言ってない(終)

今日は水泳の日だ。


 プールの水は凍ってなかったけど、太平洋で寒中水泳をすることになった。

周りの子は私より下手たっだはずなのに、どんどん進んでいって船にたどり着いた。私は一人だけ途中で動けなくなって、溺れてしまった。

 口や鼻からどんどん水が入ってくる。苦しい。肺が、痛い。

 でも誰も助けてくれないことはわかってたから、そのまま仕方なく沈んでいった。


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 家に帰ると、お母さんが木に丸のみにされかけていた。

「んー!んん――!」

 足だけが突き出てじたばたと動いている。

「………ただいま。」

「おい遘?蟄、塾の先生から電話があったぞ!ここに来てパパとママの話を聞きなさい!」

「………………。」

 やっぱりこれは、突っ込むだけ野暮だろう。

「お前、先生のテレビ出演用の原稿をちゃんと書くって言ってたじゃないか!あんな著名な偉い先生のところにわざわざ高いお金を払って通わせてあげてるんだぞ!なのにお前はそんな名誉を――」


 ……確かあの木は、大きなものの消化にはずいぶん時間がかかるらしい。

 私はお父さんを無視して、自分の部屋のベッドに直行した。


 ……そう、こんなこと、いちいち気にしていられない。


「…………いつになったら、終わるの。」

 私は一人で、ベッドの中で嗚咽する。


 一日の終わり――唯一、死んでいた感情を、解き放てる時間。

 なんとなくそんな気がしてたけど、お父さんは階段を上って来ない。

 やっぱり、寝ている間は、何もかも全部消えるらしい――というか、今自分が寝ているのか覚めているのかも、よくわからない。


 全ては、真っ暗闇だった――部屋の形もない。布団もない。私の体も、どこにもない――ウサギの耳だけが、ひくっ、と動いた気がした。


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「――ねえお嬢さん。今あなた、『この悪夢が終わってくれるなら死んでもいい』って言いましたよね?」

 私は面倒くさいと思いながら、充血した目をこすって、振り返る。

 そこには、黒いシルクハットに黒いマントの、大きな尖った鼻をつけた老人が立っていた。

「いいえ、言ってません。」

 私は棒読みで答える。

 私の足の下では、頭がぐちゃぐちゃに踏みつぶされて失敗作のジャックオランタンと化した変態男が倒れている。


「いいえ、言いましたよ。『もうこんな繰り返し嫌だ、何もかも、さっさと終わりにしたい』ってね――」

 老人はいやらしく笑う。

「…………やっぱりこれ、夢なんですか。だったら夢が終わればいいじゃない!どうしてそうしてくれないの!」

「夢が終わったところで、あなたの『これ』は終わりませんよ――」

 私にはなぜか、こいつが全ての元凶だという確信があった。だから、躊躇なくすべての怒りをぶつけてやった。

「何言ってるの……意味わかんない。もう全部意味わかんないよ!イミフなことばっかり!現実なら、こんなこと絶対ないもん!こんな、こんな、無意味なことばっかり!」

「……『無意味』ですって?ではなんです?現実の営みに意味があるとでも?ハハハハハ……!これは面白い冗談だ。」

 紳士は顔は笑ったまま、私をぎろりとにらみつけた。


「この世界の『意味』とあなたが言う現実の『意味』――中身が違うだけじゃないですか!要は、ただ支配するルールが違うだけではないですかそう文化の多様性ですよ!その意味では結局――どちらも等しく『無意味』ではないですかっ!ねえ?」

「――そんなこと、知らない!……とにかく、私は目覚めなきゃいけないの!あんたなんかにかまってる暇ないんだから!」

 私は背を向けて歩き出そうとする――老人はその手をがしっとつかんだ。長い爪が、私の手首に食い込む。

「言ったでしょう!戻ったところで何も変わらないと!これはあなたの夢なんですよ。夢から覚めても終わるものじゃないんですよ!」

「知らないってば!私は!帰らなきゃいけないの!」

「帰らないと“いけない”?――それ、誰が言ったことですか?」

「…………え?」

 老人はゆっくりと、優しくささやく。

「――――本当に、あなたが自分でそう言ったんですかねぇ?」

「……………………どういう、意味?」

「まだ『意味』だなんて……いやね、あなたはね、もう疲れちゃってるんですよ……だから、休んだ方が良いんじゃないかと言う、ただの親切なアドバイスですよ!」

 老人はささやき声のまま、ずいっと顔を近づけてくる。

「――さもなくば、この先あなたは永遠に、この無意味な繰り返しにとらわれ続けることになるんですよ……?」



 …………私は――



「…………だから、知らないっつってんだろ。」


 私は彼の手を払いのけた――そして、言い放つ。


「――そんなめんどくさいこと考えてる暇ない!明日もまたやらなきゃいけないことがいっぱいあるんだから!寝坊させんな!」


「――――あなた、本当にそれで」

 老人がそう言いかけた時、その後ろの通りの角から、口裂け女が現れた。

「――ねえ、そこのあなた……。」


 女が口上を述べ始める前に、私は――私たち「蟋ォ蟾晉ァ?蟄」は、宣告する。


「「「――さっさと失せろ、侵入者共。」」」


 私の足元から、変態男が立ち上がる

 隣家の屋根を伝って、自転車を抱えた警官と犬の警部が跳んでくる。

 学校の方から猛烈なスピードで、熱血先生が竹刀を振り回し走ってくる。

 家の方からは、お父さんとお母さんの顔がついた人面樹が、根っこを脚みたいに動かして這ってくる。


「…………!!!まずいっ……持っていかれる!」

 老人が慌てる。


「――ねえ、私の顔、どう思う?」

「――――っ!貴様、状況がわかっているのか!邪魔するでない!この娘はそもそも私の――」

 老人が口裂け女に向かって怒鳴っている間に、あらゆるモブキャラたちが通りに集結する。

 そしてそいつらは、土の塊のようにドロドロと形を変え、人形や文房具や粘土の塊に変身する。


「――それじゃあ、おやすみなさい。」

 私はそいつらにもみくちゃにされながら、地面に開いた黒い穴に沈んでいく。


 老人は鎌を取り出した女と取っ組み合いながら、実に悔しそうに私をにらむ。

 私はそれを、真っ赤に充血したウサギの目で、無感情に見つめ返した。

「お、の、れ……なぜ、なぜここまで来て仮面が……!なぜこの期に及んで私に逆らった……!」

 ……そこまで言って老人は、はっと気づいた顔をする。

「ハハハッ、お前!そうか、この夢っ……!既に一度『崩れて』いるのか……!ああ、もうあなたはただの機械なんですね!壊れることすら自分に許せない!アハハ、アハハハハ……!」


 老人の笑い声が、だんだん遠ざかって消えていく――当然その言葉には、何の意味もなかった。




 ――ああ、変な夢だったな……




 …………きっと目が覚めたらいつも通り、全部忘れているだろう。

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