【KACぐちゃぐちゃ】ぐちゃぐちゃ姫と狼男

葦空 翼

ぐちゃぐちゃ姫と狼男

「ジュリエット、明日貴女の首を落とすことが決まりました。異論はないですね」

「……はい、お母様」


 本当はある。あるに決まっている。

 けど、私にそれを否定する力はない。

 覆せない。

 私は……………………あまりに無力だ。








 しゃきしゃき、しゃき。

 春うらら、暖かな日差しが降り注ぐ大屋敷の中庭で、庭師が植え込みを整えている。私は窓際に腰掛け、それを見るともなく見ていた。うちで雇っているのは獣人、狼人ワーウルフの男だ。狼の頭を持ち、尖った耳をピンと立て、けむくじゃらの身体だがしっかり服を着て二足で歩き回っている。フサフサの尾が揺れる。上から下まで私達エルフとは違う、化け物と呼ばれるヒトたち。


 しかし彼は実に真面目だ。長い鋏を操り、一周切り終わったらきちんと出来栄えをチェックし、気に食わなければ何かしらを直してからまた別の植え込みへ移動していく。


 獣人は知能が低くて粗野で危険だから関わってはいけない。喋るな。目も合わせるな。

 お父様が青筋を立てながら何度も言ってたのはなんだったんだろう。今までその教えに従って見ないようにしていたが、なんとも立派に仕事をしているではないか。


 ああ、こんなことも。私は心身共にこの屋敷に閉じ込められていたせいで知らなかったんだな。


 ぼんやり外に目を向けていると、庭師の男がふいにこちらを向いた。面倒くさかったので、初めて視線を逸さらないままにする。と、男がずんずんこちらへ近寄ってきた。


「…………俺が見えるのカ」

「えっ?」

「アンタ。今俺のことを見ただろウ」


 声をかけられて、一瞬訳がわからなかった。しかしほどなく彼の質問の意味を理解する。エルフは同族以外に酷く冷淡だ。誰も彼もが彼を見ず、言葉を交わさず、関わらないようにしていたのだろう。

 

 だが、それでは彼が「ここで働いている」現状の説明がつかない。他種族を忌み嫌うエルフの中で、唯一許された余所者とのコミュニケーション方法は、つっけんどんに紙を差し出す筆談。よって彼は少なくとも、確実にエルフの文字を読むことが出来る。今の仕事はそうやって得たのだろう。その上で。

 彼は恐らく今初めて、エルフと直に言葉を交わしている。


「……俺の言ってること、わかるよナ? 発音が違うとかないよナ?」

「わかるわよ。異郷のヒトだと考えるなら、流暢なくらいエルフの言葉を話せてる」

「……………………。驚いタ。俺と関わってくれる雇い主以外のエルフが居るなんテ」

「…………そりゃあ、みんな親や周りから『エルフじゃない人間には関わるな』とキツく言われているもの」

「ふぅン、そういうことだったのカ。だからみんな俺を無視するんだナ」


 尖ったギザギザの牙がズラリと並んだ口。しかし彼は実に器用に人語を操った。発音が乱れているのは恐らく彼の母国語じゃないから。それでもこんなにしっかり、落ち着いて会話することが出来る。

 知能が低い? 粗野で危険? お母様やお父様が言っていたことはなんだったのだろう。


「しっかシ、じゃあなんで今日になって突然会話しようと思ったんダ? お姫さン、こないだまでずっと俺のこと見ないフリしてたじゃないカ」

「それは……」


 お互い、存在は認知していた。こちらは貴族の娘で、あちらは雇われの庭師。彼は定期的に中庭に出入りして、植え込みや木の剪定をしていた。そしてその際、私がいつもこの定位置、窓辺でぼんやり座っているのを見ていたはずだ。


「…………私、明日死ぬの」

「おや、そりゃまたなんデ」

「……………………髪が、ぐちゃぐちゃだから」

「えっ?」


 庭師の男は、見事にぽかんとした声音で聞き返してきた。そりゃあ、彼にとっては意味のわからないことだろう。だけど私は明日、確かに「髪がぐちゃぐちゃなせいで」ギロチン台にかけられる。


「生まれた時から、髪がぐちゃぐちゃで、お姉様たちと全然違って、可愛くなくて。だから外の誰にも会わせられない、こんなのうちの子じゃない、醜女ブス、って、ずっと呼ばれてて」


