カワぃゐ

 僕は今日、個人展覧会に来ている。

 案内人は、僕より年上(多分中学生)の、一人の女の子。

 僕が抱いた印象は、「ずいぶんとわかりやすい」、ってことだった。展示品も外の人向けにかなりわかりやすいし、説明もわかりやすい——なかなか客入りもよさそうだ。

 僕たちはいくつもの部屋や廊下をめぐってきた。


 学校の教室を模した部屋——生徒役の人形がいっぱい飾られていて、案内人は一人一人を詳しく紹介してくれた。


 思い出の品が展示された部屋——タイムカプセルにはそれぞれ色が違う、七色のシュシュが入っていた。……一つだけ、やけに色あせていた。その持ち主の名前だけは、なぜか教えてくれなかった。


 劇場みたいな部屋。どこかで見たようなアニメのキャラの恋愛劇を上映していた。ヒロイン役は案内人の子に似ている気がした。


 カラフルなホログラム?みたいなのをやってる部屋——これが一番抽象的な表現だった。説明のしようがない感じの。


 そして、その最後。

 僕は明るくライトアップされたピンク色の廊下を歩いていた。

 僕の前を行く女の子は、スカートを揺らしながらスキップで進む。

 ピンク色でハート柄の壁には、埋め込まれた高さ五メートルくらいの檻が並んでいる。

「見てみて—!この子!」

 女の子が急に振り返って左の檻を指さす。

「可愛いでしょ!?」

 檻の中の獣は、舌を出しながら嬉しそうに、鉄格子に近づいてくる。

 僕は女の子が言う「可愛い」とかはよくわからないので、適当に相槌を打った。……これが、「可愛い」……?

「ワン……ワン!」

「……この子たちは、犬?」

「え?見ればわかるでしょ、もう!」

「そっか。」

 女の子は再び前に向き直って、どんどんスキップで進んでいく。

 置いて行かれないようにしないと。

 と思ったら、女の子はまた立ち止まって振り向く。

「……そう言えば、そのお面、なんで外さないの?」

「え、だって……マナー、だから……。」

「……え?なn……ふーん。ま、いっか。」

 女の子はもっと聞きたそうにしていたけど、突然スイッチが切れたみたいに興味を失った――ちゃんと効果はあるみたいだ。

 しばらくすると、彼女は立ち止まって今度は右側の檻を指さした。

「見て!この子!インスタ映えが得意なんだよ!」

「……芸ができるんだ。すごいね。」

 その犬は、人間みたいに椅子に座って、スマホ片手にパンケーキをほおばっていた。口に入れる瞬間で静止して、パシャリと自撮りをする。

 その直後、スマホの向こう側に僕たちを見つけると、フォークもスマホも取り落として、こっちに駆け寄ってくる。

「ハアッ、ハアッ……クーン、クーン。」

「アハハッ!かっわいい!」

 女の子は犬に向かって手を振る。

 それにしても変わった子だな、と思った。

 犬が大好きみたいなのに、檻に入れたままだし、触ろうともしない。よく女の子はペットをモフモフするのが好きって聞くけど。

 まあ、ヒトの趣味はそれぞれって言うし。

 それに、こう言うのは深堀りしたらいけない。大変なことになるかもしれないから。

 その後も女の子は、自分の犬たちの内、お気に入りをピックアップしてみせてくれた。


「この子はねー、結構おデブなんだけど、笑ってる顔がとっても萌えなんだよ!」

 その子は尻を振りながらこっちに向かって両手を振ってきた。


「この子はねー、言葉が喋れるんだけど、舌っ足らずで恥ずかしがり屋さんなの—!」

 その子はひげを手でこすりながら、下を向いてもじもじしている。頭の毛が剥げていた。


「それからこの子は……あ、いま発情期みたいだね。あははっ……。そっとしておいて、あげよ!」

 その子はこっちにちらっと視線を送って来たけど、慌てて気まずそうに逸らした。そしてまた柱に抱き着いて、喘ぎながら激しく……何を、してるんだろう?

 なんとなく僕も、それを見ちゃいけない気がして、目を逸らした。


「あと、この子はねー、暴れん坊さんなんだけど、仲良しの女の子に怒られるとすぐしゅんってしちゃうの。」

 その子はネクタイを手に持って振り回しながら、部屋の中をどすどすと音を立てて歩き回っている。


 廊下もそろそろ終点が見えてきた。小さなハート型のドアが見える。

「——どう?みんなかわいかったでしょ?」

「うん、そうだね……。」

「楽しかった?」

「うん。」

 確かに、面白くはあった。今まで見てきた博物館の中でも、全然恐くない方だったし。

「ふふ、良かった!この子たちってみんなにね、よく恐いって思われがちだけど、でもほんとは可愛い所もいっぱいあるし、全然恐くないんだよって、みんなに教えてあげたいの。」

