二度と見たくないと思った。が、運命は彼に停滞を許さなかった。

 最初は恐怖に慄いても、しばらくするとまた人目を忍んで鏡に向かった。目の前で丸見えだというのに、まるで覗き見るように必死に自分の顔と姿をうかがい、少しずつ慣れていった。次第に、吐き気がするほど嫌いではあっても、なんとか見れるくらいのレベルにはなってきた。

 そうなると、今度はたちまちに奈落へ落ちるような深い無力感が襲ってきた。あがくことも出来ぬ暗い虚無の沼に沈んだ。

 彼は憎んだ。

(誰だ、これは)

(こんなやつ、知らない!)


 彼はついに悟った。

 生まれてから、自分は何一つ持ったことがなかったのだ。自分には、本当になにもないのだ。建築家としてのキャリア、名声どころか――

 姿かたちすら、「ない」のだ。



 そこには、今まで散々頭で作ってきた自分のご立派な顔のイメージ、掘りの深い貫禄たっぷりのかっこいい男性の顔など、微塵もなかった。ただの惨めったらしい死人の顔、今さっき紙で作ったようなスカスカで厚みのない、中身は完全に空っぽでしかない人形の、よそよそしい目鼻立ちだけが、彼を鏡の中からひっそりと見つめていた。

 悲しくもならなかった。

 ただ失望した。


 しかし、今までは真実を知ることイコール身の破滅を意味すると思い込んでいたのに、極度に落ち込むだけで、そこまで行かなかったことは、彼にわずかながらの希望と安堵をもたらした。

 彼は、体の奥からわきあがる寂しい喜びに、うっすら笑った。


 もう嘘をつかなくていいのだ。その代わりに――

(すべてを失ったのだ)

(俺は――)

(完全に、いなくなった)

 これで、積み重ねてきた嘘偽りの、すべてが消え去ったのだ。


 だが、今までの五十年間、それが存在すると必死に思い込み、ただそれを繕うことにだけに全人生を費やして、死のように疲れきっていた陰鬱な自分。その重苦しい悲惨さが、たちどころに氷解して消えたことは、鎖から解き放たれ、自由を手にしたも同然だったのも、また事実だった。

 しかしそれでも、解放感はほとんどなかった。それは寂しい、うら悲しい、ちっぽけな砂粒のような安堵だった。


 夕暮れ時の部屋。

 鏡台の周りの時間は静かに止まっていた。彼を優しくなだめるかのようだった。


 彼は立ち上がり、そのままうつむいて静かにわななき、低く重く、静かに号泣しだした。彼は存在しなかったが、畳にぼろぼろ落ちる熱い涙だけは事実だった。しかし、それすら誰かが自分のプラスチックのボディに注入しておいた水が、ただ流れ出ているだけのような気がした。

 悲惨だった。この偽物の自分すべてを、目から洗いざらい流しだしてしまいたかった。




 夕方に女房の目を盗んで泣きじゃくるという、儀式のようなことを続ける日が、一週間ほど続いた。それだけ泣くと、さすがにすっきりしたのか、気持ちが徐々に楽になってきた。


 が、今度は不快な嫌悪の情がどっと腹に押し寄せはじめた。現実逃避が破れ、本来の駄目な自分を直視させられるときにいつも感じていた、あの馴染みの、重い鉛が胸に溜まって息が詰まるような感覚だが、これはかつてないほどに凄まじいレベルで、思わず目が見開き、唇がわなないて、かすかに声が漏れたくらいである。


 なぜならその日、ポストに不動産広告のチラシが入っていたのだ。でんと白く輝く宝石のごとき美しいマンションのイラストは、彼に刃物で突き刺すような殺人的嫌悪感を与えた。

 なぜなら、それは「建築」を意味するものだったからだ。



 彼が自分の姿を知るのとほとんど同時に、「建築家」「建築」あるいは、たんにビルなどの建物の絵や写真に対しても、吐き気を催すほどの壮絶な不快感が生じた。しまいには、ただ「建」の字だけを見てもそれを思い起こし、半ばパニックになった。歴史の番組で「建武の新政」などと出ようものなら、恐怖と嫌悪に凍りついたほどだ。だが家族のほうは、いつものことだ、とあまり気にしなかった。


 彼は机にしまってある設計図を残らず捨てちまいたくなったが、引き出しに手を触れることすら出来なかった。

 机に近づくのも嫌になった。


 しかし、あれだけ忌み嫌って無視していた自分の容姿を生まれて初めて直視したのだから、こんな感情の「揺り戻し」あるいは「副作用」は、あって当然だとも思った。「建築家」という存在は、今まで彼を鎖につなぎ、暗く冷たい牢獄に何十年も監禁していた悪の張本人といってよい。


 もちろん、世の建築家に非があるわけでもなんでもなく、ただ彼にとっては、それが嘘と欺瞞の塊であり、素の自分の周りを覆い尽くして茂り、その存在を外界から完全に遮断していた蔦のようなものだったのだ。その蔦は、彼に決して明るい日の光が当たらぬようにし、闇の中で長い年月をかけて弱らせ、枯れさせていったのである。


 それが取り払われたとはいえ、それへの恐怖がいきなりなくなるものではない。だから仕方がない。

 これは後遺症である。自分に非はない。


 そう思ってみると、「建築」への度を越した反応も、徐々に和らいでいった。

 ところが、そのあとだった。

 ある言いようのない、妙な感覚がやってきたのは。



 せっかく鏡をそう苦もなく見れるようになったのに、毎朝映る自分の姿がどこか薄くなっている気がする。古くなったモニターの画面が色あせてくるように、自分の顔かたち、髪や肌の色などが、明らかにぼうっと薄まって見えるのだ。

 初めて自分を見ているのだから、まだ見慣れないので勘違いしているんだろうと思ったが、すぐにそうではないと気づいた。


 それは自分の掌を見て分かった。

 ぼやけている。目のせいではない。

 あわてて太腿を見る。周りの鏡台は鮮明なのに、黒ズボンをまとった太い足はぼうっとぶれており、ピントがずれたカメラで撮したゴースト映像みたいだった。


(これは、いったいなんだ……?)

 最初は思ったが、そのうち腑に落ちた。


 消えかかっているのである。

 自分が、次第にいなくなろうとしているのだ。

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