第2話 召喚術

 しばらくモニタを観察していれば、ふつふつとその表面にさざなみが生じ、ぷるりと震えた。しばらく待てば、その漣を突き破り、神津之介のぬいぐるみが現れた。環の記憶では、Sasrykvaが動画で呼んだものとほぼ同じに思える。環はつまみ上げてナイフを奪い、ひっくり返して背にハサミをいれた。その感触はあたかもマシュマロのようだ。

 ざくざくと切り開けていく。当然機械などは入っていない。環はその内側に小石を差し入れるのと引き換えに、小枝のようなものを取り出す。

「環、なにそれ」

「これがこの神津之介の芯だ」

 取り出せば神津之介は電池が切れたかのように動きを止めた。それをよく見れば3センチほどの紙をくるくると巻いたもののようだった。開けば墨で何か書かれていたが、たちまち滲むように空気に溶け、1フレーズの歌が漂い、空気を揺らす。

 これがSasrykvaの魔法だ。声を閉じこめ送りつける。その音は録音もできやしないから、解析がちっとも進まない。その上1フレーズだけで、全体の歌がわからない。

 けれども環にはこの空間を流れる力の動きで、その短い声の意味はわかった。この環のいる座標を記録したのだ。つまり、この座標に向けて神津之介が送り込まれてくる。

 それらがどのようなものなのか、わからない。今目の前にあるのは、環が配信の時に作ったものと同様な、Sasrykvaが作った神津之介なのだろう。Sasrykvaの感触が有る。けれども次にくるのは、Sasrykvaが集めた思念によって形作られるはずの神津之介だ。

 しばらく待てば、ぷくり、とモニタの表面が膨れ、神津之介の頭部が現れ、ぐちゃりと床に落下した。そしてピクピクと蠢いた。そしてSasrykvaの神津之介に近寄ろうとするように、ずりずりと床を這う。その体はよじれ、まるで骨がないようだ。けれどもしばらくすれば、力尽きたように動かなくなる。

「……なにこれ、気持ち悪い」

「単純に訓練が足りないな」

 依代を用いるには、術者がそれを完全にイメージできなければならない。恐らくそれが不完全なのだろう。とすれば、この先はおって知るべしだ。次の神津之介はもっと酷く、白く丸いアイスクリームのような物体がぺちょりとモニタから滴り落ちた。そのあともドプリドプリとケチャップをひねり出すように断続的に、液体なのだか半個体なのだかわからないものが滴り溢れ出す。

 それらは環にとって酷い不快感をもたらすものだった。表現するとすれば、特定多数の思念がぐちゃぐちゃによりあつまった気持ち悪いもの、なのだ。

「ドン引きなんだけど。神津之介が最悪だっていう意味を理解した」

 恐らく智樹の目には、その思念の形をより明確に捉え、つまり術者の記憶に基づく中途半端に鮮明な神津之介がぐちゃぐちゃと合成されたものに見えているはずだ。無形の歪んだものより有形の、つまり有るべき姿が歪んでいる方が圧倒的に気持ちが悪い。

「集めるだけなら、こんなものだろ」

 環はSasrykvaの実験の結果を考える。それは配信を開始するときからずっと考えていたことだ。

 Sasrykvaにとってこの試みは成功なのか、失敗なのか。

 Sasrykvaの動画から導かれる目的としては、有象無象の思念が集め、それをSasrykvaが掠め取る、というものだ。そして目の前に広がる光景は、まさしくその掠め取った有象無象の思念に見えた。

 その塊を眺めていてもどう転がしても不完全なもので、環が予想していたように環を襲うものでも、何かの作為を施す様子も見られなかった。そうすると、失敗なのだろうか。

 タブレットのメッセージも沈黙したままだ。

 神津之介もどきは既に形を留めないまま、雑多な思念が混ざり合い、未だとめどなくダラダラとモニタから流れ落ちている。この最後のあたりは特に神津之介を強く思い浮かべた、というものでもないのだろう。恐怖やら不信やら、そんなものがどろどろと混ざり合っている。

 通知音が響き、目を落とすとメッセージが届いていた。

『ありがとうBatraz』

 こんなものを溜め込んでいれば、鬱陶しいことは間違いないだろう。これを押し付けられただけなら、この位相を切り離せばよいだけだ。2つ位相が離れれば、世界はやがて離れていく。

『俺をゴミ捨て場かなにかと勘違いしてるだろう』

『実験につきあってくれる得難い生き物だ』

 実験。その言葉に嫌な予感がする。

 突然、目の前のモニタがブブブと震えた。その振動は次第に何かを形作っていく。

 何かが、くる。

 環は手元のいくつかの石の配置を変え、新たな位相をその隙間に構築し、訪れを防ごうとした。けれども功を奏さず、何の困難もなく、それはするりとモニタから現れた。

 現れた、というのも異なる。

 物質ではない。物質ではないから、障壁を容易に乗り越えてくる。それは全てに浸透するゆらぎであり、つまりSasrykvaの発する特殊な音だ。

 Sasrykvaの音が、最初に記録した環の座標を追いかけて、直線的にやってきた。

「智樹、耳をふさげ、今すぐだ!」

 その瞬間、環のいる位相の内側にその歌が染み渡る。

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