言ってない(3)

……目が覚めると、私はプールにいた。


――ああ、そうだ。習い事の最中だった。


 しかも立ったまま寝るなんて、あり得なかった。やっぱり、疲れてるんだろうか。

 私は念のため、自分の口の中を嘗め回して確認する――私の歯は、全部ちゃんとついてた。

 私はほっと息をつく。


 ――ほんとに、変な夢だった。


「――では、次の番は、蟋ォ蟾さん!」

「は、はい!」

 私はあわてて返事をする――あれ、何をするんだっけ。

 すぐそばには、飛び込み台があった。そうだ、飛び込みの練習だった。


 私は飛び込み台の上を見上げて、上り始める――そして、何かがおかしいと気づく。


「…………コーチ!」

「なぁにぃ?」

「……これ、本当に高さ合ってますか!?」

「……何言ってるのぉ、合ってるに決まってるじゃん!」

 いや、合ってる訳なかった。明らかに、100メートル以上ある……というか、このプールの天井って、あんなに高かったっけ?

「え……ま、待ってください!高すぎます!」

「なぁにいってんのぉ?あんたがこの高さが良いって言ったんじゃん!チャレンジ精神大事なんでしょぉ?」

「………は?」

「ほら早くさっさと!うしろつかえてるしぃ~!」

 また私は無自覚に、変なことを言ったらしい。実際、後ろの人たちが私のことを迷惑そうににらんでいた。


 気のせいだろう。目の錯覚かも知れない。


 ――多分、私がやりたいって言った高さは本当にこれで合ってて、でもつい、本番前に緊張して高すぎるように見える、だけなんだ……。

 

 そう思って私は、台を上り始めた――でも、中ほどまで行って、明らかに上るのにかかる時間が長すぎることに気づく。

 下を見下ろすと、あまりの高さに背筋が凍る。


「ほらー、ちゃっちゃと登って!!!」

 はるか下の方からコーチのダルそうな声が聞こえてくる。私は仕方なく登り続けた。絶対おかしい、って思いながら。


 ――あれ、もしかしてこれ、まだ夢の続きなんじゃない?


 てっぺんについたとき、私はそう気づいた。――確かに、こんなに高い所にいるなんて、なんだか現実感がない。ふわふわした感じがする。下を見ると、どんどん地面が近づいてくるような、落ちていくような気がするし。


 ――そっか、夢なら、大丈夫かな。


「縺輔▲縺輔→邨ゅo繧峨○縺。縺セ縺茨シ∵・ス縺ォ縺ェ繧後k縺橸シ!」

 コーチがメガホンを持って何か叫ぶ。遠すぎて聞こえない。多分、跳べと言っているんだろう。


 ――大丈夫。下は水だし。夢の中でも、怪我はしないはずだ。


 そう思って私は飛び込みの姿勢を取る。

 でも、今になって足が震えてきた。

 私はぎゅっと目をつぶる。


 ――大丈夫、大丈夫だから!


 そして、思い切って足を離した。


 ――落ちていく途中、突然、コーチの声がやけに耳元ではっきり聞こえた。


「あ、やっべぇ!プール凍ってたわぁ!ごめんごめん☆!」って――


 ……私は、その言葉の意味を理解するのに数秒かかった。


 それから慌てて頭を抱えて体勢を立て直し嘘嘘待ってどうしようどう――グシャッ。


 ――――あ゛……アァッ……ア…………   い  た  イ  。



 ――痛い、気がしたけど、


「痛く……ない!ないよねぇ!?」


 私は塾の教室で目を覚ました。

 叫んだ勢いで立ち上がってしまった……先生に怒られた。

 皆の視線が痛い。私は顔を真っ赤にしながら席に着いた。


 ――でも、夢で良かった。


 塾は当然、何の以上もなく終わった。

 まだ夢が続いてる訳ではなかったことがわかって、緊張の糸が解ける。


 そう言えば、水泳は木曜日だった。今日は水曜日だから、塾の日だ。

 きっと、習い事の心配のし過ぎであんな夢を見たんだろう。

 帰り際に先生が話しかけてきた。


「――いやあそれにしても、蟋ォ蟾が辞めちゃうなんてさみしくなるなあ。」

「……え?やめるって、何のことですか?」

「え、だってほら、先週言ってたじゃん。お母さんと一緒に新しい習い事を始めるので、って――魂の修練、とかだっけ?」

「…………???」

 全く意味が分からなかったけど、「お母さんが何か変なことをした」と言う一点だけは理解できた。

私は頭に血がのぼるのを感じた。


 ――私がやりたくないことは無理やりやらせるくせに、一番大事な勉強のための塾を、勝手にやめちゃうなんて!


 もう、我慢できなかった。

 私は家に帰ったら徹底的にお母さんを責め立ててやろうと思った。というか、塾に関してはやめる訳にはいかない。お父さんにも、説得してもらおう。


「――あの、私、やめませんから!」

「――え?」

 帰り際に、先生にそう叫んでおいた。


 最近本当に、お母さんの様子がおかしくなってきた気がする。更年期特有のヒステリー、とか?


 ――ああ、お母さんが交換できたらいいのに。


 私は心の中でつぶやいた。

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