キマイラ・カメラ。

透々実生

キマイラ・カメラ。

他人に他人は分からない。

自分にしか自分は分からない。


📷


「……で、どれだよ。その写真って」

 俺は溜息を吐きながら、この小綺麗な部屋の主である後輩狭見はざみに問う。彼女は写真家で、大会に出せば大方賞を取る実力者である。それだけの凄い御仁であらせられるのに、彼女は常にどこか満足していない様だった。

 彼女の写真は時代に認められているのに、彼女自身はまだ認めていない。俺はこういう姿勢に向上心を感じていて、だからという訳ではないが、狭見には尊敬をしている――尊敬に生まれた順は関係ない。

 しかしその尊敬を以てしても、この忙しい時期に緊急で呼び寄せてきたことへの苛つきを相殺することはできなかった。こっちも暇じゃねえんだぞ。

 いつも通りのおどおどした声で、狭見は写真を1枚取り出してくる。これを見て欲しいんだ、と連絡ツールで言われてここにやって来たのだ。まさしく、この写真こそが今回の目的。

「こ、これ、なんすけど……」

 受け取って写真を見た瞬間、思わず「うわ」と声を上げてしまった。

 狭見曰く、この写真は公園で遊んでいる子供達の風景を撮ったもの――らしい。


 


 公園なのに地面は沼地の様であるし、大体色が紫だ。人間の子供と思しき者は手脚の生えたプラナリアだし、太陽なんて黒い液体を垂らす何物かにしか見えない。果ては遊具である筈の物は畝りに畝って何が何だか分からない。どうやって遊ぶんだこの遊具。

 ぐちゃぐちゃだ。まるでキマイラ――前半身がライオン、後半身がヤギ、蛇が大蛇の怪物の様。奇妙な夢を写真に収めた様な代物だ。

 何をどうしたらこんな写真が撮れるんだ?

 成程、いきなりこんな写真が撮れてしまったら動転するものだ。俺は親しい後輩のことを助けてやることにした。力になれるかは分からんが。

「……念の為確認だけど、これ、ドッキリとかじゃないよな?」

「だ、誰が、先輩を揶揄からかうもの、ですか!」

 本物っすよ!

 途切れ途切れの声で懸命に伝えてくる狭見。少しばかり長い付き合いだから彼女が嘘をついていないのは分かる。

「いつものカメラで撮ったのか?」

「違う、っす」

 これっす、と言われながら渡されたのは、何の変哲もないカメラ。某有名メーカーの一眼レフだ。しかし、俺は知っていた。彼女が持っているのは別のカメラの筈だと。このメーカーは彼女が使ったことのないものだ。

「これ、いつ買ったんだ?」

「つい最近っす……1週間くらい、前……」

「前使ってたカメラは?」

「こ、壊れて……今、修理に……」

 成程、合点がいった。修理に出している間はカメラで写真を撮ることができない。しかし彼女は写真家。撮れない期間が続くと体が疼くのだろう。結局我慢できず、カメラを新調した――それもお金が無いから中古のものを。

 口下手な彼女にそれで合っているか自分から確認した所、驚きの表情と共に頷いた。いやいや、このくらい誰でも想像できるよ。

 とすると、このカメラが怪しい。次の質問は自動的に決まる。

「このカメラ、何処で買ったんだ?」

「え、と……覚えて、ないっす……カメラ探しに、必死で……」

 そういうこともある。仕方ない。

 兎に角、このカメラで撮ると変な写真が撮れることは確かだ。同じ写真が撮れるのか、自分も試してみるべきだ。

「この写真、何処の写真を撮ろうとしたんだ?」

「……黶観ヶ丘あざみがおか公園、っす」

 嗚呼、あの小さな公園か。そういや前に賞に出す為に撮っていたな。よく覚えている。何せ、あの写真はとても良かった―― 子供が自分より少し丈の高い遊具から飛び、父親の胸に収まる場面の、躍動感と一体感を感じる写真。予想通りに、当の写真は大賞を受賞した。

