彼は設計図しかない建築家である。プロの一級建築士ということだが、なんせ作った建造物は、どれもその構造を記した紙切れ一枚しかない。いくら「こんなビルを建てた」だの「あそこの庁舎は俺の作だ」だの喚こうが、それは嘘で作ってもいないのだから、紙の上に鉄骨を立ててグラグラしているも同然だった。

 しかも、その紙すらないビルも多く、彼の「作った」ビルのほとんどが、地面にただ材料だけ捨てられて四散し、無意味なゴミとして放置された状態と言ってよかった。

 全く土台のない場所――たとえば水の上や空気中などに、家やビルを建てようとすれば、いったいどうなるかは、彼を見れば、だいたい分かる。



 彼には、顔も体もなかった。

 彼の容姿から頭の中身から、その全てが彼のイメージによるありもしない理想の姿で出来ており、現実から完全に分離していた。だから、たとえば仕事上でミスを怒られるなど、「お前の現実の姿はこうだ」と、ちょっとでもつつかれようものなら、たちどころに火がついたように飛び上がり、鬱になって落ち込み、そんな深刻な後遺症が何日も続く。

 土台がないので常に不安定で、ちょっとしたストレスも我慢できず、さりとて堂々とさぼる度胸もなく、たとえ仕事が決まっても、数日は行くふりをして図書館などで時間を潰して帰宅し、いよいよ給料日になると、女房に泣いて謝る、という目もあてられない醜態をさらした。

 普通なら、こんな惨めさには耐えられないだろうが、彼の場合は己の真の姿をいっさい把握できないので、自分が惨めだと気づくこともなく、切羽詰ったときに、ただ肉体だけが反応して泣いたり、部屋の机に向かって仕切りのカーテンに背を向けたまま、なにかの病気のように、がくがく震えるだけだった。

 実際、彼は病気といってよかった。理想と現実の完全な乖離は、傍から見たら異常としか見えなかった。それでも、それ以外の術を知らなかったし、出来なかった。



 彼には、他人のしている言動は全て、自分にはまるで不可能な魔法のように見えた。なぜ、恥ずかしげもなく自分の顔を鏡で見れるのだ。なぜ、自分の欠点を把握したり、やりたいことと、やりたくないことの区別がつくのだ。


 彼が何かをやりたいと思い、やろうとする。そして、やってみて分かることは、その全てが、実はやりたくもない嫌なことで、「こんな判断も出来ないとは、自分ほどの救いがたい阿呆はいない」と、すっかり落ち込んで死にたくなるだけだった。

 かといって死ねない。死ぬほどの痛みには到底耐えられそうにないし、また死ぬには、あまりにもこの世に未練がありすぎた。自殺する人は、どうしてそう簡単に死ねるのだろうか。そんなにすぐに楽になれる方法を知っているなら、教えてほしいもんだ。

 実際には、楽になれる何か技でも会得して、それを使って死ぬわけでもなんでもなく、ただ生きたいと思う気力や、痛みの感覚などの全ての力がなくなり、この世から消え入りたくなったときに自殺へ至るのだが、彼にそんな知識はなかった。


 だが、彼は確かに本心では死にたくなかった。「本当の自分」という未知のものが自分の中にありながら、見ることも触ることも出来ないため、そのままこの世から消えることには耐えられなかったのである。喉から手が出るほど欲しい宝が、すぐ目の前の島にあると確実に分かっていながら、途方もなく長い歳月のあいだ足止めされ続けている海賊のようなものだ。

 しかし本当のところを言えば、それが実は宝のような価値のあるものではなく、たんにくだらないだけの、無駄なゴミでしかないにちがいない、知ったら終わりだ、という恐怖感のほうがはるかに大きい。だから、うかつに見れない。といって、あきらめられない。「いいや、絶対に素晴らしいはずだ!」という無理やりな希望を着込んで「武装」し、そのはかない可能性に、必死にすがって生きている状態なのだ。

 実は、この常にフタをして見ないようにしている「自分が誰にも愛されない、くだらない人間である」という「真実(であると彼が絶望している思い込み)」に、常に脅されて生きていること、これこそが、彼の抱える最大の問題だった。

 といって解決策はない。専門家にでも相談しない限りは。そして、それは金がないから出来ない。あっても、まずしないだろう。こんなんでも、まだ「ちゃんとやっている」「大丈夫、まだ耐えられる」と思えてしまっており、死ぬ一歩手前の、本当にぎりぎりの段階になるまでは、誰にも頼ろうとしないだろう。

 特に彼のような昭和生まれの男は、他人に話せない、打ち明けるのが恥ずかしい心の問題を抱えると、手遅れになるまで一人で苦しみ続けるのが普通で、それが「男らしさ」という名の美徳ですらあった。失業しただけで家族に恥ずかしいから自殺、などは、まったく珍しいことではなかった。



 彼は全てが恐ろしかった。

 外に出れば、前から歩いてくる通行人が、彼の本当は情けない無職であるという真実をばらして手ひどく傷つけ、コンビニに入れば、店員が彼の恥ずかしい幼稚さを見抜いて嘲笑う。きっとそうなる。と思い込んだ。


