彼は紙の上での建築家でしかなかったが、プロになる気がないわけではなかった。

 都心でプロアマを問わない建築の設計図を募集するコンペがあり、有名な業界のプロ、彼も聞いたことのある有名な建築士も名を連ねており、女房が何度も受けろと尻を叩いたが、彼は首を振り続けた。若い頃に一度、それよりもっとこじんまりした、さほど有名でない建築士の審査するコンペに出して、そこで「多少面白くはあるが、基本が出来ておらず、プロのレベルではありません」と返されたため、それ以来、他人の評価を受けるのが恐ろしくなっていたのである。専門の教育を受けたわけでもなく、ちょっと専門書をかじっただけのほとんど独学だから、基本が駄目なのは確かだった。


 といって専門校で勉強しようという気もなかった。それをするには、まず教室でほかのろくに落ち度のない生徒たちに、恥しかない醜悪な自分を平気でさらす度胸がなくてはならない。そしてそれをするには、自分で、その最悪な自分を見て正確に把握し、それを本来の自分であると認めるという、それこそ数十メートルではきかない、雲つく山脈のようにそびえ立つ凄まじい高さのハードルを自力で越えねばならない。

 これは建築云々だけの問題ではなかった。要するに、自分などが誰か他人に関わっても、「お前のような欠陥だらけは、カウンセリングでも受けて出直してこい。話はそれからだ」と簡単に門前払いを食らうだけだ、と端から諦めていたのである。


 それでも机に向かい、新しい設計図に着手したりはする。だが自分に蓄積したおびただしい劣等感が胸や腕を鉛のように重くし、ほんの数センチの線を引くのに数年もかかったりした。



 若いうちは、それでよかった。だが五十歳という、普通なら人生の後期に値する年齢になっても、彼には積み上げたものが何一つなかった。全てが妄想だった。しかも、それは他人が聞いて面白くもなんともない凡庸なものだった。


 四十代はまだ焦ることが出来たが、五十路を越えると、体にはガタがくるし、先も完璧に見えてしまうので、徐々に諦めの念が心を覆っていった。もう終わりだと思った。「俺は建築家だ!」と心で叫んだ。しかしもう若い頃のように、業界を華やかに活躍しチヤホヤされる自分の姿は、その脳裏に鮮やかに浮かばなかった。

 しかも女房が癌になった。もう家に帰っても飯は出てこない。

 誰もいないアパートに戻ると、あらゆる現実が押し寄せてきて彼を窒息させた。


 好きで嘘をついていたのではない。だが快感もあった。自分ほどに惨めでみすぼらしい世界一最低の男はいまい、という逆転の優越感、自分をどこまでもおとしめるマゾヒズム。子供の頃に目覚めた被虐の喜びは、そう簡単にやめられるものではなかった。

 それでも、どこかでやめたいと思った。しかし苦しみ以外の状態を知らなかったので、どうしようもなかった。アニメなど、人生には多少の喜びもあるにはあったが、それはたんに完全に狂わないためのガス抜きでしかなかった。



 ところが、五十を過ぎて数ヶ月した頃のことである。自分の状態の、ある変化に気づいた。

 夜になって子供たちが帰ってきても、これまでのようにガチガチに緊張しない。酒も入っていないのに、妙に力を入れず自然に会話できる。すると二人の息子もリラックスするのか、「焼きうどんにいわしをまぶすとは斬新だね」などと、食べながら貧しい食事を笑みで評するのだった。

 次男が冗談を言ったりはわりとあるが、最近は長男までが笑い話をしてくる。まるで緩やかに奈落に落ちていきつつあった全ての物事が、一転して上を向いて進みだしたようだった。坂を登るとかではなく、重力が逆になったような不思議さがあった。


