空っぽの家
ねえ、そこのあなた。
私の中を通っていく、そこのあなたよ。
ちょっと私の話を聞いてくれない?
うふふ、そうよ。私は今、あなたがいるこの場所そのもの。
本当はね、とてもきれいなお城だったのよ……昔はね。
でも……今は、こんなにドロドロに溶けて、もうお城に見えなくなっちゃった。どちらかと言えば、鍾乳洞みたいでしょ?
それとこのお城、昔はお姫様が住んでいたのよ。
とってもかわいくて、素敵なお姫様。
最愛のお父さんと、お母さんも一緒。
妖精たちや召使いたちもたくさんいて、毎日お友達もたくさん遊びに来ていた。
ああ、あの頃は、楽しかった……。
私はね、時々お姫様のために形を変えることができたのよ。お姫様が、外の世界ともっと仲良くできるように、ね。それに、変化があった方が、退屈しなくていいでしょう?
どうやるのかって?――「溶ける」のよ!
私はね、特別なセメントみたいなものでできてるの。
少しずつ自分を溶かして、壁や床の造りを変えていくの。
それで、いい形になったら、もう一回固める――ちょうど、昆虫がサナギの中で変身するみたいに。
素敵でしょう?
実を言うと最初はね、この場所は何もなかったの。
私には、何の魅力も面白みもなかった。建物ですらない、ただのほら穴だったの。
でも、あの子とお母さんが住めるように、小さな家になったのよ。それが、私の最初の変身。
それからすぐにお父さんが来たから、固まる暇もなく、大急ぎで大きな家にリフォームしたわ。
それからしばらくして、お父さんとお母さんに頼まれたから、私、また変身したの。
その時から、お城になったの――そしてその時から、あの子はお姫様になった。
それから、お城にはいろんな人が来るようになって、そのたびに私は変身したの。毎日にぎやかで、いろんなことがあって……本当に楽しかった。私はどんどん拡張されていったし、お姫様はどんどん美しくなっていった。
お友達。女の子も、男の子も。
大人たち。おじい様におばあ様が二人ずつ。
仕立屋、ピアニスト、教師たち、箱に入った奇妙な道化師たち。
先輩のお姫様たちも。
そう、本当に素晴らしい、輝かしい日々だった……。
でも、いつからか……私の変身は、うまく行かなくなってきた。
だって、あまりにいろんな人が注文を付けるんですもの。
お友達も、お父様も、お母様も……。
そう言うのって、全部いちいち聞いて言ったら、きりがないし、あちらが立てばこちらが立たず、なんてこともたくさんあったのよ。
それに、あまりにも変わるのが早すぎて、立て付けが悪い場所が増えてきたわ。それでも私、立派に見せようと思って、そういう場所はできる限り隠したの。
でも、そうしてたらある時から、変なことが起こり始めたわ。
溶けた部分が、元に戻らなくなったの。
天井とか、階段からぽたぽたって……赤黒くて、汚いものがこぼれてくるようになった。
せっかく新しくしたデザインも、歪になっちゃう。
しかも、その内こぼれた部分がお城の隅っこの方にたまって来て……建材のハウスダスト、みたいなものかしら。ものすごく、嫌なにおいがするのよ。
お姫様も、すごく暮らし辛そうにしてたわ。
私、ものすごく申し訳なくて。でも、どうしようもなかったのよ。
ゴミを集めてもう一度使おうとしたら、もっと悪くなっちゃうし、かといって、捨てる方法もないから……。
だから掃除夫たちに頼んで、せめて頑張って集めてもらったの。それで、一つの部屋に閉じ込めたのよ。
あんまりよくない解決策だって、わかってたけど、でも、どうしようもなかった。だって、時間が無かったんですもの。
何もかも、急ごしらえだったのよ。
もうすぐ、王子様がいらっしゃるんだから。お迎えする準備が必要だったの。
お姫様は、王子様をとても愛していらっしゃるわ。とても、とっても。心の底から。
彼のことを考えると、建物全体が震えて、壁も床も熱くなって、これ以上ないくらい早く溶かせるようになった。
でもだから、同時にゴミの量も増えちゃって……でも私、頑張ったの。
本当に、頑張ったの。
これもすべて、お姫様のためなんだって、信じてたから。
……そう、信じてたのに。
彼は、結局来てくれなかった。
違うお城に、御呼ばれされてしまったわ。
……………………お姫様は。
置き去りに、されてしまったわ。
たった、一人ぼっちで。
そう、いつのまにか、お姫様は一人ぼっちだった。
気が付くと、お城の中には誰もいなくなっていたのよ。
お父さんもお母さんも、お友達も、全部――
それで私、思い出したの。
ああ、そういえば。
私があの人たちを追い出したんだ、って。
あまりにも注文が多いから、嫌になっちゃって。
私はお姫様の幸せのために働いてるのに、どうしてあなたたちのことまで気にしなきゃいけないの?って思って。
そうして、残されたお姫様が、たった一人、王子様とだけ一緒にいたい、って――そう、言ったのよ。
だから私、そのためだけに、ずっと――
でも、そこまで思い出して、また気づいたの。
そういえば、お姫様の声も、ずっと前から聞いてない、って。
彼女は、どこにいるの?
もしかして――間違えて、彼女まで追い出してしまったのかしら。
それとも、王子様を探して、私の外に出て行って、消えてしまったのかしら。
ああ、そんな!本当に、どうしましょう!
もう、取り返しがつかないかもしれない!
そう思うと、気が狂いそうで……!
ねえ、あなたにも一応聞くわ。お姫様がどこにいるか、知らないかしら――
それと、王子様も!王子様がいれば、彼女は幸せになれるのよ。だから――!
あなたは、王子様?お姫様に、会いに来てくれたのかしら?
ねえ、答えてよ……なんで背を向けるの?ねえ?
…………え?
何?「帰りたい」ですって?
アハハッ…………何を言うのよ。
駄目に決まってるじゃない。
お客様を勝手に帰らせてはいけない。お姫様がお許しにならないから。
ああ、玄関は開かないわよ?
もう遅いわ。あなたはもう、私の腹の中。
そう、今の私は空っぽ――もう、舞台は壊れてしまった。お父様もお母様も何もかも、役割のあるヒトガタで埋めることはできない。
かつては意味があったカタチはぜんぶゴミ箱に放り込んで、その分空間だけが膨れ上がっていったの。
だからそう、今の私に残された「意味」は――――ただ空腹を満たすこと。
こんな風に、ね――
…………ああ、ダメね。またゴミが増えちゃう。
それでも、食べ続けるしかない。
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