第10話 天使の正体は悪魔

「反政府勢力って、どうしてそんなことが分かったんですか?

 それに裕くんだって私を心配してくれてるなら、連絡のひとつくらいくれても…」


 <裕星が奴を見たと言ってる事務所は、何度か暴力事件や、麻薬、恐喝、傷害事件で逮捕者が出た有名な所です。


 裕星は前にあの神父の右腕にある入れ墨を確認したことがあるらしいです。神父が入れ墨をしたり、あんな場所に出入りするなんてありえないですよね?

 裕星はあれから何度もあの事務所のことを調べ回ってたんですよ。


 美羽さんに連絡をしなかったのは、仕事の後、あの事務所の前で張り込んでいたからだと思いますよ。つい先日の夜もあの神父をそこで見かけたらしいです。


 美羽さんはあいつを信じきっているから、何かされてからでは遅いと言って、あいつの事務所を張っていたみたいです。証拠を掴むまでは美羽さんには知らせるなと言ってましたよ>




「でも……園長先生は来栖さんのことを確かに知っていました。一緒に話をされていましたし、本当に神父さんだと思います」



 <本物の神父かどうかそこまでは知りません。でも、美羽さん、くれぐれも騙されないように気を付けないと。裕星が命がけで美羽さんを守ったことを無駄にしないように>

 そう言い残すと電話が切れた。




「光太さんの言葉、裕くんが見たというのは、本当に来栖さんなのかしら?  それならあの二人組の男の人たちはもしかして……仲間? あの時、左腕しかみせてくれなかったし、あの人たちから助けてくれなかったのは、わざと私をあそこに連れていったからなの?」





 美羽はまだ半信半疑だった。しかし、裕星があそこまで怒っていた理由が光太の話したことだとしたなら、あの時の裕星の態度が理解出来る気がした。



 電話を終え集中治療室の前に戻った美羽の前で、何やら看護師があわただしく出入りしている。


「あ、あの、何かあったんですか?」美羽は急いで出て行こうとする看護師を呼び止めて訊いた。




「付き添いの方ですか? 海原さんの容体が急変したので、急いで先生を呼びに行くところです」



「容体が急変? 裕、海原さんは大丈夫なんですか?」


 美羽は真っ青になって訊いたが、看護師は、まだ詳しくはわかりませんと言うだけで、忙しそうに美羽の前から去って行ってしまった。




 美羽は集中治療室の前で、裕星がもしも危険な状態に陥っていたらと足がガクガク震えてきた。




 すると、後から一人の看護師が急いで美羽の前にやって来た。


「海原さんの付添いの方ですか? 実は、先程海原さんは病室を移りましたのでご案内します」

 そう言うと、真っ青になっている美羽を別の階の個室に連れて行った。


「どうぞ中に入ってください。中で先生からお話があります」




 美羽は今にも心臓が破裂しそうになっている。もし、病室に寝ている裕星がこれから一生瞼を開くことがなかったら……と不吉な考えが次々と湧いてきて、手足は震え喉の奥がヒリヒリとしてきた。



 恐る恐る部屋の中に足を踏み入れたが、まだ顔を上げることもできないでいる。


「どうぞこちらに……海原さんの傍に来てください」


 看護師にそう促されたとき、美羽は、あああ、と膝から崩れ落ちそうになった。


 その言葉は、まるで「最後のお別れをしてあげてください」と言われたように聞こえたからだ。



 目を伏せたまま、ガタガタと震える膝を一歩ずつ前に出して、裕星のいるベッドに近づいていくと、足元に真っ白いシーツが見えてきた。


 まだ顔を上げることができないでいる美羽は、そのシーツが冷たく無機質なものに見えて、さらにギュッと固く目を瞑って足を止めた。


 いつ、「さあ海原さんを見てやってください。安らかなお顔をしていますよ」などと、テレビドラマで観たことのあるセリフを医師に告げられるのかと思うと、これ以上側に行くことは恐怖でしかなかったのだ。



