第9話 救世主の正体は?

 大学病院の救急搬送口からタンカーが運ばれ、待機していた医師に男が引き渡された。

 美羽が男に付いていこうとすると、「付き添いの方はこちらでお待ちください」と看護師に案内されて行った。



 美羽は手術室の隣の待合室に一人ポツンと取り残され、頭の中が真っ白になっている。しかし、それでも疑問が湧いてくるのを抑えられずにいた。


 ――あれは、あの人は栗栖さんじゃない――。




 その時だった。大きな声が廊下に響き渡った。


「裕星! 裕星はどこだ?」


 待合室に入ってきたのは事務所の社長の浅加だった。


「美羽さん、裕星はどうしたの? 今日、イベントの打ち合わせに行った遊園地で、急に裕星が管理室から飛び出して行ったんだよ。美羽さんの悲鳴が聞こえたと言ってね」

 光太が眉をひそめながら話した。



「―—裕くんが?」


 すると陸が、呆然としている美羽の傍に来た。

「やっぱり、美羽さんもあの遊園地にいたんだね? 僕らは遊園地の管理室で、朝から打ち合わせしてたんだよ。昼過ぎになったころ、皆でお昼にしようって言ってた時に、美羽さんが呼んでるって裕星さんが言い出してさ。


 こんなとこに美羽さんが来てるわけないよって言ったんだけど、確かに美羽さんの声だって言っていきなり飛び出していったのさ。僕らが後から追いかけていった時には、救急車が来るわパトカーが来るわで、びっくりしちゃってさ。


 園のスタッフの人に訊いたら、男の人が暴漢ぼうかんに刺されたって言うじゃん。裕星さんは帰ってこないし、裕星さんに電話をかけたら救急隊の人が出て、いま運ばれているのが裕星さんだって分かったんだ!

 心臓が飛び出るほど驚いて急いで病院に来たんだよ。美羽さんは大丈夫だったの? ねえ、一体何があったの?」



 陸の言葉で裕星があそこにいた理由が分かったが、美羽は震えが止まらずまだ話ができる状態になかった。



 ――やっぱり、あの人は裕くんだったんだ。どうして顔を隠してたの? 私はてっきり栗栖さんだとばかり。


 すると、救急隊員から連絡を受けたシスター伊藤の代わりにやってきた親友の紗枝さえが美羽の肩をそっと抱いて声を掛けた。


「美羽、裕星さんはきっと大丈夫よ。心配いらないわ。どんなことがあっても、美羽の傍からいなくなることはないわ。裕星さんは美羽を一生守る気だもの。


 昔、あの遊園地で美羽が野犬に襲われたとき、私が美羽が観覧車に行くのを止められなくて手を離しちゃったことを今でも後悔してるの。

 でも、どこかの男の子が美羽を助けてくれてホッとしたけど、あの子は誰だったんだろうね?

 もしあの時、裕星さんがいたら、きっとあの少年みたいに命懸けで美羽のことを守っていたと思うわ」と美羽の肩をキュッと抱いた。





「―—裕くんは助かるよね? 私、怖い。私のせいで、もし裕くんが……」


「悪いことは考えないの。今はとにかく信じて待ちましょう。それしかできないもの」

 紗枝が美羽の背中をさすった。





 数時間にも及ぶ手術が終わった。幸運にも裕星を突き刺したナイフは急所を外れていたため、命には別状なかったのだが、深い傷は簡単には回復するものではない。裕星はまだ意識が戻らないまま集中治療室で一晩過ごすことを余儀なくされたのだった。



