注文の多い赤ずきん —第七夜—(終)
七日目。
赤ずきんは一糸まとわぬ姿で床に横たわっている。
「——今日が最後よ。今までちゃんと言うとおりにできて、えらかったわね——今日は遂に、私の全部を食べさせてあげるわ——頭からつま先まで、全部。」
「ほ、ほんとうに!?」
私は喜びのあまりよだれを垂れ流しにしながらあえいだ。
「ええ、全部——ひとかけらも残しちゃ、駄目よ。」
そう言って赤ずきんは、ぞっとするような笑みを浮かべた。
「さあ、いらっしゃい——」
————私は、ただひたすらにむさぼった。
もう、何も難しいことを考える必要はなかった。
これが彼女のどの部位だったとか、この行為に何の意味があるのかとか、そんなものはどうでもよかった。目の前にあるのは、ただの一塊の肉だった。
ぐちゃぐちゃ。びちびちぃっ、ごりっ、ぶちゅりっ、ぐしゃっ、むっちゃむっちゃ、ぼりっ、ぼりっ——
肉、肉、肉。骨、肉、骨、脂、肉、肉、骨、肉——
ただひたすら、食べて食べて食べて食べて——
——我に返った時、私は床に残った飛び散った血をなめていた。
もう、全部食べ尽くしてしまった——そう気づくと同時に、いささか腹が重すぎることに気づき、軽い吐き気に襲われる——いけない、せっかく食べたのに。
私はあわててよいしょと壁に寄り掛かり、腹を抱える——自分のものとは思えないほど、大きく丸く膨らんでいる。それも当然だ、丸ごと一人、食べ尽くしたのだから。
私はこれ以上ないほどすさまじい幸福感に襲われながら、うとうととまどろみ始めた——さっきまでの時間は、まさに私の人生の中での絶頂と言えるだろう。
もう、生きる目的は全て果たした。そう、思えるくらい幸せだった——
————夢に落ちていくその寸前、すさまじい違和感を感じた。
——何だ、これは。
腹の奥で、ドクンと何かが脈打つ。それに合わせて、強烈な吐き気が襲ってくる——
「うっ、ぐっ……!?」
だが、吐き気とは言っても、なぜかこみあげてくる感じはしない。ただただ、気持ち悪かった。
腹がものすごく、気持ち悪い。違和感。
その鼓動は、二回、三階と断続的に続いた。
ドクン、ドクン——
「……こ、れは…………!?」
心臓が——動いている。赤ずきんの心臓が、まだ生きている!
——馬鹿な。すべて食い尽くしたはずだ。丸のみになんかしていない。原形さえとどめていないはずなのに——
鼓動は次第に規則的に、連続したものに変わっていく——そして、より強く、激しくなっていく。
ドクン、ドクン、ドクン、ドクン——!
「な、何が、起きて——」
————————ド ク ン ッ
——ひときわ大きな鼓動に合わせて、腹の中を想像を絶する激痛が走る。
「アッ、あがぁッ……!」
私は反射的に腹を抑えるが、何の意味もない。
——「それ」は、腹の奥でうごめき、膨らみながら——ゆっくりと、臓腑の境目を突き破っていく。
「あああっ!あっ、あああああ!!」
腹の中で、ぶちぶちと——否、音はしない。傷も見えない。
ただただ、内側から少しずつ、肉が食い破られ、蹂躙されていく——食べる側が、食べられる者に侵されていく。犯されていく。
「や、やめっ、やめてえええぇぇ!!!」
……狼は、人間の子供の様に涙を流しながら訴える。そこにいるのはもはや、一匹の弱い獣でしかなかった。
「————っ!!!! ……あああぁっ、痛いっ、痛いぃ……!!!」
腹の中に走る衝撃は、次々と連鎖し、広がっていく——腹の表面が、ぼこぼこと波打ち、中に散らばる肉片をかき回した。
「ああぁっ!あああああああああ!!!」
遂に、それは腹を突き破って、外に出てきた——血まみれの、しわまみれの枝のような、腕が——ひとつ。そして、ぶしゃっ——ふたつ。
狼は、痛みと衝撃で意識が遠のきそうになる。
だが、気絶することは許されなかった。突然、腹部の痛みすらも凌駕するとてつもない息苦しさと圧迫感に襲われ、意識が 引き戻される——
あ、今度は胸に、激しい違和感g
べぎっ、びしっ、べしっ、ぶしゃぁっ——
両の肺を突き破って、新たに二本の腕が生えてきた。
そのうち一本は、スカスカの肋骨の檻の中に無防備に浮かぶ、狼の心臓を捕まえた——そして、ついでに背中からもう一本。
狼はもう息が止まっており、ほとんど何も理解できない状態にあった。
視界が真っ赤に染まり、世界がぐらぐらと崩れ、落ちていく——
体中を——頭蓋を、四肢を、恥部を——蔦のように伸びる大量の腕が、覆い尽くしていく。
——これでようやく、お前さんはわしのものじゃ——
——ぐしゃり、と。
そんな音がしたかどうかも、わからない。
あるいは、もはや世界の最後の瞬間に、音などなかったのかもしれない。
ただその瞬間、狼の体中の部位だったものすべてが、ただの一塊の肉に還った。
*************************************
——惨劇の後、沈黙する無人の小屋に、一人の女が訪れた。
戸を開けた女は、部屋一面を覆う狼の血肉を見ても平然としている。そして、部屋の中央の残骸の上に、あたかも前衛芸術の様に無数に生えている「腕」を見て嘆息した。
「あらやだ、もう咲いてしまったのね。」
女は落胆した様子で、その場を立ち去りそうな動きを見せる。
しかし、生えている腕のうち一本が、何かを握っていることに気づいて破顔した。
女は、その手を躊躇なくこじ開けて、握りこまれていた八粒の種子を回収する。
「——かつての神の成れの果て……『死とかかわることもなく、ただ単に生を消費することなどできない』、みたいな保守運動かしら……?全く、あなた達も健気よね。」
そう言って笑いながら、固まった血をまとった種子の、乾いた表面をなでる。
「——これは有効に使わせてもらうわ、ハイヌウェレさん。」
そう言って女は、小屋を後にした。
そこで起きた惨劇など、初めから無かったかのように——
否、
そのような出来事も、小屋も、「狼」も——本当に最初から、どこにも存在していなかったのだ。
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