第4話 幼い命の恩人

「その彼が当時の私の命の恩人というか、私が野良犬に襲われたときに助けてくれた方だったみたいです。今も神父さんをされているんですから、本当に根っからの人徳者なんですね」




「そうかもしれませんね。お父様を継いであの教会の神父様になられたのはつい最近らしいけれど、噂によれば、とてもしっかりしていて人間離れしていると言いますか、まるで本当に神様のような包容力のある方のようね」



「まるで神様……正にその通りです! どんな時も怒らず騒がず、終始大人で穏やかでした」




「ねえ、美羽。海原さんのことだけど、あなたは彼のことをどう思っているのかしら?」

 シスターが真剣な表情で改めて訊く。

「どうって……もちろんずっと一緒にいたい人です」と恥ずかしそうに口ごもって答えた。



「そうよね? 将来家族になるために今一緒に住んでいるのですものね。でも、一緒にいるとどうしても相手の悪いところが見えてくるものでしょう?」



「え? ま、まあ、それは仕方ないです。私もおっちょこちょいだし、裕くんにいつも迷惑をかけていますし」




「人は我儘わがままなものでね。自分のことはついつい見えなくなるものよ。だって見えるのは、自分の目から先のもの、つまり相手のことだけだもの。

 だから、自分のことは置いといて、相手の足りない部分に苛立いらだったり責めたりしたくなるものでしょ?


 自分がちゃんとできていなくても、見えないんですもの。相手には完璧であることを知らず知らずのうちに望んでしまう。

 たとえば、ほら、物を片付けないとか? すぐに忘れちゃうとか? ああ、そうそう、どうして私のためにこうしてくれないの? とかね」ふふふと笑った。




「シスター! すごい、どうしてそんなことまで分かるんですか? だってシスターはまだご結婚を……あ、すみません」




「ほほ、いくら結婚していなくても分かりますよ。この年まで人間をやっていればね。だけど、いくらいくつになっても人間は不完全だから、つい自分よりも相手を変えようとして愚痴を言ったりしてしまうものよ。


 たとえ女同士の友達でも、家族でも、恋人や夫婦でもね。だけど我慢はいけないわ。我慢ってマグマの噴火を上から抑え込むようなことだもの。

 だから、まず冷静になって自分のことを考えてみるの。私は今、どうしてこんなことを相手に言ったのか、と。


 そして、それでも相手を変えたい場合は、自分を変えてみる。でも、変えられないでしょ? フフフ、自分を変えるって一番難しいことよね? ただそれを知ることだけでも意義はあるものよ」



「でも、二人が一緒に上手くやっていくにはどうすればいいのでしょうか? どちらかが譲歩しないといけないのですか?」



「―—まあ、そういうときもあるわね。でも、それが理不尽と感じるのなら、譲歩はせずに話し合うことね。ああ、感情的になってはダメよ。あくまでも、自分は出来てると思うと、相手を見下してしまいがちだから。

 そうねぇ、それは二人にとっての試練とでもいうのかしら? 神様に与えられた抜き打ちテストのようなものね」




「抜き打ちテスト?」



「ええ、これはわたくしの解釈ですが、幸せな時に突然不幸なことがのしかかってくると、それは神様がわたくしにテストしてると思うことにしてるのです」



「ええ? そんなこと初めて知りました。どういうことですか?」



「人間はとても感情に左右される生き物でしょ? 自分勝手で皆自分のことしか考えていないもの。幸せである人たちは、その時は当たり前のように思うけれど、一旦不幸なことが訪れると、それを神様のせいにして恨んでしまったり。

 神様が人間を作られたのだから、人間のすべてをご存じなのよ。地上で幸せや不幸を行ったり来たりしては神様のせいにしている人間たちを冷静に見下ろしていらっしゃるのかもしれないわね。


 だから、もし嫌なことや不幸なことが起きたら、誰かのせいにして責めるのじゃなくて、それを乗り越えることが大切なのだと思うわ。


 それを私は神様からの抜き打ちテストだと思うことにしたの。テストに合格できるように努力した時、きっとご褒美がもらえるとね。そのご褒美というのが、自分の心の充実感だと思っているの」


 シスター伊藤が話していることは今の美羽に一番必要なことだった。今の自分は上手くいかないことを裕星のせいにしていたのではないか、とチクリと心が痛んだ。


「ありがとうございました。私、心が軽くなった気がします。明日、裕くんと話し合ってみます」



 美羽がお休みの挨拶をして事務室から部屋に戻ろうとすると、シスター伊藤が思い出したように美羽を引き留めた。

「ああ、そうそう、さっきのあなたと海原さんの話を聞いて思ったのだけど、『ツインレイ』のことを最近勉強したばかりなの。聴きたい?」




「ツインレイ? それは何ですか?」


「魂の片割れということよ。生まれる前は一つの魂だったけれど、二つに分かれてこの世に生を受けた片方の相手のこと。

 あなたたちは初めて会ったときに初めて会ったような気がしなかったはずよ。一目ぼれってあるけれど、それも何かこのツインレイに関連がある気がするの。


 たとえば、恋愛のようなドキドキ感がなくても、お互い惹かれ合い説明をつけられないような感覚になることや、性格が正反対なのに同じ感覚を持ち、同じことを同じ時期にしていることがあるそうよ。体調の変化まで似てるらしいわ。


 喧嘩していても惹かれ合って、お互いに折れないことでぶつかり合うのも特徴で、思い通りにならないことが多いのですって。でも、一緒にいても飽きずに離れられない存在で、離れていても傍にいる感覚があるらしいわ。二人には成長するためのたくさんの試練があるのも特徴なんですって。


 ある人は、対人関係にも変化があって、引きこもっていたのに急に多くの人と接する機会に恵まれたり、内向的だったのに心が強くなったり。そんな風に自分が変わるのもツインレイと出会ったからだそうよ。(*Wikipediaツインレイ参照)


 まあ、これはキリスト教の教えにはないことだけれど、この世界には説明のつかない不思議なことがたくさんありますからね。わたくしだってスピリチュアルを勉強してるのです」

 ホホホと笑って、デスクに置いてあったスピリチュアルの本を嬉しそうに美羽に見せた。








 シスター伊藤から聞いた『ツインレイ』のことが頭から離れなかったが、その晩は疲れていたせいもあって、美羽は部屋に戻るなり、ベッドの上でウトウト今日の出来事を考えていた。



 ――あの男の子の星型のあざ。あれは……左腕の裏側に野良犬に噛まれたところが、歯型で点々と星の形に内出血していたんだわ」

 

 あの時まだ幼かった男の子が、果敢かかんにも自分をかばって野良犬に噛まれてしまった。あれは来栖さんだったの? あの時彼はどうしたのだろうか。傷跡はもう治ったのだろうか。眠りのふちにいても美羽はずっとあの時のことを反芻はんすうしていた。

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