言ってない(4)

 家に帰ると、お父さんとお母さんが裸だった。


「……何してるの?」

「何って、決まってるでしょ。諢夂黄族の伝統舞踏よ。」

 二人は顔やお腹には、気持ち悪い血走った目や歯の絵がたくさん描いてある。

 床にはなんか、赤く光って湯気が出ている、硬いマットみたいなものが敷いてあった。

「……それ、何?」

「やだもう、そんなこと聞かないでよ。修行道具だってば!」

「……は?」

 お母さんはくねくねと気持ち悪い踊りをしながら、そのマットの上に踏み出した。じゅっ、と嫌な音がする。

「え、え、な、何してるの!やけどしてるじゃん!」

「だから心頭滅却よ!慣れたらもう熱くないの!」

 続いてお父さんも、何のためらいもなくマット――じゃなくて、熱された鉄の上に乗った。

「ほら、お前も早く!せっかく塾までやめたんだから。今更いやなんて言わせないぞ!」

「……え、いや、え?」

 お父さんも乗り気だってことがわかって、私の希望は絶たれた。

「……なんで、勝手にそんなこと決めちゃうの?」

「勝手にってなんだよ。遘?蟄がやりたいって言ったんじゃないか!」

「…………。」

 言ってない――そんな言葉を私は飲み込んだ。

「ほら、早く来なさい!」

「……い、嫌だ!」


 ――狂ってる。


 私は家から逃げ出そうとした。でも、お父さんに腕をつかまれてしまった。

「やめ、てよ……やめてってば!」

 お父さんが私を引きずって、無理やり鉄の上を歩かせる。


 私はさっき夢の中でしたみたいに、痛い、痛いと叫んだ――本当に痛いのかどうか、よくわからなかったけど。


 ――ああ、どうしてまたこんな、ひどい目に合わなきゃいけないの。


 一体、何が起きてるんだろうか。今日は何もかも、意味が分からないことだらけだ。

 まだ、夢が終わってないんだろうか。


 ――だったら、早く覚めてよ――!


 私は涙で顔をぐちゃぐちゃにしながら、そう祈った。



 ――そして当然のごとく、目が覚めた。


 今日は金曜日か……月曜日だった。

 お母さんもお父さんも、普段通りの様子だった。


 そしていつものように、学校に行く。


 学校でナントカちゃんたちに会う。

 ナントカちゃんが私にウサギ耳のカチューシャを押し付けてきた。

「つけてくれないと絶交するよ」、って言って――

 他の子たちも、同じことを言って私を追い詰める。

 あれは、夢の中の出来事ではなかったらしい。

 教室に先生が入ってきたので、私は「ナントカちゃん達に嫌がらせされてます。」ってチクった――そしたら、先生はこういった。

 「お前、約束は守らないとだめだろう。おととい全校生徒の前で宣誓したじゃないか!『これから私はウサギ耳を肌身離さずつけて生きていきます』って!」


 ――――は?


 言っていないし、しかも前に聞いたより約束の内容が大きくなっていた。


「そんな……ていうか、だいたい学校でそんなものつけちゃだめじゃないですか!?」

「おいおい負い何言ってるんだよ!俺は!お前の頼みだから聞いてあげたんだぞ!校長先生にまで土下座して許可してもらったんだぞ!忘れたのか!俺の努力に少しも感謝してくれないのかあ!」

 先生は私の肩をつかんで揺さぶりながら、ボロボロ涙を流す。


 ――キモいキモいキモいキモい!


 クラスメートが、私の方を見てくすくす笑う。

「ほら、さっさとつけろよ!」

「ちゃんと自分の言葉に責任もてって!」

「きっと似合うって!可愛いよ!」

「……………………。」


 ……私に、逃げ道は残っていなかった。



 その日、家に帰るとお母さんが、「書道教室はやめよう」と言った。

 私の言うことを、ようやく聞いてくれたんだろうか、って思ったのに。

「逞エ繧瑚?ダンスにもっと集中しないとね!」

 そう言って、昨日と同じ鉄のマットを持ち出してきた。


 私はお父さんが帰って来ないうちに逃げ出した。


**************************************


 夜の街を、一目散に駆け抜ける――ウサギの耳を、つけたまま。


「はぁっ、はぁっ……嫌、もう、やだぁ……!」

 前を見ないで走っていたせいで、女の人にぶつかって転んでしまった。

「ご、ごめんなさい!」

 慌てて起き上がろうとしていると、女の人がこっちも見ずに言った。

「……ねえ、私の顔、どう思う?」

「……は?」

 急に何を言うんだろう、と思いながら私がそっと立ち上がる。


「……今あなた、『ブス』って言ったわよねぇ?」

「え?……い、言ってません!」

 被害妄想もいい所だ。

「『吐き気がする。生ごみを圧縮してすりつぶしたみたいだ。この世のあらゆる醜い者の中で最も醜い。生きているだけで恥さらしだ。』――って言ったわよねぇ今ぁ!」

「だから、言ってないですって!」

 だが、女は無視して顔のマスクを取った。

「――――っ!?」

「そう!見ての通りよおぉ――!アハハハハハハハハハハハ!」

 そう言って口裂け女は鎌を取り出し、私に向かって振りかぶった。

 私は反応が遅れ、二の腕に、鋭い痛みが走る。

「痛っ……誰か、助けて!誰か!」

 全速力で走った後だから、全然速く走れなかった。


 でも運が良いことに、向こうから自転車に乗った警官の人がやってきた。

「どうしたんだい君!?……え、何?何の問題もないって!?」

「は……ち、違います!助けてほしいんです!」

「まったく、あんまり夜中に騒ぐんじゃないぞ!」


 ――どうして、そうなるの。だって、すぐ後ろに――


「アハハハハハハハ!」

 口裂け女が、私の後ろで鎌を振った気配がした――私の目の前に、ウサギの耳がポタリと落ちて、赤い血がドバドバとあふれ出す。やっぱり痛みはなかったけど……私は、そのまま気を失った。


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