一人目の息子はダメだった。父に似て暗く、自信がなく仕事が出来ず、作家になると言ってはカーテンを下げて作った部屋に引きこもってワープロを打ったかと思えば、バンドをやると言ってはギターを弾いた。なにをしてもすぐやめて、しばらくしてまた始める、を繰り返し、定職のないまま三十を過ぎた。

 長男の期待に潰されて、なにをしても失敗したが、父が受けたほどの殺人的な重圧ではなかったので、現実逃避で自分を完全に失うまでには至らなかった。母親の人生の恨みや攻撃はもっぱら旦那に向かい、さほど子供を利用して使い捨てようとはしなかった。おかげで長男は鏡を見ておしゃれしたり、ある程度は我慢せずに言いたいことを言うことはできた。


 二人兄弟は一つの部屋を共有し、黒いカーテンで仕切ってそれぞれのプライベートを守った。弟は兄のようなプレッシャーもなく比較的自由にのびのびと育った。次男にありがちだが明るく気が優しく、友達も多かったが、この家族の一員らしく、その全てが表面的な付き合いだった。

 前向きで諦めず、機械に興味があり、エアコンなど家の電気製品の故障はしつこく自分で直そうとし、本当にダメだと分からないうちは、決して修理を呼ばせなかった。

 彼は頼まれなくても自分から手伝うような優しさはあったが、率直すぎて口が悪く、父や母の前で本当のことを言って場を凍りつかせたこともある。この家で触れてはいけないことがあるのは彼も承知しており、父を哀れんでいたから、その触れたら飛び上がる火にも等しい一言はなるべく控えてはいたが、金のことで修羅場になれば、つい口が滑った。家計を主に支えていたのは弟である彼だったからだ。

「そいつだって、頭おかしいだろ!」

 指さして叫ばれても、父は目を暗くそらすだけだった。それは決定的な一言であり、家族が崩壊してもなんらおかしくない爆弾そのものだった。

 しかし、すぐにそれはなかったことにされ、翌朝になればまた暮らしが始まり、弟はいつもどおり仕事に行き、誰も謝る者はない。


 後ろめたさ。居心地の悪さ。奥歯にものが挟まった状態。そんなのが当たり前の家庭で、いちいち物事に白黒つける必要はないどころか、つけようとすることは破滅を意味した。本当に全員が追い詰められ、殺し合い寸前にでもなれば、互いに本音を吐いて「洗い直し」する必要もあろうが、それは起きなかったし、起きる必要もなかった。

 弟はたまに酔うと「いっぺん、全部ぶち壊したほうがいいんだ」と言ったが、本気ではなかった。そんなとき、向かいのカーテンの中で背を向けてものを書いていた兄は、密かに苦笑していた。この家族の誰も家から出たくない、出られないことを知っていたからだ。



 恋愛でもして女と子供を抱え、どうしても家を出ざるを得ないとなれば弟も彼らを見捨てたろうが、そうなることはなかった。子供の頃に女の子と付き合ったりもしたが、彼のその後の運命をあらかじめ定めるように、関係が進展することはなかった。うちが普通の家庭でないことは分かっていたし、金を稼ぐ「まともな社会人」になれそうなのが自分しかいないことも、無意識に悟っていた。彼は普通に結婚して家庭を築くことを早々にあきらめた。兄が使えないとなれば、必然的に、彼にお鉢が回ってくる。


 嘘と虚飾で全身を塗り固めたでくの坊の父に、それを食わせながら自分ら兄弟を育ててくれた母。父も暇だから母の仕事中のみならず、家にいるときも自分らの世話はした。自分がなにをしているのかも分からんようなイカレ野郎なので、おしめを変えるのもあやすのも、きわめてぎこちなかったようだが、虐待や育児放棄を受けた記憶はない。母によれば、むしろ赤子の世話は喜んでやったという話である。


 しかし、自分の嘘がいつバレるかと慄いて生きている犯罪者予備軍のようなのが育児をすれば、その意識が移ることはあるんじゃなかろうか。自分と兄が女に興味はあっても深入りする気が起きない、いやそもそも人間一般に深入りしにくい性質になったのは、父の恐怖と絶望をもらったせいではないか、と疑ったことは何度もある。

