俺がこいつを追い出せない訳

あの人と同じで違う

 青葉大学前駅の北口改札を出て左に曲がり、青い看板のコンビニの脇を通って坂道を上る。坂の頂上にある、錆びた看板の『あおばこども遊園』を右に曲がってしばらく歩くと、3階建ての木造アパートが見えてきた。夜が近づき、冷たさを増す風から口元を守るようにマフラーを上に上げると、背中のリュックを軽く背負いなおして足を進める。


 今にも崩れ落ちるのではないかと思う程錆びた鉄筋の階段を1段1段上がるとき、俺はいつも小学校の非常階段を思い出す。年に数回ある避難訓練の時にしか使わない雨ざらしの古い階段は、小さな足で踏みしめる度カン、カン、と音が鳴って怖かった。その記憶のせいで、同じような階段は今でもなんとなく好きになれない。


 階段を上がり切った3階の右奥。木製の扉についた銀のドアノブを恐る恐る触る。カギはかかっていないのでノブはゆっくりまわったが、この時期は静電気が恐ろしい。強く握らずに、そのまま静かに扉を開けた。


「またお前は……」


「おかえり~」


 ワンルームの部屋は、電気も点いておらず薄暗い。春が近いとはいえ、17時にもなると陽は落ちかけて暗くなってくる。後ろ手に扉を閉めると、カーテンで窓を遮った部屋がもう一段階暗く沈んだ。その中に、蓄光ライトのように薄く滲む金色が1つ、ぼんやり見える。


 電気を点け、荷物をおろして手を洗う。部屋の中央では、金髪の長細い男が大きな体を広げ寝そべっていた。その周りには、食べかけのポテチ、飲みかけのペットボトル、雑に開かれ床に置かれた漫画本。畳の部屋を覆うこれでもかという怠惰の結晶にため息が出る。どうしたらここまで部屋をぐちゃぐちゃにできるのか。とりあえず漫画本を拾い、無駄に長い足に軽く蹴りを入れた。


「いてっ」


はやしお前、大学来ないと単位やばいんじゃないのか」


「まあね~いざとなれば教授泣き落とすしかないかも」


「そんなことになる前に授業に出ろ」


 はいはい、と背中越しに返事が聞こえたと思ったら、手に持っていたスマホの向きを変えてゲームを始めた。こいつは基本的に人の話を聞く気がない。都合が悪くなるといつもこうして、たいして真面目にやってもいないアイドル育成を始めるのだ。呆れてちらりと見た画面には「リンリン」の文字。この男のプレイヤーネームらしいが、身長185cmのひょろ長い金髪男が、林倫太郎はやしりんたろうでリンリンはどうなのだろうか。


 しばらく散らかったゴミを拾っていると、ゲームにも飽きたのか、林は眠そうに目をこすりながら体を起こした。さっきまで自分が散らかしていた部屋を一通り見回して、あくびをする。


「マジメ君もきれい好きだねえ」


「当たり前だ。あんな汚い部屋で生活できる方がおかしい」


「別にいいじゃんそんなに片づけなくてもさ」


「よくない」


「なんで?」


 林は心底わからない、という風に首をかしげてこちらを見ている。染めたは良いものの、染め直すのが面倒、と話していた頭のてっぺんは黒く主張して、それがまた俺をイラつかせる。ちょっときれいな顔で女にモテるからって、今のは絶対に許されない。畳の跡がついた頬を右手で強めにつまむ。くそ、スベスベなのがまた腹が立つな!


「ここが俺の部屋だからだよ!」


「いひゃい」


 はなして、と俺の腕を掴む林の両手を振りほどくと、残りのゴミをゴミ箱に叩きこんだ。あとで掃除機もかけないと……。せっかくの土曜日に、1日バイトして帰宅したら部屋がぐちゃぐちゃでした、なんて、誰でも怒るだろ普通。疲れているのに、家に帰っても休まらない。


「そもそもマジメ君がこんな鍵もかからないボロアパートに住んでるのが悪いんじゃん」


「不法侵入で通報してやろうか」


 右手で頬をさすりながら、俺のことをマジメ君、と呼ぶこの男と不運にも知り合ってしまったのは、大学1年の春。たまたま同じ講義の隣の席で、初っ端の講義なのに筆記用具から教科書から何もかもを忘れてきたこいつに話しかけられてからだった。


