第3話 音の魔法

 環はその大量の神津之介もどきがSasrykvaが有象無象から集めた思念であることと、それを送り込むためのピンとして最初にSasrykvaの歌が環の位相に響き渡ったことを認識していたが、環が入口として設置したモニタから現れる神津之介は、最初に現れたものを除き、Sasrykvaの気配はなかった。

 だからそれらがぐちゃぐちゃに絡み合ったただの思念の塊である神津之介にはさほど注意を向けていなかった。けれども注意を向けるべきはそれらで、もっと言えばそのSasrykvaの魔法の指向性、つまり環はSasrykvaが用いる音というものの性質をより検討すべきだった。

「環! 何が起こってる⁉︎」

「どう見える?」

 環の目にはぐちゃぐちゃとした思念の塊である何かがより集まり、大きな一つの塊に膨れ上がっているように見えた。

「何って、神津之介マン? 幽霊バスターズのマシュマロキングみたいな! ちょっと可愛い!」

「徹頭徹尾、愉快犯だな」

 環の目の前のそれはすでに、2メートルほどの塊に膨れ上がり、環を見下ろしていた。その間も環は、周辺に設置した石を擦って音を出したり、あるいは石を設置して新しい障壁を作り出してSasrykvaの音の効果の持続を阻害しようとしたが、困難だった。

 なぜなら一番最初のSasrykvaの音が未だ消えずに環の位相の内側に遍く微細な振動として止まっているからだ。さらにだめ押しにやってきた最後の音に反応してその振幅を広げ、まるでパイプオルガンの音が教会中を反響していくように増大して神津之介を成形していく。

「なんだこの戦隊モノじみた馬鹿馬鹿しい歌は。まるで俺が悪役みたいじゃないか」

「何? どういうこと?」

「結局最初の神津之介と一緒に訪れた歌が先頭で座標を記録し、最後に訪れた歌が同じ目的を持つ全てを統合するという変数をつれて訪れ、その全て揃った歌が有象無象に送られた全ての思念をフィックスして巨大な神津之介を生み出そうとしている。つまり、最初の神津之介に他のすべてが合体して、ナイフを持ってあるいは持たずに俺を襲ってくる」

「結局持ってるのか持ってないのか!」

 その環の声を合図にしたのか、目の前の巨大な思念の塊はその腕を大きく振り上げた。環は咄嗟に後ろに飛び退ったが、振り下ろされたその風圧は環を吹き飛ばし、環が設置した結界、つまり何もない空間に体を打ちつけた。

「環? 何で逃げて来ない。その世界を分離するんじゃなかったの?」

「ダメだ。こいつはついてくる」

「なんで?」

「音だからだ」


 環は改めて、音というものの恐ろしさに思い当たる。音は形を持たない。振動だ。そしてすでに環のいる位相の全てがSasrykvaの振動に感染し、微細な揺らぎを生じている。

 先程から神津之介マンをこの位相に食い止めようとしていたが、効果は芳しくなかった。振動をひとところに止め置けるはずがない。だから環が位相を超えて智樹のいる場所に戻っても、その音の揺らぎは環と一緒についてきて、つまり歌で増幅された神津之介マンもターゲット である環を追って現れる。

 それではせっかく位相をずらした意味がない。

 環の術が環の想定ほどの効果を及ぼさないのも、術者である環自身がすでにSasrykvaの音の影響を受けているからだ。その術が効果を生じさせる前に、Sasrykvaの歌のもつゆらぎがその効果に干渉・減衰させている。振動を環の体から分離することができない。

「糞厄介だ。智樹、きちんと守りは施しているだろうな」

「勿論」

「歌を破壊するしかない」

「歌を破壊? どうやって」

 智樹にとっては音というものは無形で、壊せるものとは思えなかった。

「三半規管がやられて歩けなくなる。だから強引に連れ出せ」

「わかった!」


 智樹は環の理屈はさっぱりわからないものの、どうせ聞いてもいつもわからないから気にしなかった。

 単純な話で、音はゆらぎだ。音を打ち消すには、それを上回るゆらぎをぶつければいい。

 幸いにも神津之介マンの動きは緩慢だ。

 その攻撃を掻い潜りながら、環は神津之介マンの周囲をぐるりと回り、その足元に石を置いていく。都合8個の石を置く頃には、神津之介動きはさらに緩慢になっていた。Sasrykvaの音はどこまでも伝播していく性質を持つが、環の使う石はそこに存在するという物理的な性質を持ち、軛としてこの世に干渉する。

 智樹の目の前で空間が僅かに揺らぐ。環が開けたその入口に、智樹は迷わず飛び込む。ふいに環の姿が鮮明になり、そして神津之介マンの姿も智樹の目にはさらに鮮明に写る。

「神津之介、マン?」

 智樹はこれまで2つの位相を超えた姿、つまりテレビでも見るような感覚で神津之介マンを捉えていたが、目の前にすると、そのありうるはずのないあまりの物理的なリアルさが脳に混乱を齎した。智樹は妙につやつやして、甘そうに感じた。

 そして智樹は自分の呟いた声がほとんど聞こえないことに困惑した。環も智樹に何かを話しかけていたが、その音も聞こえないものだから、智樹は首を振った。環はそれを確認して頷き、神津之介に向き合う。

 そして、智樹はこの位相の中にSasrykvaの音、つまり魔法が満ちていることを思い出す。智樹は環から受け取ったリップを体の開口部、つまり目鼻口に塗って極小的な結界を張っている。だからその音が魔法というのであれば、智樹には聞こえない。

 智樹の仕事は明確だ。環がSasrykvaの魔法を打ち消した瞬間、環が先程空中で何かにぶつかった地点より外に環を引き摺り出すことだ。


 智樹は環が懐からいくつかの石を出し、それを擦り合わせながら口をぱくぱくさせるのを見つめ、何かの呪文を唱えているのだろうと当たりをつけた。その間も神津之介マンはのろのろと腕を降り上げようとしているが、とても緩慢に思える。智樹にはあたっても痛くなさそうに見えたが、そもそもがわけのわからないものだと首をふる。

 環が手をかざせば神津之介マンの周辺に置かれた僅かな石が光り、そして環がぐらりと揺れたところをあわてて智樹は支え、引きずり出そうとして神津之助を見上げ、思わず固まった。

 リアルな神津之介の頭部の一部がまるで熱い鍋に触れたようにブクリと膨れ上がり、そのような水疱のようなものが神津之介の頭部を起点としてぶくぶくと体全体に生じていく。それは智樹にとってホラー以外の何物でもなかった。

 慌てて智樹が環を引きずり出すのと神津之介が爆散するのは同時だった。そしてその爆ぜた白い何かは、位相に区切られたと思われるその内側の空間、つまりモニタや壁なんかを真っ白いペンキをぶちまいたかのように汚していた。

「うわぁ」

「まじかよ。掃除が大変だ」

「あ、声が聞こえる」

「位相を抜けたからな。助かった」

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