。


「獅子堂一輝と申します。えぇと、今回はユピテル、さんに召喚されてこの世界にやってきました。まだわからない事が多々ありますので、皆さんお力を貸してください。俺も、出来ることを精一杯頑張りますので。宜しくお願いします」


可もなく不可もなく、まるで新人の騎士見習いエスクワイヤの挨拶のようだとイヴァリオは思った。


「まるで新人の騎士見習いの挨拶みたいですね」


 レヴェッキオがイヴァリオにこっそりと耳打ちした。

 

「お前、僕の心を読んだのか?」

「読めるわけないじゃないですか。しかし、あのカズキというもの、どうにも胡散臭い……俺は、彼はまだ何かを隠しているように思えます」

「同感だ」


 広間にいた皆が拍手を送り、一輝は元の位置へと戻る。


「さて、本題に入ろうか。まず、一輝についてだが、彼を補佐するのはユピテル、君だ。彼を召喚したのはアドラー家だからね。カズキには、我々に強力してもらい、魔物の討伐を行ってもらう。しばらくこの城に滞在するといい、歓迎しよう。しかし彼はまだ魔力について何も知らない。そこで、イヴァリオに、カズキに色々と教えてやってほしいのだ。狼の民が一番魔力が強いからな」

「えっ、ぼ、私ですか?!」


 いきなり自らの名前を呼ばれ、イヴァリオは動揺のあまり声を出した。


「イヴァリオは魔力研究をしているのだから、適任だろう?カズキに色々と教えてやってくれ」

「え、あ、まぁ……そうなのですが……」


 一瞬動揺したが、王の言う事は尤もであり、よく考えてみれば、これは逆にチャンスである。

 ユピテル達はカズキの力を知らしめ、イヴァリオ達を王宮から追い出そうと画策するだろうが、自分の目の届くところにカズキを置いておけば、その動向を探ることができる。


「わかりました。やらせていただきます」


 胸元に手を当て、王命を賜る。

 デネボラはそんなイヴァリオを見てニヤニヤと笑っていた。


「あの〜、少し、宜しいでしょうかぁ……?」


 手を上げて言ったのは、ミルクティー色の巻毛の少女だった。ヘーゼル色の大きな瞳が眠そうにとろんと垂れている。手足は小さく、まるでアンティークの球体関節人形のようだ。そして彼女を、同じくミルクティー色の髪を持った大男が、抱き上げたまま立っていた。


「牛の民、ジェネローザ家のマリアよ、発言を許可しよう」

「感謝しますわ、国王陛下。私、一つだけ気になってしまって。……とっても言いにくい事なのですけれど、イヴァリオ様はフルーヴァング家、つまり狼の民。彼等はこの王国の中で最も強い魔力を持ち、北の洞窟の獣を唯一封印出来る事のできる者達です。……つまりぃ、更にすごい魔力を持ったカズキ様が現れては困ってしまう方達なのでしょう?そんな人達がカズキ様にきちんと魔力について教えてくれるのでしょうか?」


 広間の空気が凍りつく。イヴァリオの額には青い筋が浮かんでいた。

 優雅に笑みを浮かべているのはレグルス王と、発言したマリアだけだ。


「あ、ごめんなさい!今、とっても空気が悪いみたい。でも、これは誰かが言わなければいけないことですよね?そうですよね?」

「……いかにも。その勇気、感謝するぞ、マリア」

「よかったぁ!マリア、ドキドキしてしまいましたぁ」


 マリアは子供の様に無邪気に笑った。


「しかし安心しなさい。そのような事はない。イヴァリオ、おいで」

「はい、陛下」


 レグルス王に呼ばれ、イヴァリオは王の前へと進み出た。膝をつき、頭を垂れる。


「フルーヴァング家は先の大戦の時より、我がクラウディウス家に寄り添い続け、共に魔物との戦いを切り抜けた盟友である。何よりも、イヴァリオの父、フェンリルは私の大事な親友だった」


 レグルスはイヴァリオの頭に手をのせる。頭を撫で、そしてイヴァリオの首についていたチョーカーを指でひっかけ、ぐいと引いた。


「その大事な親友の息子が、私の意に添わぬ事をするわけがない。そうだな?イヴァリオ」


 チョーカーを引っ張られ、イヴァリオは顎をあげたまま、掠れた声で「はい」と返事をした。

 その声を聞き、レグルス王は満足したように笑みを浮かべると、チョーカーから手を離す。

 息苦しさは消えたが、いきなり喉に空気が入ってきたことにより、イヴァリオはむせて咳き込む羽目になった。


「マリア、それにこの『首輪』がある限り、狼の民は王の許しなく魔力を使うことはできないよ。君も知っていたと思っていたが?」

「あーえっと……えぇ、えぇ、そうでした!すっかり忘れていたみたい!やだわ、マリアのお馬鹿さん。国王陛下、申し訳ございませんでした。わざわざご説明いただき感謝致しますわ」


 マリアは深々と頭を下げたが、彼女の口許には笑みが浮かび、楽しそうに自分を見つめている事にイヴァリオは気づいていた。

 マリアはわざとやったのだ。イヴァリオが皆の前で屈辱的な扱いを受けるところをただ見たかっただけ。唇を噛み、行き場のない怒りを必死に抑えていると、口の中に鉄の味が広がった。