 そこからことあるごとにひっつかれ、こうして部屋にも居座られることになってしまった。最初の頃は週に1度程度だったのが、1年経った今ではほぼ毎日である。このアホ曰く、自分の家に1人でいると寂しくて死んでしまうらしい。なんだそれは勝手に死ね!何が悲しくて6畳のワンルームにでかい男2人で寝なきゃならんのだ。


 まったく……と口からいつもの言葉が出てきて頭が痛くなる。まったくもせっかくもあるかこの有害金髪でか男。寝そべるだけで場所を取る癖に、えらそうに人の漫画勝手に読みやがって。


「お前彼女は」


「彼女?ああ、エミちゃんのこと?」


「そのエミちゃんとやらのところに行けば良いだろ」


「え~だってエミちゃんの彼氏にヤってるとこ見られちゃったし気まずいじゃん」


「最低だな」


 えへへ、と林は照れたように笑った。どこをどうしたら褒め言葉に聞こえるのかわからないが、断じて褒めていない。


 この男、無駄に整った顔のせいか本当に女にモテる。学内ではいつも違う女をはべらせているし、菓子やら服やら、色んなものを貢がれているのをよく見るのだ。この金髪バカ曰く、「女の子たちが勝手に色々してくれるんだ~優しいよね」だそうだが、こんな有害ゴミに母性を働かせるくらいなら、もっと良い男を見つけてそいつと赤ちゃんプレイでもしていたほうが100倍マシだと思う。


 しかし、誠に遺憾だが俺にもこの男の顔の良さは理解できないでもない。何故なら性格やら生き方やら普段の行動には全く、1mmも、これっぽっちも、なんの理解もできないが、俺がこの男を強く部屋から追い出せない理由の一端に、顔の良さが関わっているからである。


「あ、そういえばさ、今日この後倫香りんかとご飯行くんだけど」


「……だからなんだ」


「マジメ君行きたいでしょ」


 にまあ、といやらしく笑うと、林は読んでいた漫画を置いて、ゆっくりと四つん這いでこちらに近づいてきた。そんな光景は小さい頃行った動物園でも見たことはないが、その行動は、狙った獲物をゆっくり追い詰め、勝利を確信して笑うヒョウのようだ。その目は細く歪められたままこちらを見据え、座ったまま後ずさる俺をどんどん壁際へ追い詰めていく。厚めの上着を脱いだ下のセーターに、じわりと汗が滲むのがわかった。


「あれ?嬉しくないの?ほら、マジメ君がだ~いすきな倫香と同じ顔だよ?」


「……やめろ」


「わあ、顔真っ赤」


「やめろって」


「ほら、大好きだもんね?この顔」


 じわじわと膝を進めてにじり寄る林の体に押され、とうとう逃げ場がなくなった。耳元でかわいい、と呟かれ肩が跳ねる。倫香さんは、可憐で優しく笑顔の美しい倫香さんは、こんな低い下品な声で俺を誘わない。こんなねっとりとしたいやらしい喋り方で、俺の名前を呼ばない。しかし、ワックスで固められた髪が顔に当たる気配がして顔を上げれば、あの人と同じ、恋焦がれた顔がすぐ近くにあった。


「ねえ、今夜俺を泊めてくれたら、倫香とご飯食べられるよ」


 そっくりだけど似てない笑顔。閉じられた瞼にかかる長いまつげや、口角の上がった唇の形は全く同じなのに、なにかが違う。バイト先で出会って恋をした、あの人と同じ顔の双子の弟。それだけなのに、あの人とは性格も行動も何もかもが違うのに、顔の作りだけは同じ。頭が混乱して、ぐちゃぐちゃになる。


「ねえ」


 顎を掴まれ無理やり上を向かされた視界の隅に、テーブルの上で倒れたペットボトルが見える。中に残った液体が、テーブルの足をゆっくりとつたって畳に染みを作っていった。その上から、テレビとエアコンのリモコンを入れた箱が落ちて、中に入れていた爪切りや耳かきと一緒に散らばる。その光景を見て、林がゆっくりと、自分の股の間に膝を進めていたことを理解した。


「ハジメくん、お願い」


 ハジメくん。目の前で響く低い声が、あの人の明るい声に変換されずに頭を周る。獲物を捕らえたような、鈍い光を放つ目から早く逃げたくて、わかった、と小さく呟き、林の肩を両手で押した。


 やった、と顎から手を放して、無邪気に喜ぶ迷惑な友人。俺はきっと、このぐちゃぐちゃな頭の中を整理できるまで、この男を拒むことはできないのだろう。


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