 3人いる私のお姉様たちは、皆艶々のストロベリーブロンド。色味はそれぞれ違うけどピンクがかった可愛い髪色をしていて、何もしなくてもまるでそう巻いたかのように毛先だけカールしていた。

 なのに末娘の私はどうだろう。一人だけやたらくるくるの髪質で、伸ばせど伸ばせど頭が大きくなったみたいに広がって。ちっともお姉様たちのように可愛くなれなかった。


「じゃあ、お嬢さんだから可哀想とはいエ、短くすればいーじゃねェカ」

「駄目よ、エルフは髪を伸ばさないといけないしきたりだから」

「は〜〜? そうなのカ、だからエルフは猫も杓子もみんな髪が長いんだナ」

「そうよ。老いも若きも、男も女も」


 長く尖った耳を持ち、色白で華奢。いつまでも若く美しい見た目で永い命を持ち、魔法が得意と言われるエルフにはたくさんの「しきたり」がある。それが守れないとどうなるか? 同胞エルフではないとみなされ、国外追放される。誇り高きエルフの民にとって、それは死ぬより辛い屈辱だ。

 私の両親は、身内からそれを出すのが嫌だったんだろう。大人になる前に私を殺すと決めた。


「……どうせ明日死ぬなら、貴方と話してみてもいいかなって思ったの。そしたら貴方、思ってたよりずっといい人だった。最後にいい思い出が出来たわ。ありがとう」


 そこまで言って、話を終わりにしようと視線を逸らす。逸らそうとした。そしたら、ぐいとほっぺを片手で掴まれて動けなくされてしまった。


「こんなに可愛い姫さん捕まえてブスたァ、随分ご立派な両親だナ。知ってるカ? アンタのその燃えるような赤い金髪、人間ノーマンの国に行ったらめちゃくちゃモテるんだゼ。カリスマ女王と同じ髪の色なんだってヨ。

 それに獣人の国なラ、女が短髪でも誰も責めなイ。むしろかっこいいって褒めてくれるゼ。どうダ?


 俺と一緒ニ、他の国へ行かないカ?」


 突然言われた言葉に、理解が追いつかない。


「…………え?」


 目をまん丸にして返答するのが精一杯だ。

 

「全く、どこがブスなんダ。緑柱石エメラルドみたいに綺麗で大きな瞳に意思の強そうな眉、しっかりした鼻筋、肉感的な唇、どれをとっても男好みのイイ女じゃねェカ」

「?!」

「確かにくるくる天パ寄りの髪だけどヨ、ベリーショートに整えてリボンでも巻いてやりゃあ充分別嬪さんだゼ」


 でも。私が知る範囲の「女性」に短髪の人など居ない。

 

「そんな……粗野な人間ノーマンの男のような髪型は嫌よ!」

「だからっテ。本気で死ぬ方がマシだってのカ?」

「………………」


「見たくないのかヨ。アンタを認めてくれる、もっともっと広い世界ヲ」



 もっともっと、広い世界。



 ぐちゃぐちゃ髪の毛でも、エルフの掟を守らなくても、誰も咎めない世界。私を醜女ブスと呼ばない世界。そんなものが、この世にあるの?

 存在だけは知っていた。けれど、見ようと思ったことすらないソレを、この男は見せてくれるという。

 なぜ?

 なんのために?

 そんなことをして、この男にどんな得があるっていうの?


「というのモ、ここの庭師の仕事。ずっと幽霊扱いされて金だけ渡されるのもなかなか心にこたえるからヨ。そろそろ辞めてやろうかと思ってたとこなんダ。

 どうせ辞めてオサラバするなラ、アンタも連れてってやるヨ。悪い話じゃないだロ?」

「…………でも、外に出て、どうするの。私はずっとこの部屋に閉じ込められて、大した教育も受けてない。足手まといになってしまうわ」

 