 しかし、それなら逆になんの問題もない家庭だったら、俺は今ごろ普通に出世して結婚して平和な家庭を築き、夏には庭のビニールのプールで子供と遊び、絵に描いたような普通の人生を、あくびしながら送っていたんだろうか。

 とてもそうは思えない。ただ親を食わすプレッシャーがないだけで今となにも変わらず、女を作る気もなく、稼いだ金をぱーっと人におごったりして無駄遣いし、老後までアパートに一人でいたんじゃなかろうか。いや、そうならなかったかもしれない。

 考えても無意味だった。


 確かなのは、この今の状態である。

 俺はおそらく、一生この父と別れることはないだろう、と思った。

 ある理由で。


 次男は重度のアニメ好きだった。生来絵が上手く、中学の頃からアニメのキャラクターと設定だけを流用したオリジナルストーリーの漫画を描いており、クラスに幾人かいたそのアニメのファンからけっこう評判だった。大学生のときには同人誌というアマチュアの漫画雑誌に参加し、都心で催されるコミックマーケットなる市場で雑誌を売っていたこともある。

 四十半ばを過ぎた今はもうしておらず、もっぱら観るほうで、もちろん金がないのでブルーレイなど買えず、テレビの録画ばかりである。


 アニメの傾向はいわゆる萌え系というやつで、少女マンガの流れを汲む目の極端に大きい、柔らかい線で描かれた輪郭が特徴の、一見子供向きのキャラクターが出てくる作品である。内容はSFやオカルトに人型ロボットや自分で着込むバトルスーツなどの兵器や、超能力や霊力などによる戦闘が加わったバトルものやアクションもの、または学園ものや恋愛ものなど、子供が喜びそうなマンガ設定の延長に、大人向きの深遠なテーマや性的な嗜好が乗せてある感じである。ようはSFやアクション、青春ものなどの映画を動く絵で描いて、登場人物の目を大きく、顔つきを柔らかくして、目に優しい造形にしたものである。日本から発信され、海外でも使われるようになったkawaiiという言葉が、これらの作品に形容される。

 以上は主に男性向きの「カワイイ」を特徴とする萌え系の説明で、女性向きだとこれが「カッコイイ」になるので少々ちがう。だが女性向けも、男向けと同じく元は少女マンガの男キャラをそのまま持ってきているので、目は細い(ものが多い)ものの、顔の掘りや皺などのノイズを極限まで減らし、顎を細くし、現実のゴツい男を和らげた柔らかさを強調している点は、男向きの萌えと同じといえる。


 何かに入れ込んだり、やたら詳しい者を広義にオタクと呼ぶが、このような萌えの系統が好きなアニメオタクのことを「萌えオタ」という。

 次男はパソコンの会社に勤めており、その手の会社ではその手の趣味の者がわりといそうなイメージだが、彼はそこでは萌えオタはおそらく自分だけだろうと思っていた。まだ根強い、大人になっても漫画やアニメにハマっているのは恥ずかしいことである、という世間の白い目は気にしなかったが、会社に萌えキャラの絵柄の付いたカバンや巾着を持っていくとか、そういうぱっと見派手な下敷きなどの文具を使うとか、そこまでは出来なかった。恥ずかしさではなく、ほかの社員の迷惑だからである。

 たとえ他人事であっても、幼稚なものを見せられると己のそれを思い出し、たちまちのうちに傷つくのが、この国の黒船来航以来の特性である。そして、その理由を指摘すると角が立つのもまた、この国の特性である。


 もともと他人に話したくない家庭だから、その会社ではプライベートのことは言わなければ放っておいてもらえるので、そこはありがたかった。だが同時に、社内に同じ趣味を持つ者がいても知る機会がなかった。

 家の机には、フィギュアと呼ばれる小さな美少女キャラの人形が、様々なジャンルでカラフルにひしめいていた。ビキニを改造した赤い戦闘服にでかい槍や剣を掲げた奴とか、微笑む紺のセーラー服の幼女とか、黒髪長髪で鎮座する巫女とか。

