神津之介の呪 後半 〜呪術師 円城環〜

Tempp @ぷかぷか

第1話 厭魅の法

 Sasrykvaを一言で言えば、愉快犯だ。つまりSasrykva自身が面白ければ、それでいい。

 環が初めてSasrykvaに接した時、その狙いや目的について深く考えたが、今はやめている。おそらくSasrykvaは何かを成し遂げようとはしているのだろう。けれども現在Sasrykvaがインターネットを介して行っているのはおそらくその試験、つまりテストなのだろうと思い至る。それほどSasrykvaの行為は場当たり的で、無意味だ。そして積極的に不幸を招きたいとも思っていない。だから環が事態を終わらせようと意志を表示すれば、それと引き換えに自らの呪術の効果を試すため、それなりの確率で乗ってくる。


 今回のひとりかくれんぼでSasrykvaが行いたかったことは恐らく、広く無関係な他人の力を利用するための実験だ。

「環、つまり今度は本当にそのモニタから神津之介が現れるの?」

「さて、それはSasrykvaが何をしたかったのかによる」

「まじか。たいていわけがわからないよね」

 環の傍らで智樹がため息をつく。

「一番高い可能性は、神津之介がナイフで俺に襲いかかってくる」

「二番目は?」

「神津之介が俺に襲いかかってくる」

「ナイフの有無の違い?」

「いや、そういうわけじゃなくて。でもそうか。そこはSasrykvaもわかっていないのかもしれない」

 所詮、いつも一方通行なのだ。


 もうすぐ午前3時になる。

 ここは昨日とは異なる環の隠れ場所で、親しい友人にのみ場所をしらせている空間だ。そこには昨日と同じようにモニタが置かれ、乱雑に様々なものが散らばっている。万一のために智樹が待機しているが、危険性故、奈美子には知らせていない。

「智樹、昨日も言ったけれど、この魔法は変な魔法なんだ」

「オープンソースって奴?」

「そう。けれども呪をかける練習には最適だ」

 ひとりかくれんぼの一番妙なところは、それが自身に循環することだ。通常の呪術というものは、他人に対してかけられる。

 ところがこの魔法は、自らの依代となるぬいぐるみに呪をかけ、その呪を自分に向けさせ、終了させる。ナイフを突きつけるという行為は恐らく、『ナイフを突きつけるという行為』自体が危険で、つまり術者が具体的にイメージしやすいからだろう。

 つまり、このひとりかくれんぼという呪術はともすれば自分が危険になるだけの、本来何の意味もない術だ。

 けれどもそのルーチンをスムーズに行うことができるようになれば、ぬいぐるみに入れる爪や髪を他人のものに変えて他人を呪うこともできる。その意志を依代としたぬいぐるみを思うがままに動かせるようになれば、それは媒体に限らず呪符や式といったものにも応用できるだろう。


 問題はSasrykvaがこのオープンソースな術式にどこまで変数を入れてきているかということだ。つまり、この一連の騒動によってSasrykvaが何がしたいかだ。

「智樹、おそらくあの動画を見て、一般市民が自分のところに神津之介を召喚できる可能性は著しく乏しい」

「そりゃあまあ、そうでしょ。来たら可愛いけど」

「何故だかわかるか?」

「……人形がモニタを通ってやってくるなんてありえないから?」

「そう。たいていの人間は、最終的にありえないと思う。だから現れない」

「環はまるで現れるみたいな言い方をするね」

 本当に現れるかどうかというのは最終的な術者の力量によるのだろう。けれどもどれほど力量をもった術者でも、その結果を信じなければ魔法は起こせない。だから頓挫する。もとより荒唐無稽な話だ。