「ははは! 教育を受けてないだけで生きていけないなラ、世界の大半の人間はあっという間に野垂れ死んじまうナ!」

「えっ」

「大丈夫! 学がないならこれから学べばいイ。お嬢さん、若いんだロ? 勉強でも技術でも生きる方法でモ、ここを飛び出してから考えりゃいいことダ」

「そんな」


 夢物語、叶うわけない。考えなしの馬鹿みたいなことばかり言わないで。世間知らずの私でも、その提案が酷く無謀なことはよくわかった。

 だけど抗えない。銀の毛並みを持つ庭師の狼の、きらきらした瞳で語られるその夢は。明日死ぬと定められた今の私にはとても魅力的に映った。


 どうせ明日死ぬなら、飛び出したあと死んだっていいじゃない。


 きっと明日何も知らずに死ぬより、素敵な世界が待っている。


「連れていって」


 思わず呟きが口をついて出た。


「私、まだ死にたくない…………!!」


 ひたと庭師を見つめると、じわりと熱くなった目元から涙が一粒零れ落ちた。庭師が牙を見せてにやりと笑う。


「よぉシ、いいになったじゃねぇカ。そんじゃ善は急ゲ。今すぐ屋敷を出よウ」

「今すぐ?! どうやって!」

「なぁニ、伊達に何年もこの屋敷に通ってねェヨ。ここから外に出るなラ、庭の木伝いに屋根を跨いで向こう側に出ル。そのあとはノンストップで走り続けるだけサ」

「?????」


 随分事も無げに言うけれど、そんなことできるのかしら?

 思わず眉根を寄せると、狼男はすっとこちらに手を差し出した。


「信じられないかイ? じゃあ試しでいいからヨ、ちっとその身体俺に預けてくれヨ」

「身体を、預ける…………?」

「ほら、窓からこっちへ来テ」


 本当に明るく、無邪気にひらひら手を振るものだから、思わず身体が吸い寄せられる。こんなお行儀の悪いこと生まれて初めてしたけれど、よいしょと窓枠を跨いで一歩踏み出そうとした。その瞬間。


「よーしそのまマ。暴れるなヨ!」

「キャアアアア!?」


 ぐっと腰を抱き締められ、抱え上げられた。いや違う。直後に肩へほいさと担がれたので、赤子の抱っこ以下の扱いだ。


「いやっ、怖い!!!!」


 慌てて身を捩れば、一層ぎゅうと力を込められる。


「いいかラ! 俺を信じてくれさえすれバ、お前は自由になれル!!」


 臆病な私を鼓舞するかのような力強い声。思わずきゅっと身を縮込ませると、ふさふさの手が私を撫でた。


「掴まってろヨ!!」


 それはどういう意味、と聞く暇はなかった。数歩走り出したかと思ったら、ダン!! と地面を蹴り、私を抱えた庭師が宙に舞う。これがニンゲンのジャンプりょく!? 庭木の枝に飛び乗り、もう一段飛び上がり、こんなにも軽々と。屋敷の屋根に飛び移ってみせた。


「おッ、まだ全然いけるじゃん俺、ヒューッ!!」

「ヒッ、高い、怖いっ」

「なぁニ、本当に怖いのはこれからサ。ほぅラ、おいでなすったゾ」

「えっ何?! どこ?!」


 なんとか首をめぐらせるも、私の目の前(正確には斜め前)は揺れる庭師の尻尾、そうじゃなければ青い屋根しか目に入らない。本当に怖いのってどういうこと?!


「貴様!! ジュリエット様を連れてどこへ行く?!」


 …………! 警備員のイグナースの声だ! 恐らく非日常的な動きをした庭師を敷地内の結界で感知して、詰め所からここへ出てきたのだ。庭師は力強く屋根を踏みしめ、庭からこちらを見上げているだろうイグナースに向き直った。


「アンタ達、あるいはこの家の人間ハ! この子の髪が癖っ毛だってだけで平気で殺そうとしてるんだってナ! 最低の鬼畜ダ! そんな奴等に殺させるくらいなら俺がもらい受けル! ついでに庭師の仕事も今日限りでおいとまいただくゼ! 旦那様にそう伝えてくレ!」


「なっ、なんだと…………!」


 イグナース、なんて悪役みたいな台詞を言うのかしら。この家を守る存在のはずなのに……。


「悔しかったら取り返してみろヨ、お得意の魔法でよォ!!」

「愚かなッ! …………風よ、我に力を!

 竜巻トルネード!!」

「……………………!!」


 しょうもないことを考えていたら、ついに最悪の事態になった。イグナースは金髪碧眼、長髪を活動的に一つの団子に纏め、白いローブを纏った攻撃系魔法使いだ。かつて家財を狙った賊も、私たち一家に危害を加えようとしたやからも皆、華麗に葬ってきた。

 そんなエルフを挑発するなんて正気じゃないわこの人!