 机の棚の上には、一見つぶれた安い二段の鏡餅を思わせる二等身の「ねんどろいど」なる人形(これもフィギュアと同じく様々なジャンルに至る少女の格好である)が、こけしのごとくずらり並んでおり、ぱっと見、そういうものを売る店の一画のようだった。

 しかし、会社の机のほうは寂しいものだった。座ると、戦闘機のコクピットに乗った気持ちだった。必要最低限の計器で、終業まで戦うのだ。そこはきわめてまじめで、遊びの要素といえば、上手くいったときの面白さくらいしかなかった。そして彼にとっては簡単な仕事だった。


 身近に同じ趣味の者といえば、実は父親しかいなかった。

 彼は最初は人並みに、ジャンプ系の格闘漫画とか、青年誌のグルメだの仕事だのをテーマにしたサラリーマンが読むようなのをかじっていた程度だったが、それを知った次男がやたら勧めた萌えの系のアニメを観るうちに、同じ話が出来るようになった。

 もともと明るく前向きな次男は、前述のねんどろいどを持って人形劇のように話しかけてくることがあったが、極度の対人恐怖の彼には本当にありがたいことだった。相手が萌えキャラだと、他人と接するときにいちいち本当の自分を暴かれて傷つけられる、いつもの不快な痛みが和らぐからである。

 次男も父とのコミュニケーションにはこのやり方が一番いいと知り、また、もともと子供っぽいところがあるので、こういうのが好きだった。今では家族に合わせるように近所には挨拶のみで通しているが、まだアパートに付き合いのいい連中が住んでいた若い頃は、隣の部屋に住む子供たちと、けっこう遊んだりしていたのである。


 次男は増えた人形を父の机の棚に勝手に置いたりしたが、父は気にしなかった。もとは、そういうのがまんざら嫌いでもないという程度だったが、アニメを観るうちに徐々に好きになり、今では入れ込んで完全にオタクだった。次男が人形で会話してくると、自分も机のを使って会話した。

 傍目には恥ずかしいにもほどがあるので(次男はろくに気にしなかったが、もう一人はそうはいかない)、カーテンで仕切ったそれぞれの自分らの「部屋」の中でしかやらなかった。要件を言うようなときは人形を劇のように小刻みに動かして普通に喋ったが、ふざけるときは「ナニイッテンダヨー」などと裏声を出して笑いあった。

 それは女の子のままごとを彷彿とさせたが、向かいにいる長男や、隣の部屋の母親には何をしているか丸分かりだった。それでも何も言わなかった。父が落ち込みすぎて何か変なことをしでかすよりは、このほうがずっと良かった。一家の大黒柱の次男と父の関係がいいのは、この家には良いことだったのである。

 むろん妬みはあった。機嫌が悪い長男が次男に二人の仲のいいことについて嫌味を言ったり、母が家事を手伝う父に「○○(次男の名)と結婚したらいいんじゃないの」と横目で憎まれ口をきくことはあったが、さほど問題にはならなかった。


 だが家計が苦しくなれば別だった。

 次男の月給は三十万だったが、それで四人の生活はぎりぎりだった。あれが買えない、いくら足りないとこぼす家族の矛先は、最初はゴクツブシの長男と父の二人に行くが、最終的には、本来、家の最高責任者であるにもかかわらずバイトも勤まらず、貫禄も皆無な父親のみに向かった。

 そういうとき彼は、人形が使えたら、と思った。しかしそれは、こういうまじめな舞台に出てくるものではなかった。そんなときは次男も、自分の持ち前の顔を下げて文句を言ってきた。そうだ、この劇は生真面目な問題作で、終わるまで退場も出来ないのだ。


 それでも彼は人形が欲しかった。それは自分の姿を隠せるマントのようなもの、あるいは顔を隠す面だった。表情の決まった作り物の目鼻のほうが、よほど自分らしい顔だった。というより、いっそ顔もなにもないほうが、自分らしい顔だった。のっぺらぼうが、彼の本当の顔だった。

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