 美羽は紗枝に「一緒に帰ろう」と促されたが、どうしても裕星から離れたくなかった。


 一人でここに残ることを決め、皆が帰って行った後は、集中治療室の前のソファーで長い夜を過ごすことにした。


 何時間経ったのか、美羽は真っ暗な病院の寒々しい廊下のソファーで、看護師から借りた毛布にくるまって一晩中眠れずにいた。



 段々と廊下の奥の窓がぼんやり明るくなり始めてきた。朝日が昇り始めたのだ。

 すると、廊下の奥からコツンコツンと響いてくる靴音が聞こえた。



 看護師の見回りだろうと、音のする方をぼんやり見ていると、やがて薄暗い廊下から美羽の椅子の前の非常灯の下に現れたのは――栗栖だった。



「栗栖さん? どうしたんですかっ? どこに行ってたんですか?」


「ごめんね。君に謝ろうと思って」


「謝る?」



「君を危ない目に遭わせたこと」



「あの時どこに行ってたんですか?」



「……あの遊園地の中にいたよ」



「どうして? 私、あの時、何度も助けを呼んでいたんですよ。そうしたら、裕くんが来てくれて……」



「思い出して欲しいからね。君がトラウマになっている子供の頃のことを。そして克服できるように」


「そんなことのために……?」


「試すためさ」

 栗栖はただ静かに美羽を見つめている。



 その時美羽のケータイが鳴った。バッグを開けてケータイを取り出すと、光太の名前が表示されて慌てて電話に出たがプツッと切れてしまった。


「ああ、出るのが遅かったみたい。ごめんなさい、栗栖さん、私、電話をかけ直すので……」


 そう言って顔を上げた美羽の前には誰もいなかった。


「あれ? 栗栖さん? 帰っちゃったのかしら」



 キョロキョロと廊下を見回したが、どこにも栗栖の姿はなかった。


 美羽は廊下の端まで行ってみたが、非常口のドアはロックされている。


 ――ここは内側から鍵が掛かってるわ。


 今度は下の階に降りて、病院の受付があるエントランスホールに行った。


 エントランスの大きな自動ドアは反応せずしっかりとロックされていた。美羽は救急搬送口にやってきたが、そこも関係者が中から開けない限り鍵が掛けられたままになっている。



「変ね。栗栖さんはどこに行ったのかしら」


 すると、また光太から着信が入った。


「もしもし、光太さん? さっきはすみません、すぐに出られなくて」



 <美羽さん、朝早くすみません。寝てましたか?>



「いいえ、眠れませんでした。裕くんはまだ集中治療室にいて目を覚ましていないみたいです」



 <そうですか。実はずっと気になっていたことがあって……


「何ですか、気になったことって?」


 <裕星がこんな状態のときに言うことじゃないと思うけど、昨日、遊園地で打ち合わせすることにしたのは裕星の提案なんです。


 どういう風の吹き回しか、裕星が突然あの遊園地でフリーライブをやらないか、と提案してきたんだ。

 孤児院の子供たちだけでなく、大勢の子供たちに僕らの音楽を楽しんでもらおうと言ってね。


 遊園地の管理会社に連絡を入れたら、ぜひにということで、急遽、昨日打ち合わせをすることになったです。



 まさか美羽さんが来てるなんて、俺たちはもちろん裕星ですら知らなかったようだし、それなのに、裕星がいきなり、美羽さんの声が聞こえるって言い出して。もしかして、美羽さんがあそこにいるのはあの神父に連れられて来たからじゃないのかって。


 実は、裕星があのバザーの後で言ってたんだけどね。あの神父を以前街で何度か見かけたことがあると言ってたんです>



「街で? でも、神父さんだって街には出かけますよ」


 <―—ああ、そういう意味じゃないです。裕星が見かけたのは如何いかがわしい場所らしいですよ>


「如何わしいって? どういう意味ですか?」



 <うーん、こんなこと言っていいのかな? 

 俺も裕星に見間違いだろうと言ったんですが、あのバザーのときに近くで見て確かだと言ってました。

 あの男は危険な男で、神父でもなんでもない、ただのチンピラだって>




「そんな……どこで見かけたのか分かりませんが、そんなことで栗栖さんを悪者扱いするなんて……光太さんもどうしたんですか?」



 <悪者扱いじゃないです。裕星は何でもない人間のことを悪く言うようなやつじゃないことは美羽さんが一番知ってますよね? 

 いくらあの男と美羽さんに嫉妬したからといって、そこまで悪く言ったりはしません。美羽さんが騙されていないかと心配だったからじゃないですか?>



「私が心配で来栖さんに怒ってたんですか? でも、来栖さんは本当に優しい方だし決して悪い人なんかじゃ……」



 <あの神父が反政府勢力で有名な組織の事務所に出入りしてても、ですか?>

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