 顔に全てが出ていると思った。

 胴体が透明のビンのようなもので、中に入っている醜くグロテスクな臓器などは全て外から恥ずかしく丸見えで、思うことも全て顔に明確に書いてある。そこから、他人への不快感や嫌悪、親から散々叩き込まれた人間憎悪がはっきりと読まれ、相手は嫌な思いをし、彼に殺意すら持つ。自分をにらみつけて文句を言い、忌み嫌って虐待してくる。それが人間である。

 これが彼の黄金律だった。半世紀近くを、それでやってきた、彼の当たり前の「常識」であった。

 そして、それで特に問題はなかった。無一文になって破滅することなどなかった。誰かが必ず彼を食わせた。これほどの社会への不適応者、妄想の中のみで生きる異常な人間が、生まれてから一度も食うに困ったことがないのだった。



 彼は自分以外の誰かといるときはいつも怯え、リラックスなどありえなかったが、唯一の例外は、次男が人形で話してくるときだった。その時間があったからこそ、どんなに恐怖症でも鬱病には至らなかったのだと、彼はのちに思った。


 しかし、若いうちはそれでやってこれても、年老いてくれば体にガタが来る。もともとすぐ風邪はひくし、体力もなく健康ではなかったが、五十近くになるとさすがに腰が痛み、走ると息切れし、夏には暑さで四六時中風邪をひくようになった。煙草はやらず、今のところ癌の危険はなさそうだったが(次男が払ってくれている国民健康保険で健康診断は受けていた)、肝臓が弱まり、酒が飲めなくなった。これで日々のストレスをアルコールによって誤魔化すことが出来なくなり、よくある酒しか楽しみのなかった者の老後の悲惨さを、彼も経験することになった。

 歳を負うごとにイライラは増えた。今まで崖の下までだった水かさが、洪水で一気に増えて山の半分までが海に浸かったように、肉体の苦痛と絶望が、まとめて彼に押し寄せた。




 そして悪いことは重なる。女房が肝臓がんで入院した。

 若い頃に散々無茶飲みしてアル中になったとき、その治療に当たった若い医師が悪質で、長期間に大量の薬を与え続けた。それが今、全身の痛みや頭痛、吐き気などの副作用を起こしたのだ。大病院に入ると、年長の担当医は薬の過剰摂取が癌の原因だと診断した。


 訴えれば勝てるレベルだったが、この家族はそうはしなかった。一緒に暮らせば、互いに影響を与える。自分の存在すら信じないという父の極度に後ろ向きの傾向は、前向きだった次男にすらウィルスのごとく波及していた。母親の入院という最悪の事態に子供たちは失望し、医者を責める気力もなかった。

 だがある日、次男が気づいて言った。

「そうだ、提訴しても、もう時効なんじゃないか?」


 もちろん、一番おののいたのは父である。いよいよ本気で仕事をしなければならなくなったからだ。今までは己の特殊な状態を言い訳に逃げ回っていたが、こうなってはやるしかない。

 なんの積み重ねも経験もない彼に残された仕事は、最も高給が取れてすぐ雇ってもらえる警備員しかなかった。週に五日、無理やり続けたが、この期に及んでも心身がついていかないのには、彼自身が感動したほどだった。

 前々から仕事では、彼と同じように性格や人生に問題のあるやさぐれた荒んだ業者としか縁が出来なかったが、今度も相変わらずだった。どん臭く機転がきかないまま路上で赤い棒を振り、湯船のような四角いバケットを背負う電気工事の車から怒鳴られるわバカにされるわ、それでも二週間は持った。辞めて家に帰っても、いつも頭を下げる女は大病院だった。

 彼は辞めたその日にチラシ配りの会社に電話した。給料は警備の半分以下で、とても生活には足りなかったが、もはや彼にはこれしか勤まる仕事はなかった。



 だが、またもこの家族は事態をしのげた。同じく引きこもっていた長男が、次男の説得で警備を引き継いだのである。彼もどん臭かったが、父ほどではなかった。現場で仲間や業者ともそこそこいい関係を築くことが出来た。もちろん父に対して恨み言はあったが、今はそんな場合ではないので、口にしなかった。


 父はほっとし、ポスティングすらきついので日数を減らして、その代わりといわんばかりに、家のことを全てやった。食事も焼き飯ばかりでなく、まずかったが肉じゃがくらいは作れるようになった。息子たちは食えればいいという感じで文句は言わなかった。そして彼は、暇さえあれば女房の見舞いのため病院へ行った。



 病床に伏せっている彼女は、彼と同じ五十前でありながら、めっきり老け込んで六十すぎにも見えた。彼が見舞うと、右腕を上げて点滴を受ける顔をこっちへ向けることもあったが、スリッパでその辺を歩いて留守だったりと、わりに元気だった。顔色もよく、病院の質素な食事もよく食べた。自分が病人の身なのに、やたら夫や家族の健康のことばかりを聞いた。手術して一週間ほどだったが、よくなれば帰れるという話だった。病室は窓からさす日で明るく、二人用だったが、向かいのベッドは空いていたので気楽だった。