 その時、誰かが美羽に声をかけた。とうとうその時が来たか、そう思った。


「美羽……どうした、お前の方が病人みたいな顔してるぞ」

 ──裕星の声だった。



「―—えっ?」


 美羽が驚いて顔を上げると、裕星が満面の笑みをみせていた。


「俺が死んだと思ったのか? バカだなあ、美羽は早とちりなんだよ」

 アハハと笑って、イタタッと脇腹を抑えた。




「だって、だって裕くんが……」

 美羽は涙がとめどなくあふれてきた。


「泣くな。美羽は泣き虫だから、いっつも泣いてばかりだなあ」


 美羽は、何度も頷いたが言葉にならなかった。


 すると、医師の男性がカルテを手に近づいて来ると、美羽に向かって笑顔を見せた。

「もう大丈夫ですよ。有り得ない奇蹟が起きました。急所を外れていたので命に別状はないと診断しましたが、出血が酷かったので予断を許さない状態でした。

 しかし、何が起こったのか分かりませんが、さきほどから血圧も脈拍もまるで何事もなかったように平常に戻っていまして。


 診察してみると、縫ったばかりの傷口がもう治りかけているのです。こんなことは神がかりとしか思えませんね」と呆れたように首を横に振って微笑んだ。



「神さまが? あ、ありがとうございました!」

 美羽は医師に何度も頭を下げた。


 医師と看護師が出て行った後で、美羽はベッドに駆け寄り裕星の体を両手でそっと抱きしめた。



「俺も昼間はもうあのまま死ぬかと思ったよ。でも、ひと眠りしたら、ほら、かすり傷程度の痛みになってる。お前を残して死ぬ訳にはいかないからな。助かったのは、美羽がそばに居てくれたお陰かもな。美羽は本当に天使だよ」

 裕星がくしゃりと笑った。




「ううん。天使は裕くんの方よ! 私を命がけで助けてくれて。 でも……私があの人たちに襲われてるって、どうして分かったの? あんな人気ひとけのない所だったのに」



「……どうしてだろうな。──声が、聞こえたんだ」



「声?」



「美羽の声だよ。美羽が助けを呼んでた。そうだっただろ?」





「うん……でも、私は来栖さんだとばっかり」




「──そうだ、思い出した。美羽は、来栖、来栖って、あいつに助けを求めてるし、俺の方もアイツら暴漢に顔がバレたら、もっと厄介なことになりそうだからな。

 俺だって子供の頃からボクシングジムに通ってて、全国大会で優勝したこともあったからな。たとえ正当防衛だとしてもあいつらに怪我でもさせたら、俺の名前でマスコミはここぞとばかりに叩いてくるだろ? そうなれば、ラ・メールブルーは俺のせいで終わりになる。

 だから、美羽の言葉に乗っかって、栗栖のふりで顔を隠してたんだ」



「そうだったのね。 でも、わたしは分かってたよ! あれが来栖さんじゃなく裕くんだって」



「へえ、本当かあ? 何度も俺に向かって、来栖さーん、逃げてー! なーんて言ってなかったっけ?」

 傷を押えながらクククと笑っている。




「ごめんなさい。正直に言うと、最初は裕くんだって全然分からなくて……。

 でも、サングラスの奥の目を見たらすぐに分かったの。それに、昔のことを思い出したわ」




「昔のことって?」

 裕星は目を細めて訊いた。


 美羽は裕星に近づき、しっかりとその目を覗き込んで微笑んだ。


「実は昔、私が孤児院にいた時も、昨日の裕くんのように怪我をしながらも私を助けてくれた男の子がいて……」




「へえ……」


 するとその時、コンコンと軽いノックが聞こえて誰かが部屋に入ってきた。


「来栖さん!」美羽が驚いて叫んだ。




「こんにちは。海原さんは大丈夫ですか?」

 来栖は屈託のない笑顔で悪びれずに近づいてくる。その手には花束があった。



「お前……何しに来た」

 裕星は来栖を睨んだ。



「お見舞いですよ。もちろん」とニコニコしている。



「お前、美羽を危険な目に遭わせておいて、よくもぬけぬけと」


「その事でお詫びに来ました。海原さんにもこんな目にあわせてしまって、ごめんなさい。これ、お見舞いのお花です」と花束を美羽に渡した。




 美羽は花束を受け取って、花瓶に水を入れるため病室の外に出た。しかし、裕星と来栖を二人きりにすることに不安が残って何度も振り返った。


 ──あの二人、大丈夫かしら?






 病室では、来栖が先に話し始めた。


「──海原さん、お見舞いに来たのには訳があって……僕の秘密を守ってもらえませんか?」




「秘密? ああ、お前が暴力団の一員だということをか?」

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