 彼はそのうち、その原因が女房の豹変にあると悟った。

 彼女は数年前に全身の苦痛を訴えて入院して以来、数日で退院し、また半年ほどたつと痛みが再発して入院、というのを繰り返していたが、全てを他人任せに出来る安心からか、または病人の気弱さからか、うちに帰っても以前のようにイライラと小言をいうことがなくなった。ぎすぎすしたとっつきにくさが消え、顔つきも穏やかになり、老け込んだもっさりした頬になった。それは痛々しさよりも、むしろ安堵感を見る者に与えた。


 彼は女房に初めて安心して近づけた。布団のそばに座っても、今まで彼女のみならず全ての他人に感じてきた恐怖や圧迫がほとんどなく、それは見た目は静かであったが、心では深い驚きを感じていた。


「こ、今度、コンペがあるんだけど――」

 彼がおもむろに言うと、女房は寝たまま、乱れた前髪の額にひりつくやつれ顔をゆっくりと向け、口元を緩ませて言った。

「いいよそんなの、もう」

 優しい言い方だった。かつて聞いたことのない、本当に彼女なのかと思うほどの慈愛に満ちた響きだった。その笑みのやわらかさは、ほとんど菩薩だった。

 彼は一瞬どうしていいか分からず、蛍光灯の光を受ける薄汚れた畳に目を落とした。すると彼女は、いっそうにっこりして言った。

「それより、おなかすいた」

「か、カレーあるよ」

 彼は慌てて立っていった。



 家の雰囲気が徐々に落ち着くにつれ、彼も変化していった。彼は建築家だったが、内心ではそんなものはやめたい、といつも思っていた。妄想を現実と思い込むことで心の平静をかろうじて保つということは、その妄想が現実ではないという不動の事実を常に突きつけられ、傷つき続けることを意味する。

 だが、それ以外の生き方を知らなかったので、そうするしかなかった。周りも止めようがなかったうえ、彼のみならず家族全員が育ちに問題を抱え、友達のいない疎外者だったので、むしろそれを歓迎し、仲間意識を持つことで心を保っている部分もあった。


 彼は建物が好きには違いなかったが、それを作る側に加わるような才能も、やる気もなかった。撮影現場に入る気がない、入ってもろくなことが出来ない、ただの映画好きと同じだった。自分で家を建てるよりも、外から眺めたり、中に入って構造を観察しているほうが、よほど楽しかった。

 本当は十代でさっさと諦めて、ほかの適した仕事に就くのが正しかったのに、「建築家になるんだ」と心に誓い、それもなれないと端から分かっているからますますそれに固執し、ついには嘘までついてなったふりをし、しかもそれが一時的ではなく、ずるずると五十になるまで続いてしまった。

 その原因は、若いうちから、とうに気づいていた。

 自分を知らないからである。

 自分の資質や才能どころか、そもそもどんな姿かたちをしているかすらも、知らないからである。

 そして、それらを知ることは、彼にはずっと不可能だった。


 子供の頃から、鏡を見ても顔をろくに見ずに髪をすくので、頭はいつもぐちゃぐちゃで、みっともないことこのうえなかった。それでも天然パーマだったので、何もしなくてもかろうじて人間の範疇にいるくらいには整っていた。


 鏡で見る自分の顔は、いつもピントがずれた写真のようにぼうっとした印象が残るだけだった。目鼻は気に入った芸能人などの顔をモデルに頭で想像し、勝手にイメージを作った虚構だった。

 だから他人の顔が恐ろしく、特に目を見て話すことは身も凍る試練だった。平気な目もないではなかったが、自分と相対する人間のほとんどの目が、彼のしている本当の目つきを思い起こさせるのか、無条件に凍りつかせた。

 なぜ、あんな恐ろしいものが顔に付いているのだろう。目などなければいいのに、と思った。


 目だけでなく、口元や鼻の形、皺なども彼を恐れさせるものがよくあった。むろん顔のみならず、姿勢、歩き方、話し方など、仕草にも彼を恐怖に突き落とす種類があった。それには一定のパターンがあったが、それを冷静に区分けするような余裕は微塵もなかった。ただ恐れて顔を背け、重苦しい鉛のような不快が胸に詰まるのに耐えた。


