第17話 最終話 悪魔が天使に戻る時

 驚いたのは陽介だけではなかった。周りの若衆たちや幹部までもが立ち上がって呆然としている。


「組長!」

「親分! 何言ってるんすか! こいつを手放しで自由にさせていいんすか!」



 しかし、組長はガっと立ち上がると周りにすごんだ。

「おめぇら、ごちゃごちゃ言ってんじゃねえ! 俺のやり方に逆らう気かぁ!」


 そして、陽介に向かってこう怒鳴りつけた。

「ボヤボヤしてねえで早く出て行け!」

 組長は更に周りを睨みつけると、

「いいか、こいつを追いかけたら俺がただじゃおかねえからな、分かったかぁ!」と凄んだのだった。


 周りの連中は、へえ……と頭を下げるしかなかったが、まだ納得がいってないようだ。


 陽介はびくっとしたがペコペコと組長に頭を下げ周りに一礼すると、急いで事務所を後にしたのだった。






 陽介がバタンと事務所のドアを閉めて出て行った途端、組長はまたドサッと椅子に倒れこむように座った。


「組長! 大丈夫ですかっ!」

 近くの若い衆が駆け寄った。

「はあ、何がだ。んんっ? 俺は今何してたんだ? 何かあったのか?」

 まるで今やっと昼寝から目が覚めたかのようにボンヤリとしている。



「何って、陽介が組を辞めたいっつうのを組長が認めてやって……」


「なんだ、その陽介って誰だ」


したの使いっぱしりの陽介すよ! 田中陽介っす!」


「はあ? そんなやつ知らねえな。俺が下っ端の子分の名前までいちいち覚えてられっか!」と怒鳴った。



 しかし、そこにいた皆がまるで狐につままれたような顔をしていたのは言うまでもなかった。


 するとその時、「大変だ! ガサ入れだ!」階下の組員が慌ててバタンと大きなドアの音を立て入ってくると、間を開けず数十人の私服の警察官たちが組長の部屋に雪崩込なだれこむように入ってきた。


「お前の下っ端が捕まったのは知ってるな? 恐喝指示並びに銃刀法違反で家宅捜査する!」

 ガタイのいい警察官の一言で、その場にいた組長並びに組員たちはたちまち包囲され、やがて出てきた動かぬ証拠類が仇となってお縄になったのは言うまでもなかった。








 そのころ、陽介は実家のある田舎へ向かう列車に飛び乗っていた。

 今まで自分がしてきたことが突然バカバカしく思えてきたのだ。

 何故そう思えるようになったのかは自分でも分からなかったが、ここ数日の間、無意識にしていた事がなぜか降って湧いたかのように命の大切さを自覚させたのだろうと感じていた。


 アメリカ人の母と二人きりで日本の田舎に住んでいた頃のことを思い出していた。とても豊かとは言えない暮らしだった。

 子供の頃に亡くなった父親は典型的な日本の頑固親父だったが、思い出すのは自分を可愛がってくれていた頃のことばかりだ。


 しかし、親父は学校でイジメにあっていた息子のことなど気付いてなかったのか、「人にされて嫌なことはするな」とか「人に迷惑をかけるな」と、息子である自分のことは何一つ理解してもくれないのに、そんな理想像ばかりを自分に押し付けてきた。


 今までその言葉に逆らうように生きてきた自分が、突然、親父に会いたくなったのだ。一度くらいは墓の前でいいから親父に褒められてみたいと思った。


 神がかりと言うが、自分が眠っていた間の記憶が、昨日突然蘇ってきたのだ。まさに自分が神の使いとなって誰かを助けていた記憶だ。

 人の優しさや愛する温かさが胸に溢れてきた。家族の無償の愛に感謝したくなった自分に気づいて、ここに来て約10年の間一度も会っていなかった母に急に会いたくなったのだ。






 だいぶ田舎へ近づいてきた頃、真っ暗な窓の外を眺めていた時のことだった。今やっと気づいたことがある。


 都内から列車の通路を挟んだ向かいのボックス席に座っていた若い女性が、外の暗さのせいで鏡のようになった窓ガラスに映る陽介と目が合う度にニコリとするのだ。昔会ったような懐かしさを覚えて、陽介も窓に向いたまま口元をゆるませた。


 駅に着く度に乗客がぽつりぽつりと降りて、自分とその女性の二人しかいない車両の通路を挟んだボックス席で、斜め向かいの窓際に座った二人は夜行列車のガラス窓に映る互いを間接的にしばし見つめ合っていた。


 やがて女性は、陽介が降りる一つ手前の駅に近づくと、すっと立ち上がった。陽介が彼女を見送っていると、彼女は通りすがりに陽介に微笑んだのだった。


 名前も素性も分からない同士だったが、陽介はなぜかまた彼女には会える気がしていた。なぜなら彼女は自分とよく雰囲気が似ていたからだ。明るい栗色の柔らかくカールしたロングヘアと同じ色の瞳が印象的で、外国人が交じった彫りの深い顔立ちの美しい人だった。見ると、女性が座っていた座席に一枚のメモが置かれていた。


 そこには『また会えますね』の一言と、電話番号と名前が書かれていた。


 陽介が慌てて立ち上がり窓を開けると、駅の改札の向こうから彼女がこちらに向かって手を振っている。

 生まれて初めて胸の中が温かい気持ちで満たされ、陽介は自分の駅に着くまでの間ずっと、今まで感じたことのなかったほんのりとした幸せな気持ちを味わっていた。気持ちを入れ直し、ここに戻って来たからこそ、やっと出会えたのだと思った。



 次の駅で降り、生まれ育った家に着くと、数年振りに叩いた引き戸が今ガラガラとゆっくりと開かれ、すこし年老いたが変わらず美しいたたずまいの母親が恐る恐る姿を現した。

 母親は大人になった陽介の姿を一目見て、震えるような両手で口を覆うと、思わず息子の胸に頬をあて抱きしめながら、言葉を発することなく止めどない涙を流したのだった。



 家の軒下のきしたで、陽介が、せて小さくなった母を胸に抱きながら見上げた夜空は、まるで真っ黒なビロードの風呂敷の上に無数の小さなダイヤモンドを散りばめたように、チカチカと輝きを放ち、この世本来の美しさを人間たちに見せてくれているかのようだった。






 『奇跡のツインレイ編』終

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