「じゃ、まずはその公園に行くか――と、その前に最後に1つ」

「な、何すか?」

「このカメラ買う時、何か店の人に言われたか?」

 もしかしたら店主が何かを知っていたかもしれない。こんな奇妙な写真が撮れるカメラだ。知らずに置いた訳はあるまい。

 その質問をすると、狭見は記憶を手繰り寄せる様にして答えた。


「……えと、『あなたの真実を映し出す』、的なものだった、と思うっす……すみません、正確に一字一句覚えておらず」


📸


 写真にはその人の意図が滲む。

 俺はそう思っている。

 何故なら、写真というのは現実の一部を切り取った物であるからだ。連綿と続く一繋がりの現実という反物をカメラという裁ち鋏で切断する。この切り取り方が人によって全く異なる。同じ被写体を写すにしても、光の加減、場面(背景)選定、色合い、服装、時間、文脈……ありとあらゆる要素が撮影者によって恣意的に決められる。すると必ず、紙に垂らしたインクの様に撮影者の意図が滲むのだ。

 さて。先程、(後輩の記憶が合っているかはさておき)カメラのことを『あなたの真実を映し出す』物と知った。本当の所の意味はまだよく分からず、仮定でしかないのだが、今俺はこう思っている。

 『あなたの真実』というのが撮影者の真実という意味だとして、とは一体何なのか? 俺はそれを、撮影者の――つまり、撮影者が見たい真実性のある現実であると仮定している。

 であるとするならば、このカメラは、撮影者が見たい真実性のある現実を写真に映し出すカメラである。

 ……で、あるとするならば。


 この後輩、一体何を頭の中に抱えている?

 大賞を獲れるだけの実力ある写真を撮り続ける彼女に巣食う、バケモノじみた何か。得体の知れない『狭見の真実』が空恐ろしくなって、俺は意識的に距離を取って歩いていた。


「あ、そう言えば先輩」

 振り向きながら、狭見が声を掛けてくる。何だ、と言うと1つ質問をしてきた。

「さっきの写真、どう思ったっすか?」

 ……どう、って。

 そりゃあ、気持ち悪いの一言に尽きる。しかしその言葉を口にしてはならないという警告を俺の中の何かが鳴らした。

 その言葉を発してみろ、取り返しのつかないことになるぞ、という。得体の知れない予知に似たもの。これが本能というやつだろうか。

「……今迄見たことなくて、ビックリした」

 オブラートに包むのも危険だ。だから当たり障りのない感想を発する。

「そっすか」

 俺の感想に、狭見はさらっと流す様に答えた。その口調は何だか、「本当か?」と言っている様に聞こえた。俺は焦る。

「な、何だよ。本当にビックリしたんだぜ。少なくとも俺は、あんな世界見たことも――」




「そうっす、よね。だって、その写真、私が見たかった、世界そのもの、っすから」




 ……ん?

 今、何と言った?

「せ、先輩。分かってる、んすよ。私のあの写真、見た瞬間から、嫌悪感を抱いている、のは」

 うわ、と声を上げた時から。

 ドッキリ真面目な写真ではないじゃないかと疑っている時も。

 ただの悪趣味な写真だ、としか俺が思っていないことを、狭見は見抜いていた。

 ……しまった、と俺は今更気付いた。

 最初に部屋で写真を見せてくれた時。アレは、変な写真が撮れてしまってどうしたら良いのか、と助けを求めたものではない。


 

 を求めていたのだ、狭見は!

 そこで褒め言葉を言わなかった時点で、俺はもう勘付かれていたのだ。

「先輩、わ、私は。もっとこういう写真が撮りたかったんす」

 散々、写真を撮り大賞を獲ってきた後輩。

「何もかも、ぐちゃぐちゃな、そういう世界を撮り、たかったんす」

 それでも満足しなかったのは、自分が真に撮りたい写真じゃなかったからだ。

 どうしてこんな世界を撮りたいと思ったのか。一体いつからそんなことを思う様になったのか! しかしそれを聞いたところでどうしようもない――。


 ……え?