 他人と関わって胸が悪いのは当たり前だった。それでも、ただ生きるのには不自由がないので、そのまま五十年間やってきたのである。あまりの苦しみに、いっそ死んだり破滅したほうがいいと思っても、周りがそうはさせなかった。


 家族は彼が死ぬのを恐れていた。たんに働き手がなくなると困るからだろう、と彼は思ったが、そうではなかった。家族もまた、彼のいくら八つ当たりされても文句ひとつ言えない無力さ、包容力に依存していた。そして、彼にその自覚はまるでなかった。なぜこんな無駄なものに毎度毎度ただ飯を食わすのか、といつも不思議だった。


 人間は冷酷非情でなければならない。

 母親からの扱いで生じたその考えが彼の表面を分厚い地層のごとく強固に覆っていたが、根は本気でそう信じていたわけではなかったので、実際には家族による保護を進んで受けていた。

「自分ほどの不幸ものは支援されて当然だ」と心で開き直り、言い訳していた。その他人へのべったりは絶えることなく、初老を迎えるまで続いた。死ぬまでそうだろうと思った。



 彼は自分の顔を見たことがなかったし、見たくなかった。鏡や窓ガラス、光沢する車体や、川面のような水のような物質のみならず、似た容貌や性格をした人間など、とにかく自分が映り、自分をそこに見出す、あらゆるものから必死に目をそむけて生きてきた。

 だから写真も大嫌いだった。


 女房がまだ働いていた若い頃は、幼い子らを連れてたまに遊園地にも行ったが、彼はそこで撮る記念写真に絶対に混ざらなかった。家族のアルバムはあるが、行楽地で撮った写真はどれも三人だけで写っており、彼の姿は全くない。この世に彼の写真は一枚も残っていない。

 だから彼は自分がどんな姿をしているか知らずに済んだ。学校からもらった卒業アルバムの類は全て中身も見ずに捨てた。


 彼の親も写真を撮らず、アルバムを残さなかったので、この世に彼の写真は存在しない。だから彼は、いま現在どころか、若い頃に、自分がどんな顔をしていたのかを知らない。子供の頃の自分の顔も知らず、ただ醜悪な黒い汚物の塊のような不快なイメージだけが、壁にガッと刻まれた傷のように脳裏に残っている。




 だが、女房と初めて普通に会話をした、あくる日の朝のことだった。

 子供たちが仕事に出て、カーテンの向こうで彼女がすやすやと眠っているあいだ、彼は壁際にある彼女専用の大型の鏡台をそろそろと自分たちの部屋に移動させ、襖を閉めると、鏡にかかっている白いレースをあけた。かなり古いもので、脇に引き出しが二段、その下に一つの開き戸が付いている白塗りの鏡台だった。


 前に座ると上半身が映る。彼は自分用の小さい置き鏡を使うときはいつも下を向いて座り、目の前にいる幽霊のように揺らめく巨大な塊を直視しないよう気をつけながら、横目で髪をちらちら見ながら櫛入れするのだが――

 今朝はちがった。


 目を閉じて顔をあげ、広い鏡面と自分の顔をまっすぐに対峙させる。

 今ならやれる、と思った。

 思ったより心臓がばくばくもせず、胸が悪くもならない。


 ゆっくりと目をあける。

 そこには――

「なにか」が、

 いた。


 一瞬、なにが起きたか分からなかった。

 目の前に、一人の見知らぬ男がいる。歳は五十のはずだが、それは老け込んで六十歳以上の老人に見える。面長の顔は皮膚がたるみ、いじけたようにひん曲がる口元は固く結んで小さく震え、鼻はそこそこでかい。ところどころ癖毛の飛ぶ短い髪の下に広がる額はうっすらと皺が寄り、畑のように色濃く荒れている。飛び出た頬骨は二つの小高い丘を思わせ、そのまま下のこけた頬へ滑らかに流れ込んでいる。