 そうか。この場所は元から人に見せるためにできたんだな。

 もう時間もちょうどいいころだから、そろそろお暇しようかな。そう思った時だった。

「…………あれ?この檻は空っぽなの?」

「え?……あれ、おかしいな。そんなはず、ない、のに……。」

 檻の中は、もぬけの空だ。

「えー、なんでぇ?どこかお散歩行っちゃったのかな?」

 そうは言っても、この檻にはそもそも出入り口がないように見えるけど……。

 まあいいか。

「——あの、帰り道って、こっちで合ってる?」

「うん。合ってるよ!あ、出た先にも広い廊下があるんだけど、その奥に大きな門があるから、そこから出て!この扉以外にも、壁にいっぱい扉があるけど間違えないでね!」

「わかった。ありがとう…………ちなみにだけど、ここと反対側の扉はどこに続いてるの?」

 すると女の子は、ちょっとびっくりしたような顔をして、目を逸らした。

「そ、そっちは、いっちゃだめ……入り組んでて、奥の方まで入ると迷っちゃうし……プライベートって言うか、見られたくないものも、いっぱいあるから。」

「ああ、そっか。そう言うルール、だよね?」

「ルール……?うん、そうだね……それに、鍵がかかってるから入れないよ!」

「ああ、じゃあ……えっと、右で合ってるよね?」

「うん。」

「わかった。じゃあね。」

「間違えないでね!」

 ガチャリ——僕は扉を開けて、後ろ手で閉めた。

 その廊下は確かにとても広かった。そして見渡す限り、そこら中扉だらけだった——

 僕はもちろん、迷わず右側に行く。

 今まで何度か、特に深く考えずに入って迷子になったこともあるし——

 即ち、好奇心は猫をも殺す、って奴だ。

 僕が廊下に足を踏み出した正にその時、視線の先にある反対側の扉が、ぎいっ、と音を立てて開いた。その奥には、青とピンクが混じった水玉模様の廊下が広がる。

「……………………。」

 ……鍵がかかってるんじゃ、無かったっけ?

 僕はとりあえず、近寄って見てみた。

 ……鍵穴は、ぶっ壊れていた。

 僕は、そっと廊下の奥をのぞき込む——廊下はウォータースライダーみたいにグネグネしてて、奥の方が見えなかった。でも、

「……『いる』。」

 奥に何か、いる。それだけはわかった。

 侵入者ではない。それは確かだった。この建物の中に元からいる、何か、あの子と近しいモノだろう。

「……もしかして、さっきの。」

 その可能性は、十分あった。

 僕はあの子に伝えようかと思って、後ろを振り返った——そこにはもう、僕が出てきた扉は無かった。

「…………!!!」

 逃げよう。

 僕は一目散に、廊下の端の、大きな門に向かって走っていく。


「——ああああああああああ!!!」

 開いた扉の奥からあの子の叫び声がするけれど、僕は立ち止まらない。何があっても、深い方には行っちゃだめだ。

 あの声はただ僕をだまそうとしてるのか……それとも、あっちが「本人」ってことか。同じ人は、同時に違う場所にいられない。

「なんで、なんでお前がここにいるの……!やだっ!ねぇっ、やだぁっ……!」

 彼女の声は、距離を無視して廊下中に響き渡る。

 さっきの部屋に僕が入って、出る。そこで、檻の中が空になる。それはきっと、決まっていた流れだ。……僕のせいじゃない。

 と言うか、あの子が人間なのかどうかも、わからない。

「……お願い!お願い食べないで!いやっ!いや、いやああぁ!」

「うっ、うぅっ……!」

 僕は門の取っ手をつかんで引っ張る。結構重い……。

「あああああぁぁ!!!やめろ!やめろって言ってるだろ!ふざけんなっ、あ、あああああ!」

 やけに、重いな——

 ふと、僕の後ろに誰かが立った気配を感じた。

 振り返ると、そこには大きなピンクのリボンをつけ、モフモフした白無垢の羊が立っていた。

「ああ、全く!油断も隙もありませんわっ!ただのっ、お下劣な犬のくせに!臭くて不潔で淫乱で、飼いならされてないと生きる資格もないケダモノどものくせにぃっ!」

 なるほど、ここの本当の管理人さんか——ていうか、けっきょく犬は好きじゃないの?

 断末魔の叫びっぽいのが聞こえてきた。

 羊さんはその焦点の合わない目をこちらに向けて、口が裂けるくらい大きく口角を上げる。

「それでっ?ドブネズミのお客様っ、まだ何か御用ですかぁっ!」

「っ…………いいえ、何も。」

 僕は、半開きの扉に体を滑り込ませる。

 バタン、と門はひとりでに閉まり、閉幕を告げる白い光に包まれ、消えていく。

 ――やっぱり、どこでも油断は禁物だ。

 僕はほっ、と息をつき、暗闇の中をゆっくりと歩きだす。周りの流れの速さが、自分のものに合わさっていくのを感じる。

 ……しばらく歩いていくと、暗闇の中にぼうっと、いつもの列車の明かりが見えてきた。

 今日のホームは人が少なかった。

 ベンチに座ったおじいさんの隣には、リードにつながれた犬がいた。

 犬は僕の顔を見ると、人懐っこそうに駆け寄って来て、鳴きわめいた。

「コケコッコーッ!」

 ……違う。

 どうしよう、普通の犬がどんなのか忘れそうだ。

「……わん。」

 僕はお手本に、一声鳴いてみせた。

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