 だが、ゴウ、と唸りを上げて目前に迫る竜巻を見ても、庭師は怯まなかった。ヒュウ! と余裕たっぷりに口笛を吹いてみせる。


「魔法使い相手に立ち回る時ハ、とにかく止まるナ。動き回レ。狙いを絞らせるナ…………!」


 そう呟いた瞬間駆け出した。丈の長いドレスを翻す私を抱えたまま、どこまでも続く三角屋根の上を走り続ける。進路は右へ左へ、蛇行の連続。背後から追いすがる竜巻を絶妙に追い付かせない。


 しかしそれも何秒かの出来事。ついに、引きつり固まる私の鼻先まで竜巻の間合いが近づいてきた。あと少し、ほんの数センチずれれば私の鼻が抉れるだろう。私を抱えてくれている庭師には申し訳ないが、必死に背中を反らす。あの警備員、一切の容赦がない。本当に庭師もろとも私が死んでも構わないのだ。屋根を巻き込んでバキバキ猛り狂う竜巻。もうすぐそこまで…………!


「おいアンタ! この屋敷がぶっ壊れてもいいのカ?! 旦那様がこれ見たらびっくりするだろうナ!」

「!!」


 ほんの少しのが明暗を分けた。一瞬怯んだイグナースの隙をついて、


「あばヨ!」


 庭師はひらりとすぐ横の植木へ飛び降りた。「見た目上は」ごく隣の至近距離に見える。しかし実際は、


「ギャアアアアアアアア!!!」

「ワハハ!! お嬢様が酷い声ダ!!」


 そう上手く着地出来るわけもない。メキメキバキと葉っぱを散らかし、枝えだを折りに折って落下した。やがてすぐ太い枝に辿り着き、そこから庭師がさらに跳ぶ。

 ドスンッ。

 ようやく、そして最後に着いたのは地面だった。…………揺れてない、不安定じゃない。私がただ担がれてただけの癖に思わずフーッと息を吐くと、じっとり汗をかいて熱くなった庭師の腕が私を地面に下ろしてくれた。


「ハァ、ハァ、これデ、一旦は一息つけるはずダッ。魔法使いってのハ、目標を見失ったら魔法を撃てないらしイ……強引にやる奴なら建物ごと吹っ飛ばすだろうガ、雇われの警備員にそんな権限あるわけなイ……。

 あの家があいつしか警備員いないのモ、獣人の襲撃慣れしてないのも知ってル……ッ、今頃どうすべきカ、旦那様の所へすっ飛んでって指示を仰いでるだろうサ……!」


 両膝を押さえ、長い舌を出し入れしてひぃひぃ言う庭師の姿に、思わずふと疑問が沸き上がる。


「……あの、貴方、もしかしてあんまり若くない?」


 すると庭師は心底疲弊したようにしゃがみこんだ。


「バッカ! こちとら31だゾ!? 若いわけないだろーガ!」

「……そんなこと言われても私は142歳だし、エルフの30歳は幼児よ…………?」

「はァ!? アンタメチャクチャ年上デ……全然意味わかんねーヨ…………! じゃあ言わせてもらうけどナ、狼人ワーウルフの31歳は寿命の半分ちょい越えくらいなわケ、幼児じゃないかラ…………!」


 寿命の半分というと、エルフなら500歳だ。


「……まあ、とってもおじさんだわ!」

「そうそウ、そっちの反応の方が想定に近いんだヨ……はーッ、もー…………」


 くたくただ、と言わんばかりの庭師。疲れきったように大股開きでしゃがみこんでいるが……この彼がさっきまで私を軽々担ぎ、驚異の跳躍力を見せていたとは。今となっては信じがたい。

 それでも。


「……あの、庭師さん。私をここまで連れ出してくれてありがとう。えと、私はジュリエットって言うの。貴方の、名前は?」


 礼は言うべきだと思った。ついでに自己紹介をした。庭師はぱたぱたと首元のシャツを掴んで中に空気を送り、ちらりとこちらを見やる。


「…………アルギュロス。長いからアルスと呼んでくレ。よろしくナ、姫様」

「!」


 姫様……。か。この人にとっては特に意味のない呼び方だったかもしれない。でも、こんな髪の毛ぐちゃぐちゃ女にそんな大層な呼び名は似合わない。これからは貴族でもエルフでもない生き方を選択していく。新しい自分になるんだ。

 私は元我が家の裏手、住宅街の隙間で、燃えるような赤い金髪を靡かせてにこりと笑った。


「こちらこそよろしくアルス。私のことはジルでいいわ」


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