「けれども数万の視聴者の1割が試し、そこにさらに数人が紐づけされれば、微々たる思念もより集まり、何らかの力が生まれる、かもしれない」

「ねずみ講みたいだな」

「そうだな。Sasrykvaは多分そうやって力を集める実験をしていて、だから神津之介で、ぬいぐるみなんだ」

 智樹は怪訝な表情を浮かべた。

 この神津では誰もが神津之介を知っている。そして多くの家に1体くらいのぬいぐるみやキーホルダーはある。だから神津之介の姿や、それが自宅に存在するということをイメージしやすい。だから見知らぬ呪物や人形が家にやってくる、と具体的に想像するより、神津之介のぬいぐるみが家にいる、という事象は、遥かに想像が容易だ。

 そして神津之介が現れるという思念はLIME通話で術者に繋がり、術者はそれが自分のところに現れるかもしれない、という中途半端な想起を生む。けれども最終的には信じ切ることはできず、その思念は頓挫し、その想起はモニタの向こう側で渦を巻く。

「それでSasrykvaはその中途半端な思念を集めて、何らかの変数を定めて、何かの目的に使おうとしているんだと思う」

 環は『何か』ばかりだなと自嘲した。

「それ、危なくないの?」

「Sasrykvaが本来の目的に使う場合は、もっとわかりにくくやるだろうね。そこまでは俺は感知できないよ。ステマみたいなものだ。それでSasrykvaは自身の集めた神津之介を俺に送ると言っていた」

「じゃぁ神津之介がモニタからたくさん出てくるの?」

「そこが問題だな。果たしてそんな有象無象の思念が固まるものなのだろうか」

 環はやれやれと伸びをした。

 それにしても場合によっては数千人分の神津之介を実在させようとする思念になる、と思いながら。

「智樹、位相を2段階ずらす」

「はぁい。やばかったら引っ張り出す、でいいんだよね」

「ああ」

 環の認識では、世界は重層的に積み重なっている。

 世界は僅かずつ様相を異にし、人はその複数の世界、つまり重層的に積み重なる位相にまたがって存在し、無意識にその境界を超えている。それが靴下の色が片方異なる原因であり、位相が離れていけばその認識差異によってデジャブやジャメヴが生じ、道に迷い、更に離れれば神隠しとして扱われ、元の世界に戻ることが困難となる。

 その束のように存在する位相について、環は同じ場所であるにもかかわらず異なる場所であると認識しうるほどに遠ざかった場合は一段階、異なる世界や法則が存在すると認識しうるほどに至った場合は二段階とカウントし、さらにそれを超えれば戻ってくることは困難であると認識している。

 環は文様の描かれたいくつかの石を配置し、手探りで特定の位相を固定する。智樹には環の姿がわずかに薄くなり、ぶれたように見えた。同じ場所にいるはずなのに、環が少しだけ遠ざかった。

 智樹は特殊な目を持っている。幽霊が見える。

 環の認識では、魂というものは体から離れて一段階ほど異なる位相に移動した状態であり、通常の人間からは見えなくなる。智樹の目は三段階程先の位相まで見通せる。

 だから環は智樹に、環の守りが壊れそうになった時、無理矢理に環を現世に引きずり出すことを依頼している。


 タブレットにメッセージが届く。2時57分。

『Batraz、ごきげんよう。用意はいいかな』

『Sasrykva、お手柔らかに』

 その途端、環はぷつりと世界が変化したことを感じた。

 同時に部屋に妙な気配が満ち始める。それは環がメッセージを受け取ったタブレットから染み出し、環はそれがゆるやかにこの部屋を、そして正しく自らの存在する位相に満ちていくことを認識する。Sasrykvaは環の所在がどこかは知らないはずだが、その魔法は入口と出口と認識された発信及び到達したメッセージを通して、電流に乗せてその場所に現れる。

 最初環は、呪術というものが電線やWI-FIを通ってやってくることを随分奇妙に思ったものだ。けれども今では、声や画像情報が送られてきうるのであれば、その思念というものが送られてきてもおかしくはないと認識していた。そしてもとより、呪術というものは空間を超えて訪れることはままあるもので、電波という一定のツールを受け取るための媒体の発達によって、ますますそれが容易に通るようになっていると最近感じる。

『では最初に私の神津之介を送るよ』

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