「先輩。こ、このカメラ。凄いんすよ」

 ちょっ、と。

 待て。

「見せた写真、あるじゃないっすか」

 嘘だ。嘘だ。これは夢だ。夢だと言ってくれ。

 狭見の異常な趣味についても夢であってくれと思っていたが、それどころじゃない!

 何だ、は。

「このカメラ――」

 俺は見た。


「撮った写真が、そのまま具現化するんす」


 体がプラナリアで、そこからにょきりと手脚が生えている怪物を!

「っ、ああああああああああああ!!」

 我慢の限界だった。もう耐えられない。悪夢なら早く覚めてくれ!

 頬を抓る。残念ながらここは現実。

 ここが現実? ふざけるな。世界のどこに、体がプラナリアで手脚が生えた人間が生息しているのだ!

 兎に角逃げなければ! 逃げ――。


カシャ。


 背後から、シャッター音が鳴った。

 思わず立ち止まり、振り向く。

 カメラを――キマイラな写真を撮影するカメラのレンズを向け、狭見がニコリと微笑んでいた。

 銃口を向けて弾丸を射撃シュートする様に。

 レンズを向けて写真を撮影シュートした。

「あ、ああっ……」

「残念、す。先輩」

 俺の体が。

 俺の体が、プラナリアになっていく! ぐちゃぐちゃ音を立てながら、異形と化してゆく!!

「先輩なら、分かってくれるって、思ってた、んすけど」

「やめてくれ、止めてくれっ!」

 嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ! あの元気に四肢を振って歩くプラナリアになりたくない!! 馬鹿げた見た目をした、馬鹿にならない見た目になりたくないっ!!

「でも、先輩。私、失望してない、っす。きっといつか、私のこと、理解してくれる、と思ってるっすから。だから私、これからも、写真を撮るっす」

 ……狭見は、言った。

「先輩にも、良さがわかって、もらえる様、私、頑張るっす」


 俺は、狭見のことを一生理解できないと思った。


 嗚呼。

 体が、人間でなくなってゆく。プラナリアに、なってゆく――。




 ――次はそちらですか。

 馬鹿みたいな、しかし馬鹿にならない程救いのない終わり方ですよね。果たしてこの世界、少女のカメラで全てが狂ってしまうのでしょうかね? それは、実際にその世界に身を置かねば分からないことかもしれませんが。


 ……時に貴方、今度は不思議そうな顔をしていますね。

 成程。自分に突き刺さる様な教訓が書かれている本を先から連続で引き当てているのが不思議でならない、ですか?

 何ら不思議なことではありませんよ? 私達は読む本を選んでいると思っているのかもしれませんが、です。

 のです。

 『今、貴方にはこういう事が必要だ』。そんな声を本は知らず知らずの内に人間達に届け、それに無意識で応えた人間が本を手に取る。そして読んでいく中で人はその時その時に必要なことを、本に教えて貰うのです。


 そして、、貴方はここに辿り着いた。

 まだ見ぬ本から聞こえる声に導かれ、かつ貴方自身も何かを得たいという思いを強く持っているからこそ、この電子の深海にあるが如き本屋『リバース・バース』にやって来たのではないですか?

 最初に申した通りです――『他でもない貴方が、まだ見ぬ物語を読みたいと願っているからです。そう言う人しか、此の場所に来る事は出来ません』と。


 さて。まだ読まれますか?

 ええ、ええ。幾らでもどうぞ。まだまだ本は沢山あります。今読んでもらった本の様な、ヘンテコな話もありますけれどね。

 さあ。次に貴方を呼び掛ける本は――どんな本なのでしょうね?




KAC20234に続く。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

キマイラ・カメラ。 透々実生 @skt_crt

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