 ふと、背後から一際鋭い視線がイヴァリオへ向けられているように感じ、振り返った。一輝と目が合ったが、それはすぐに逸らされてしまった。


「それじゃあ、カズキ様はイヴァリオ殿に魔力について教えてもらって、ユピテル殿と共に、魔物退治へ!素晴らしいですわ!なんて明るい未来なのかしら!」


 マリアは足をばたつかせ、子供のようにはしゃぐ。アリアを担いでいた大男はゆらゆらと揺れた。


「大丈夫ですか、イヴァリオ様」

「……平気だ。……あの牛女、相変わらず趣味が悪いらしいな」

「子供の趣味はわかりませんな」

「馬鹿言え、見た目は幼女でも僕と同い年だぞ。とんだ若作りだ」


 イヴァリオの言葉に、いつもは表情の動かないレヴェッキオの眼が少しだけ大きく開かれた。


「それでは今日はこれで終いにしよう。皆、ご苦労だった」


 レグルス王がそう告げると、皆広間から去って行った。

 イヴァリオも広間から立ち去ろうとすると、「イヴァリオ!」と呼び止める声に振り返る。

 第一王女のデネボラだ。


「久しいな、イヴァリオ。レヴェッキオも、相変わらず表情の変わらん男だな貴様は」

「生まれつきですのでご容赦ください、王女殿下。この度は南の湿原への遠征、ご苦労様でございました」

「なぁに、あんなのほとんど遊びと変わらないさ。斧でどれだけ魔物の首を落とせるか、騎士のサー・ガリスと競い合ったのだが、私の勝ちだった。イヴァリオ、お前も戦場に来い。男はやはり強くあらねば。いつまでも研究室にこもってばかりではいけないな」

「王女殿下、イヴァリオ様は剣術が苦手ですので」


 レヴェッキオの言葉にイヴァリオがムッとする。

 

「デネボラ様、私は魔力の研究を極めねばならないのです。それが王の為に成り得ることです。適材適所ですよ」

「また、言い訳を。しかし、私の未来の夫になりたいのであれば、せめて女くらい押し倒せねば、なぁ?イヴァリオ」


 デネボラの言葉にイヴァリオは顔を赤らめる。こういった話題にはとことん弱かった。


「しかし父上は底意地が悪いというか……。これはあきらかにアドラー家がカズキを使って、お前たちを出しぬこうとしているわけだろう?カズキが何を考えているのかはわからないが、それをイヴァリオに手伝わせようだなんて」

「まぁ……おそらくそうなのでしょうが……。しかしあの救世主様が北の洞窟の獣すらも滅することができるくらいの魔力を持っているというのなら、おそらくその方がこの国の為になるというもの。それならば救世主様にお任せしたほうが良いでしょう」

「思ってないくせに」

「ハハハ」

 

 見透かされている。


「北の洞窟の獣はフルーヴァング家の力で封印されている。南から来る魔物など私たちが倒せば良い。正直私はこのままでも構わない。父上もおそらくそうだろう。おそらく、お前たちの争いを楽しみたいだけなのだ。ゲームのようにな」


「お姉様!!そんな蛆虫と話さないで!!」


 三人が談笑していると、恐ろしい声で絶叫し、こちらへ早足で向かってくるのは第二王女のアダフェラだった。先ほどデネボラに見せていた時の笑顔はどこへやら、金色の目はつり上がり猫の様に瞳孔が小さくなっている。猫背で歯をむき出しにして、まるで別人のようだ。


「汚らわしい狼の息子が……!剣も振るえぬ弱いお前が、美しく聡明なお姉さまと言葉を交わすなんて、身の程をわきまえろ!!」

「アダフェラ、落ち着け。可愛い顔が台無しではないの」

「だって嫌なんですもの!!本当は男共と同じ空気を吸っているのだって嫌なのよ!」


 アダフェラは爪で自らの腕をがりがりと引っ搔いた。引っ搔いたところからはうっすらと血がにじみ出ている。ひどい猫背で、イヴァリオを下から恐ろしい形相で睨みつけている。


「お姉様は気高く美しいの。男なんかよりよっぽど強い、次の女王様。そんなお姉様が汚らわしい男と一緒にいたらきっと汚れてしまうわ!!奴等は卑怯で、野蛮で……!」

「わかった、わかった。私の部屋でお茶にしよう。それではまたな、イヴァリオ」


 アダフェラはデネボラの腕に自分の腕を絡ませるとそのまま引っ張って行ってしまった。

 まるで嵐が来て一瞬で去ったようだった。

 

 「相変わらずだな……第二王女アダファラ様は」


 第二王女のアダフェラは大の男嫌いで有名である。それは家族でも関係ないらしく、姉のデネボラ以外とはほとんど口をきこうとしない。そして先ほどの通り、見事なシスコンであった。


「デネボラ様の夫になる方は大変でしょうね。婚姻が決まったらまずは暗殺されないように護衛を増やさなければいけません」

「レグルス王は俺にデネボラ様を熱心に薦めてくださるが……これでは……」

「間違いなく殺されますね。というより、ベッドの上でイヴァリオ様が上になれることがまず無いと思いますが」

「レヴェッキオ、お前は、いつか不敬罪でしょっ引くからな」


 レヴェッキオは相変わらず無表情のままだった。

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