第7話 野犬のような男たち
「ああ、あの観覧車なら小学生の頃も何度も乗りましたよ」
美羽が珍しく先に声をかけた。
「小学生になってからのことは覚えてるのは当然です。あの頃のこと、5歳だった君が乗ったときのことを思い出してほしいのです。一緒に乗っていた僕のことを」
「来栖さんと一緒に乗っていたんですか?」
美羽は首を捻りながら、観覧車の窓から下を見下ろした。
遥か下になった遊園地のアトラクションが小さく見えている。
小さい頃は怖くて乗れなかったジェットコースターやメリーゴーラウンドが
自然に笑顔になって夢中で景色を見ている美羽を栗栖は優しく微笑んで見ている。
「子供の頃って、毎日無意識に生きていたと思いませんか? 大人のように、こんなすごい乗り物はどうやって作ったのだろうとか、入場料が上がったな、などと考えることもなく、心から楽しんだり。
おとぎ話だって信じていて、いつかは王子様が迎えに来ると思ったこともあったんじゃないですか?」
美羽はだんだん地面が近づいてきた景色から目を離して栗栖の方を振り向いた。
「そうかもしれませんね。私がここに連れてきてもらったときは、この遊園地がまるで自分のためにあるような、何でもできるような大きな気持ちになった気がします。
――だからなのか、私はちょっぴりわがままで、園長先生の言葉も聞かずに振り切って勝手に遊んでいた気がしますね。本当に伸び伸びさせていただいていました」
「そんな君を僕はいつだって見守っていましたよ。あの頃からずっとね」
「―—そうだ! あ……私、あの時、あなたに助けていただいたんですよね? 野良犬に襲われていたとき、私を
「野良犬? ―—ああ〜大丈夫です。何ともなかったですよ」
「―—でも、噛まれた傷は残るだろうって言われてましたよね?」
「そうでしたか? でもほら、大丈夫」
そう言うと、ジャケットの左肩だけを脱いで、タンクトップから出ている左腕を見せた。
確かに、栗栖の腕はすべすべしており、そんな大変な怪我をした形跡すら見あたらなかった。
「今の医療ってすごいんですね」
美羽は改めて感心した。それよりも、もっと心に引っかかっていたトラウマが癒された気がしていた。
――あの時の怪我が残らなくて本当に良かったわ。もし今でも残っていたら、私のせいだもの。
昼過ぎの遊園地は人もまばらで閑散としている。美羽が栗栖がホットドッグを買いに行っている間ベンチで待っていると、向こうから二人組の若者がこちらの方に向かってくるのが見えた。
二人組は美羽を見ると、なにやらヒソヒソと耳打ちをしている。
美羽は不審な二人組と目を合わせないようにして背を向けていたが、二人組は美羽が一人きりなのを確かめるように辺りをキョロキョロ見回していたが、誰もいないと分かった途端、いきなり美羽のベンチに駆け寄ってきた。
「ねえ、君。一人? 金貸してくれない? ここさ、入場料はタダなのにアトラクションに乗るのに金がかかるだろ? 俺たち、持ってる金を全部使っちゃってさ。ね、貸してくれない? でなきゃ、俺たちと一緒にカラオケとか行こうよ」
男たちは20代前半の若者に見えた。
美羽は横目でチラリと見たが、二人には答えず黙っていた。
「へえ、無視するんだ? 可愛い顔してんのに、こんなとこでフラフラして何やってんの? もしかして、彼氏とデート中?」
一人がキョロキョロ辺りを警戒するように見ていたが、「誰もいないじゃん。彼氏、どこ行ったんだよ」とニヤニヤ笑っている。
「い、
「ほお、じゃあ、その前に一緒にとんずらしようぜ! 彼女をほったらかす様な彼氏なんて置いてきぼりにしてさぁ」
じりじりと近づいてくる二人組の男たちは、たとえここに彼氏が現れても、向こうにとっては
――急いで逃げなくちゃ!
二人がまたキョロキョロしだした瞬間、美羽は急いで立ち上がり一気に駆けだした。
ハイヒールが走りづらくて、何度も足首が不安定に左右に揺れている。
「あっ!」
とうとう美羽は砂利道の小さな小石に
背後からは血相を変えて追ってくる男たちが見えた。
「おい、待て! 綺麗なお姉さん、ちょっと待ってよー!」
美羽はもう片方のハイヒールを思い切って脱ぎ捨てると、裸足で駆け出した。砂利の歩道はところどころ鋭い形の小石があり、美羽の足の裏は傷ついて血が滲んだ。
それでも必死に走りに走り、観覧車の前までたどり着いた。出口は後ちょっとの距離だったのに、とうとう二人組の男に追い詰められてしまった。
観覧車の前にいるはずのスタッフは、休憩にでも入ったのか、立ち入り禁止の看板が出ているだけで客の影もなかった。
「誰かー! 助けてー! 栗栖さん、どこにいるのー?」
美羽は声の限り叫んだが、何度叫んでも、閑散とした園内では誰かに気付いてもらえることはなかった。
観覧車の近くの、大きな音を立てて走り去るジェットコースターと大音量で音楽を流して回っているメリーゴーランドのせいもあった。
――どうしよう、どうしよう。
美羽が震えて立ち尽くしていると、二人組の男たちは、ハアハア息を切らしてやってきた。
「ふう、君、結構足早いねえ。俺たちもいい運動になったわ。ほうらね、彼氏は隠れてんのか、全然助けに来てくれないじゃん。もう俺たちと一緒に行った方がよくね?」
近づいてきて美羽の腕をグイと掴んだ男の手を美羽はバッグでバシッと振り払った。
「いってー、こ、こいつ! ふざけんなよ!」
バッグで叩かれた手を
「来ないで!」
美羽は声の限り叫んだが、園内の客がまるで煙のように消えたかのように付近には全く誰もいなかった。
美羽は二人組にじりじりと迫られ後ずさりしていたが、とうとう観覧車のゲートに背中をぶつけて動けなくなってしまった。
すると、男の一人が、
「あんまり抵抗すると、怪我しちゃうよー」とニヤニヤとしている。
絶体絶命だった。美羽は栗栖が近くにいることを祈って大声で叫んだ。
「助けてー! 栗栖さん、早くきてー!」
しかし、その声はまたもやジェットコースターの騒音にかき消され、誰にも届かないようだった。
「はーい、無駄ですねー! その声はカラオケで出してチョーだい!」
もう一人が獲物を狙う狼のように今にも美羽に跳びかからんとしている。
――もう、ダメだ。
「裕くん、助けてーー!」
美羽はここにいるはずのない裕星の名前を自然と呼んでいた。
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