 丸まった肩はみすぼらしく、猫背のせいで顎がやや前に突き出している。顔色は日焼けで浅黒いのにぜんぜん健康的でなく、外に放置された死体のように生気がまるで感じられない。人肌の温かみやふくよかさはまるでなく、その質感はマネキンなどの人形の硬さ、無機質なプラスチックの肌を思わせた。


 しかし、彼を心底からぞっとさせたのは、その目だった。

 鷲が翼をわっと広げたような太い眉の下、膨らんだしずく型の白の真ん中に大きな黒目がぎょろぎょろとこっちを見ており、真っ先に思い出したのは、子供の頃に見て怯えた日本人形の、嘲笑うような悪意の目だった。



 市松人形のような日本の古い人形は、よく怖がられる。西洋ドールなどもそうだが、生きた子供などに中途半端に似せて作られた人形は、ときとして怖いと嫌われたりする。そして日本のものは、その手のものが駄目な人には、特に激しく嫌がられる。それは必要以上に親しみをこめた目のせいだろう。

 人形の不気味さは、生きた人間でもないのに、そのふりをしてみせている残酷さと冷たさである。だから自分に人間味がないとか、人情に薄いと思っている者にとっては、それを嫌でも思い出させ、直視させる効果がある。ふだん忘れているコンプレックスに気づかせ、その場に誰かがいれば、その面前でさらしてしまう危機感に陥らせる。この感覚が恐怖を呼ぶ。


 日本の人形によくあるのは、細い目をにんまりと三日月型にひん曲げた極端な笑みを浮かべたものだ。そこには、距離を置かずに、いきなりべったりとなれなれしく張り付いてくる幼児のような重さがあり、ときには、あるはずもない悪意すら感じさせる。そして、それが単なる冷えた作り物の人型、つまり死人である、という事実が、見る者を凍りつかせる。

 彼がいま出会ったものが、まさにそれだった。



 その男の目は、生きたものの目ではなかった。人形の作り物の瞳、ただ黒いガラスをはめ込んだだけの、日差しに光沢する偽の目をしていた。


 しかし、それは生きていた。死人の目なのに、である。こちらが身をよじれば、向こうもよじる。瞬きすれば、しばたたく。

 なのに、その顔全体が、まるっきり生きていないのだ。


 見た瞬間、目の前に不気味なマネキンが置いてあると思った。それも、たとえば野外に長く放置されて泥にまみれ、すっかり色がくすんで、おぞましい化け物のようになった奴。

 目の下がたるんでやや黒ずんでいるので、全体を眺めた印象は、昔、テレビで観たボリス・カーロフの演じるフランケンシュタインの映画の怪物にも似ていた。

 そういえば若い頃、バイトの同僚から、嫌悪と嘲笑をこめて「フランケン」と呼ばれたことがある。軽い箱を抱えるような、なんでもない仕事にも恐怖と緊張でひいひい言っていたから、よほど暗く疲れた気味の悪い顔だったのだろう。


 だがカーロフは、まだ人間が演じている感じがあったが、これはそんな人造人間ですらなかった。こののっぺりした厚みのなさ、存在感皆無の乾ききった空気は、人の形をしているだけの代物、まさに、ただ「人形」と呼ぶにふさわしかった。それは中身が空っぽなマネキンそのものだった。


 しかし、やはりこれはマネキンではない。言うなれば、生きたマネキンだ。口をあければあくし、体を揺らすとゆれる。鏡の中で完全に生きている。なんの生気もない人形なのに、それは確かに、完全に、生きているのだ。


 彼はもう少しで叫ぶところだった。

 慌てて鏡にレースをかけて自分の机に逃げ込み、頭を抱えて突っ伏すと、しばらく息を切らせた。

 女房が寝息を立てているのが救いだった。こんな姿を絶対に見られたくない。だがまさに、彼のその決して知られたくない醜い姿を、彼女は何十年も間近に見てきたのである。


 これが、彼がほとんど生まれて初めて自分の顔かたちを見た瞬間であった。

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