魔王の背中
サラリーマンなら、分かってくれると思う。自分で設定した癖に、ある着信音が流れてくると背中に冷や汗が流れてしまう事を。
「はい、岩倉です。社長何かありましたか?」
表示を見なくても、声を聞かなくても分かる。だって、俺は社長の着信音を個別設定しているからだ。
俺に冷や汗を流させるなんて、向こうだと
「今から配達頼めるか?伊庭が行く予定だったけど、まだ荷物を取りに来ないんだ」
良かった。コンビニで飲み物を買っていたのがバレたんじゃないのね。
「良いですけど、連絡とか来てませんか?」
営業先で捕まって、時間遅くなる事は結構あるのだ。場所によっては電話の電源を切らなきゃいけない時もある。
そんな時はトイレに行くふりして電話をしろって、教えておいたのに。
「電話自体が繋がらないんだよ。お前の車にトナー積んでいるだろ?それを届けてくれ」
俺は魔王だ。人間なんて片手で殺せる……お茶をダッシュボードに隠したのは、社長が怖いからじゃないんだからね。
「分かりました。あいつ、どこに行っているんですか?」
今朝、ペンダントを渡したら、凄く喜んでいた。気合が入り過ぎて逆効果になったか。
「えーっと、お前がタイムレコーダーを直しにいったアクセサリーショップだと思うぞ。それか、その前の霊園だな。あそこの園長、伊庭を気にいっていたしな」
嫌な予感がする。霊園の園長に捕まった後、アクセサリーショップに行く。
(ドールショップに行ってないだろうな)
幸い、配達先とドールショップは目と鼻の先だ。
◇
サキュバスは、一人ほくそ笑んでいた。ドールショップの棚の中、この狭い檻とおさらばするチャンスがようやく巡ってきたのだ。
数日前、魔力を手に入れようとして、ある人間に襲撃を掛けた。しかし、返り討ちに合い人形にされたのだ。
「おい、新入り。マスターから命令があるかもしれない。いつでも準備しておけ」
尊大な態度で話しけて掛けてきたのは、自称インプキングのリピード。インプとしては、強いがサキュバスの上司であるイフリートには遠く及ばない。
ましてや、あの伝説の魔王に勝てる訳がないのだ。
「はい、はい分かりました」
リピードが背中を向けた後、サキュバスはもう一度ほくそ笑んだ。
自分をこんな
(知らぬが仏って言葉を聞いたけど、本当にそうね……あの男からはジャントの魔力がプンプンする。手を出したら、リピードの一族は壊滅ね)
◇
数分前、一人の青年が店にやって来た。その青年は一体の人形を見つけると、突然涙を流し始めたのだ。
「やっと…やっと、見つけた。岩倉さんの言って事は本当だったんだ」
伊庭がドールショップに来たのは、アクセサリーショップに寄った次いでである。
今朝、岩倉からもらったペンダントの値段を聞いた後、何気なくドールショップにも立ち寄ったのだ。
そこで彼は見つけた。自分の大切な彼女と瓜二つの人形を。
そして確信した。この人形が彼女の意識不明になっている事と、何らかの関係がある事を。
「すいません、その子は売り物じゃないんですよ……へえ、こいつの知り合いか」
さっきまで人の良い笑顔を浮かべていた店主の顔が醜く歪む。方相は人形に封じられていた魂が激しく動揺したのを感じ、二人に繋がりがある事を知ったのだ。
「返せよ。恵梨香を返せ」
姿こそ違えど、生まれた時からずっと一緒にいた彼女を間違う事はない。
「お前がいたから、こいつは堕ちなかったのか……って事は、お前を殺せばこいつは完全に俺の物になる」
方相徹は気に入った女性を見つけると、その魂を人形に封じ込めていた。最初は元の姿に戻ろうと必死に藻掻くが、やがて絶望し方相に依存する様になるのだ。
その事を方相は自慢するかの様に、伊庭に伝えた。
「なんで、こんな酷い事を……」
自分の勝手な欲望の為に、女性の魂を人形に封じこめる。考えられないような悪行である。
「お前等が平和にのうのうと暮らせているのは、誰のお陰だと思っている!俺等が命掛けで、魔物と戦ったからなんだぞ。それなのに、誰も感謝しない。誰も俺を好きにならない……だから支配してやったんだよ。俺には、その権利がある……そうだろう?リピード」
方相は高校卒業後、ユニフォームガーディアンで得た金で念願だったドールショップを開いた。
幸い、店の経営は安定していたが、方相にはある不満が生まれる。命懸けで戦ったのに、卒業したら、誰からも相手にされなくなったのだ。
店の客とは良好な関係にあったが、彼等が見ているのは人形だけ……仲間だったユニフォームガーディアンとも連絡が途絶えた。
「ああ、お前はインプキングである俺様を倒した。世が世なら一国の王だ。女を好きにしても、問題はない」
そんな方相を唆したのは、リピードだ。リピードは女性の魂を気に入った人形に封じ込めれば良いと方相を誘惑したのだ。
「そうだよな。掛かれ、お前達」
方相の号令で人形が一斉に蠢きだす。そんな中、一体の人形だけは、微動だにぜず事の成り行きを傍観していた。
「新入り、お前も戦うんだよ」
リピードが激高するが、サキュバスは命令を聞く気はなかった。
あの日、なんの変哲もない人間が店にやってきた。隠しているが、その圧倒的な魔力で、サキュバスに記憶が蘇ったのだ。
「嫌よ。こっちに来なさい」
サキュバスは一体の人形を抱えると、伊庭の元へ飛んでいった。
「恵梨香っ」
人形を愛おそうに抱きしめる伊庭。
「なんの真似だ?お前を壊す位訳ないんだぞ。俺は異世界の魔王を倒した英雄なんだぞ」
激高する方相に対して、サキュバスは冷笑を浮かべる。
「魔王?そのインプが?笑わせないで……貴方達、そいつに従っていたら、一族皆殺しにされるわよ……ほうら、本物が来た」
◇
動く人形に怯えていた伊庭を庇うかの様に一人の男が立っていた。
(岩倉さん?なんで、ここに?それにこんな大きな背中だったっけ?)
それは幾万という魔族が、戦場で仰ぎ見た背中。亡くなった後でも、多大な影響を与え、いまだに多くの魔族に慕われる男の背中である。
「伊庭、ここは俺に任せて逃げろ。いつもの駐車場に社用車が停めてある。俺は大丈夫だ。今は彼女を一番に考えろ」
後輩が逃げたのを確認すると、魔王はにやりと笑った。
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