私は嫌なことがあるとインスタントコーヒーを淹れる。
いずも
あらゆる分野で理論の説明にコーヒーカップが用いられているという事実にお気付きでしょうか
私は嫌なことがあるとインスタントコーヒーを淹れる。
スプーン一杯のコーヒー顆粒にスティックタイプの粉末ミルクを二本、スティックシュガーを三本順番に入れてお湯を注ぐ。
ドリップ式とは違い、お湯を少しずつ注ぐ繊細な作業工程も必要ないし、コーヒーフィルターからポタリポタリと落ちる滴が溜まるまで待つ必要もない。そんな冷静さを取り戻す時間など求めていない。怒りだろうが悲しみだろうが、大雑把に材料を投げ入れて、滝の如く電気ポッドから放水されるお湯に自分の感情を重ねられるインスタントコーヒーの方が私は好きだ。
お湯が注がれたカップの中は混沌としていて、古事記の国産み神話を彷彿とさせる。表面は生まれたばかりの大地のように白と黒が混ざり合って、大小の泡が弾けてはカップの内壁にへばりつく。天の沼矛でいくらかき混ぜようともオノコロ島は顕現せず、むしろ陸地は平定され海だけが残る。
力なく溶けていく顆粒を眺めるのが何より楽しい。表面上は茶色く、水分を含むと途端に内側のどす黒いヘドロのような漆黒が生み出される瞬間が一番愉悦を覚える。所詮人間が作り出したものは人間と同じように、表面だけキレイに取り繕っても内側の本質は隠せないという在り方を物語っている。
それをまたミルクの白でかき消しているところが可笑しくて堪らない。溢れ出る奸譎な本性を少しでも秘匿させようと必死な姿を見るに、それは人間が持つ本能であろうと認めざるを得ない。
しかし残念なことにビッグバンは引き起こされた。
コーヒー創世記は始まっている。
ひと掻き。
コーヒー諸島はパンゲア大陸を一瞬形成しては放物線を描きながら再び散り散りになる。
ひと掻き。
コーヒー流星群はマドラーバーストに巻き込まれ、デブリとなってクレマ(泡のこと)の周囲を漂っている。
後は放っておいても勝手に沈んでいくのだけれど、そんな苦しまずに死んでいくことなど許さない。最後に表面がすり鉢状になるほど思いっきり掻き混ぜて、全てを融合させる。
均一化された宇宙は再び分離することはなく、俗な表現をすれば「覆水盆に返らず」不可逆の旅は終着駅へと辿り着いた。
私はこの雨の日のグラウンドの水溜りみたいな液体に敗北と辛酸を味わい、逆流する胃液を必死で抑え込みながら己の無力さと世界の理不尽さを嘆きつつ、なだれ込む悔しさで流し込む。
明日はもっと上手に生きられますように。
悪辣が牙を向くことなく、悪意が檻の外から出てきませんように。
一杯のコーヒーから宇宙は始まり、宇宙は終わるのだ。
*********
「――っていうのはどうですかね!?」
「いや、意味わからん」
センパイは私の宇宙論を一蹴した。
そしていつものようにメガネをクイッと持ち上げて、私の理論のほころびをつついてくる。その弁当に入ってる小さなウインナーみたいなレンズで本当に世界が見えているのだろうかといつも思う。
でも今日は違う。私の理論の正しさは私がよくわかっている。
「つまり宇宙はインスタントコーヒーと同じってことです」
「そもそもドリップ式コーヒーでもミルクと砂糖は入れるだろ」
「はっ」
「ていうかミルク二つはいいよ。いや本当はよくないけど。けど砂糖三本はヤバい。糖尿病待ったなしじゃん」
「待ってください。コーヒーカップの底に沈んだその砂糖の塊こそ天の沼矛の矛先から零れ落ちたオノコロ島の起源という可能性はありませんか」
「ねーよ」
――私は嫌なことがあるとインスタントコーヒーを淹れる。
私は嫌なことがあるとインスタントコーヒーを淹れる。 いずも @tizumo
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