第15話 運命の人はあなた

 美羽はハッとして裕星を追って外に出たが、すでに裕星のタクシーは去った後だった。


「……これも試練の一つなの? 何度も試練を乗り越えてきたけれど、今回は裕くんに、どうして私の気持ちが通じないのかしら?」

 美羽がつぶやいていると、背後から声がした。


「お互い一歩も譲らない。それもツインレイの特徴です。

 だから喧嘩やすれ違いも起きますが、離れられない存在なので、また互いに引き合うのです」と栗栖が微笑んでいる。




「栗栖さん、本当のあなたは陽介さんという人なの? なのに、どうして神父だなんて嘘をついてるの?」

 美羽は思い余って栗栖に訊ねた。



 栗栖はしばらく遠くを見つめるようにして黙っていたが、「人間は愚かな生き物です。しかし、それなのになぜこうして愛を育もうと努力するのか。愛しくもありますね」と天を仰いだ。




「あのぉ、まったく答えになっていませんけど……」

 美羽が栗栖の顔を覗き込んで訊いた。



「家にお送りしますよ」

 そう言っただけで、栗栖は手を上げてタクシーを呼び、美羽を先に乗せて隣に座った。


 栗栖は教えられたこともない美羽のマンションの住所を運転手に告げると、「僕は下級階層のキューピッドじゃないんですから、もうこれ以上僕に心配かけないでくださいよ」と笑っている。