 しかし彼は医者の話を一人聞いて、絶望した。

「持って、二、三年でしょう」

 今さら、そこまで進行していることに早く気づかなかった事実に、胸が悪くなった。自分のことで手一杯だったことは、自分の不甲斐なさのせいなので、ますます罪悪感が募った。

 しかし本当に今さらだった。

 もう生まれて半世紀である。

 これだけ生きたというのに、今までに嘘をつく以外のことをしたことがない。


 方や女房は、子育て、家事など、やるべきことを必死にやってきた。それでも足りないと悩み、幼少の頃の親の冷淡さに追い立てられコンプレックスが増大し、自分が浮気しても動きもしない最低最悪の男としか一緒になれなかった。親がああでなければ、自分の人生はもっとマシだったはずだと、心の底でいつまでも悔やんでいた。

 基本は自分のせいではないので、夫に八つ当たりしたことは仕方がなかったと納得していたが、彼をウスノロ呼ばわりしても、すっきりはしなかった。結局は自分を責めた。


 世の女が皆するように、家庭の問題の原因が、自分の女としての駄目さにあると思い、一人で背負い込んだ。自分にもっと母性があれば、我が家はきっとちがって見える。夫も子供たちも今より自信を持ち、悩みがあっても力強く乗り越え、家の中がきらきらと明るくなるはずだ。私が母として、女として足りないから、こういうことになるのだ。


 口では全てを男のせいにしながら、本心では真逆だった。客観的には働かない夫がぜんぶ悪いはずなのに、そう思わせない何かが常に頭の隅にあり、何かをしよう、考えようとするたびに、その行動と思考を押さえつけた。

「旦那は最低だ」と誰かに言う。しかし、すぐに「自分も悪い」となる。やがてそれは、「そんなのと一緒になった自分が悪い」「自業自得」となり、結局は「自分のせいだ」という結論に落ち着く。そして、そう考えることは、とても女性的でつつましい「良い」ことなのだった。


 というより、もはや女らしさの点ではほとんど不合格の自分には(これだけ家のことをさぼらずにやっていても、である)、なんでも自分が悪いと思い込み、周りから責められて、被害者、全ての殉教者になることは、女としての自分を保つための最後の砦だった。自分みたいのが女になるには、たとえ相手が悪かろうと、遠慮して身を引くぐらいのことしかできない。それが自分に出来る最低限の「可愛いふり」である。もし、それすらしないと「男」になってしまう。

 だが男には絶対になれない。カッコつきの「男」、つまり男のまがい物になるだけである。そして、それは人権のない、周りがどんな扱いをしても許される罪人を意味する。

 女は周りが「可愛い」と認めるから人間扱いされるだけで、本人の意思は無視される。相手を悪く言うなど、「可愛くない」ことをやった場合、(嫌われるとか白い目で見られるとかいう法的でないやり方で)断罪され、処罰される。


 ならば、たとえ「可愛くない」ことを腹で思っても、言わなければいいではないか、と思うかもしれない。しかし、それは無理である。

 もし「男が悪い」と本気で思った場合、その思いがバレないように徹底的に気を使うことになる。バレたら、当然非難される。その男がどんなに悪かろうが、「女がそういうことを言うもんじゃない」とやられる。そうなったら、誰も助けてくれない。


 自分の身は自分で守るしかないので、女は何も本気では「思わなく」なる。何も本気では感じなくなる。だからそれが許される唯一の場所が提供されれば、そこになだれ込む。

 世の男が顔をしかめるような悪態を吐く場所、女性週刊誌やネットの女性専用の掲示板などは、そのような不可欠なニーズ、世の中から消し去られた女の人間たるための存在を満たすものだ。


 逆に男なら、どんなに非難されようが社会的には行き場がある。極悪非道の犯罪者すら、必ずどこかに理解者がいて、その存在を認めてもらえるくらいだ。少々ひどいことを言ったりやったぐらいでは、誰にも同意されずに、たった一人で抹殺されることはまれである。

 だから男には、どこかに「俺は大丈夫だろう」「このくらいしても許されるだろう」という、強固な甘えがある。社会に根付く極度の母性信仰が、その赤子に似た精神構造を支えている。


 だが女は、道を外れるや否や、社会全体から忌み嫌われ、深い暗黒の沼に落とされるように、その存在を消し去られる。世に害を与える邪悪なものとして、端からいなかったことにされる。そうなったら、誰にも甘えたり頼ることが出来ない。

 だから女は「存在自体に」気をつけなければならない。だから最初から諦めている。何かを思う、感じる、という人間の基本中の基本からして、初めから否定されている。



 彼女が誰にも相談できず、周りから押し寄せる貧苦に飲まれ、最終的に行き着いたところは病院だった。多くの不幸な女がそうするように、彼女も体を壊した。誰にも頼れない者が誰かに頼ろうとしたら、医者にかかるしかない。

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