「栗栖さん、どうして私のマンションを知ってるんですか?」


 しかし、栗栖は美羽にふっと微笑むと、窓の外に目を向けているだけだった。





 マンションの前にタクシーが到着すると、栗栖は美羽だけを降ろした。

「美羽さん、もう、これでさよならです。まだまだ他にも仕事があるので行かなくてはならないのです。なにせ僕はアークエンジェルですから」とウィンクした。



「ア、アーク? でも、栗栖さんは一体……」


 美羽の言葉を聞く前にタクシーが走り出しだのだった。





 美羽は首を傾げて呆然と立っていたが、ふぅ、と一つため息をつくと、裕星が待っているはずの部屋へと戻って行った。


 裕星の靴が玄関に脱ぎ捨てられ、リビングのカーテンが閉め切られたままで静まり返っている。


「裕くん……」

 寝室のドアを開けると、うっすらとカーテンの隙間から光が洩れて、ベッドに横たわっている裕星の柔らかな髪に届いている。



 美羽がそっと裕星の傍に座り裕星にささやいた。

「裕くん、私を命がけで助けてくれて、生きていてくれてありがとう。私はずっと裕くんのことを信じてるよ」


「美羽……」

 眠っていると思っていた裕星が美羽の方を振り返り両手を伸ばして美羽の体を包んだ。

 そしてそのままグイと自分に引き寄せると、仰向けのまま美羽を胸に抱きしめたのだった。


「裕くん……」

 美羽は何も言わずに、裕星の胸に抱きしめられるままになっていた。



 裕星は上半身を起こして美羽を仰向けにしたその時、ハラリと薄い毛布が滑り落ちて、裕星のすべすべした裸の上半身があらわになった。



 筋肉で引き締まった胸が見えて、美羽は恥ずかしさのあまり思わず目を逸らした。


「美羽、俺がどんなにお前を愛しているか分かってほしい」

 裕星の声で、美羽はゆっくり瞼を開けた。


 薄暗い部屋の中に、カーテンの隙間から差し込んでくる光が裕星の裸の胸に当たってキラキラしている。

 その眩しさに美羽は目を細め、ふと裕星の腕に視線を移したとき、左腕の内側にほくろのようなものを見つけた。

 裕星の顔が近づいたとき、慌てたように美羽が遮った。


「ちょ、ちょっと待って、裕くん。そのホクロ、それって前からあったっけ?」


「ホクロ?」


 裕星は美羽の視線をたどって自分の左腕を持ち上げて見ている。



 美羽が体を起こして裕星の背中側から左腕を確かめると、そこに黒い小さなアザが点々と見えたのだった。



「それって、ホクロなの?」

 美羽が尋ねると、「――ああ、これか。これは子供の頃怪我をしたときに残ったアザだよ。ハハハ、父親がよく言ってたな。名誉の負傷だって」


「名誉の負傷?」



「ああ、野犬に噛まれたんだ。友達を庇って俺が噛まれた。それだけだよ」



 美羽は言葉を失ったまま両手で口を覆っている。



「ん? どうした? このアザがどうかしたのか?」



「裕くん、それって小さい頃のこと? 誰かを庇って野良犬に噛まれたのって……?」




「ああ。7歳くらいの頃だったかな……、父親が時々日本に帰ってきて……、ああ、母親とはその頃とっくに別れていたけどな。俺には日本に帰る度に会いに来てくれていたんだよ。

 年に二回しか会えない父親が遊園地に連れて行ってくれた時だったな。

 あの遊園地には、俺の初恋の子が来ていたんだ。会ったのはほんの数回だけだったけど」ハハハと笑った。



「初恋の子って? どんな子だったの?」

 美羽は確信に触れたくて身を乗り出して訊いた。



「うーん、どんなって……もう忘れたけど、きっと可愛かったと思うよ。名前も知らない子だったな。いつも俺が親父と遊園地に行く度に何故か偶然会うんだ。

 年に二回、春と秋にしか行けなかったのに、二回とも偶然同じ日に会ったな。


 それに、偶然、何度も同じアトラクションに乗って、まるで二人で遊園地に来たみたいだった。いつも笑ってる天使みたいな子だった記憶があるよ。


 あの時、親父がジュースを買いに行ってる間、その女の子とまた会ったんだ。彼女は1人で観覧車の前で泣きそうな顔をして立っていた。乗りたかったんだろうね。でも、子供一人だけでは乗せてもらえなかったんだ。


 その時、俺は何を思ったのか、その子に一緒に乗ろうって誘ってた。今よりも積極的だったな。あの子は、観覧車に乗って空に近くなれば、お母さんに会えるかもしれないって言ってた。

 あのほんの10分間の観覧車は今でも思い出すよ」



「そのとき何か話したの?」


「いや、何も。というか多分二人で黙って窓の外を眺めていただけだった気がする」



「何も話しかけなかったの?」



「あの時の彼女の寂しい瞳、今でも覚えてるよ。

 俺も年に一、二回しか会えない父親に寂しさを感じていただろ? 母親はあまり家には帰らなかったしな。

 観覧車の中でふと彼女の方を見ると、空を見ていた彼女も俺の方を振り向いて目が合ったんだ。なんだか懐かしい気がして互いに見つめ合ってた。俺たちは初めて会ったような気がしなかったな。

 ――まあ、あの時に俺は彼女に一目惚れしてたのかもな。可愛い初恋だろ?

 まさか、美羽は嫉妬なんてしないだろうな、7歳の頃の俺の初恋相手に」





 裕星は話し終えると、美羽の隣に両腕を枕にしてごろりと仰向けになった。すると、突然、思い出したように体を起こした。



「――あ、そうだよ! その女の子だ! 観覧車から降りた時だったけど、大きな野犬が突然襲って来たんだ。

 どうやら彼女の持ってたお菓子を狙っていたみたいだな。それで、勢いをつけていきなり飛びかかってきたんだ」



「――それで、裕くんがその子を助けてくれたの?」



「ああ、あの時は、野犬を怖いって思った記憶がないんだ。不思議だよな? 

 咄嗟とっさにその子を庇って彼女を抱きしめたんだ。気が付いたときは野犬に押し倒されて腕を噛まれていたけどな。


 その時の痛みだけは今でもはっきり覚えている。だけど、その子が噛まれるよりはずっと痛くなかった気がするな。


 その後、すぐ親父がやって来て、近くにあった棒切れで犬を叩いて追い払ってくれたんだけど、すぐ親父に連れられて病院で手当てしてもらった後は、それきりその子とはもう二度と会えなかった。文字通りイタい初恋の思い出だろ?」ハハハと笑っている。

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