温かい闇(1)
私は真っ暗なあぜ道を歩いていた。
ずいぶん、静かな夜だった。
やけに遠くから、秋の虫や蛙の声が、申し訳程度に聞こえてくる。
すぐそこの田んぼとか、茂みの中にだって、何かいそうなものだけれど。
虫たちも、暑い夏に疲れてしまったのだろうか。
道はもうずいぶん長く続いている。
明かりは全くない。真っ暗だ。
脇の用水路に落ちないように、気を付けながら進む。
慣れない浴衣だと、少し歩きづらい。
周りには誰もいない。心細かった。
――こんな時は、お化けが出てきそうだね。
慣れ親しんだ声を思い出す。
「…………。」
本当に、気味の悪い夜だった。真っ暗闇のどこかに、嫌なものが潜んでいて、後ろから追いかけてきそうだった。
――あまり、考えないようにしよう。
とにかく早く、少しでも早く、この道を抜けないと。
私は白いペンダントをぎゅっと握りしめて、早足で進んだ。
けっきょく、お化けに会うなんてこともなく、私は明かりのある方に続く道を見つけた。
おぼろげながら人影も見えて、人の声もしていた。
進んでいくと、だんだんとその声も近づいてくる。ガヤガヤと、にぎやかだった。
それもそのはず、今日はお祭りの日だからだ。
一年に一度だけ、仕事を忘れてみんなで楽しむ日。
大人も子供も、男も女も、みんな浮かれている。
通りにはいろいろな屋台が並んでいて、おいしそうな匂いがする。
――でも、お金、あんまり持ってない。
私は俯いた。
お母さんが無駄遣いしないように、とか言って、ほとんど持たせてくれなかったのだ。
これじゃあ、たこ焼きとりんご飴一つ買って、終わりじゃないか。
私の家は貧乏だ。
お父さんもお母さんも、生活に不自由はしてないから幸せだ、なんていうけど、私は不自由だった。欲しいものも全然買ってもらえないし、都会で流行ってるようなおしゃれもできない。
この赤と白の浴衣だって、ただの古着だ。色もくすんでるし、もともと安物だし。
何か買って欲しい、って言うと、わがままだって言って怒られて、ぶたれる。
毎日ご飯が食べられるんだから、感謝して満足しなさいって……。
感謝はしてる。でも、満足はできない。だって、欲しい物は欲しいんだもの。
それに、お父さんは好きなだけお酒を飲んでるのに……不公平だ。
時々、自分がこんな田舎じゃなくて、東京生まれだったらいいのに、って思う。でもそんなこと、口が裂けても言えない――×されちゃう。
……ダメだ、また些細なことで考えすぎてしまった。
私は頭を振って歩みを進める。止まっちゃだめだ。
ガヤガヤガヤガヤ――
人の声が途切れなく響く。みんな、立ち止まっておしゃべりばかりしている。人影の間を縫って歩く。
――大丈夫、だれも私の浴衣なんか気にしてない。
そう思って安心する一方、少し寂しくなる。
あまり、屋台の方を見ないようにしながら歩く。見ていると、欲しくなっちゃうから。
でも、金魚の屋台の前で足が止まった。
子供たちが何人も、大きな盥を囲んでしゃがんでいる。
金魚は……欲しくない訳じゃない。でも、今日はもういいや、って思った。
それに、見ているだけで、楽しいし。
犬とか猫みたいにかわいいわけじゃないし、何を考えているかはわからない。でも、動きが面白いから。口をパクパクさせてるのが、好き。
私は金魚が入った盥をのぞき込む。
手前の方に、なんだかすごく不細工な金魚がいた。一目見て、嫌いだなって思った。まだら模様も汚いし、顔も膨れ上がってる。それに、あまり元気じゃなさそうだった。
バシャバシャっ、と音がした方を見ると、奥の方に一匹、バタバタと暴れている金魚がいた。どうしたんだろう。
全身が綺麗な緋色で、周りのどの金魚よりもきれいだった。
でもよく見ると、エラに傷ができていて、そこから血が出ている。
息ができなくて、もがいてるみたいだった。
私は思わず目を背ける。
もう見る気が無くなったので、立ち上がって先に行こうと思った時、
「――メイコちゃん!」
後ろから声が掛けられた。
振り返ると、そこには――――朱音ちゃんがいた。
「あ……朱音ちゃん。」
「ごめんね、待たせちゃって。」
朱音ちゃんは可愛く笑って、私の手をさっと取る。
「一緒に行こ?」
「う、うん。」
私は手をつないで歩きながら、何を言おうとしたのか思い出そうとする。
――そうだ。
「あのね、朱音ちゃん。」
「なあに?」
「さっき、私はあの真っ暗な道を歩いて来たんだ……朱音ちゃんが途中でいなくなっちゃったから、すごく怖かった。」
思い出すと、涙が出てくる。
「あ、そうだったんだ……ごめんなさい。提灯持ってたから、大丈夫かなって思ったの。」
「持って、ないよ……朱音ちゃんが、持って行っちゃったじゃない……。」
「あ、そっか……ごめんなさい、提灯は、その、さっき落として……駄目にしちゃった。」
「……ほんとに、恐かったの。ひぐっ、うっ。」
「ご、ごめん。本当にごめん……泣かないで?」
朱音ちゃんが顔を寄せて謝ってくれたけど、私は顔を上げられなかった。
別に恨んでる訳じゃない。むしろ、朱音ちゃんとまた会えたので安心したから、恐かったことを思い出して、泣いてしまったのだ。
私は顔をごしごしと浴衣の袖でこする。
「……いいよ。もう、平気。」
「そう、良かった……。」
私たちは顔を見合わせる。なにを言うでもなく、なんとなくお互いにはにかんでしまった。
「えへへ。」「ふふ。」
私たちは人影の間を縫って、大通りに向かう。あとしばらくしたら、お神輿が通るのだ。
私はちらっと、朱音ちゃんの横顔を見る。朱音ちゃんはとっても美人だ――私なんかと違って。艶やかな 赤い浴衣も、帯も、髪飾りも、全部高級できれいだった。唇にも、ほんのり紅をさしているみたいだった。まだ子供なのに。
さっきとは反対に、周りの視線をすごく集めている気がする。
――まあ、ごらんなさい、あの子!とてもかわいらしいですわね!
――本当に、将来が楽しみですね!
――それに比べて、隣の子は……
そんな会話が予想された。
……私はきっと、引き立て役としては最適だろう。そんな風に思って、ちょっともやもやしてしまう。
でも私は、朱音ちゃんのことが嫌いになれない。大好きだ。
朱音ちゃんは本当に素敵だ。顔だけじゃなくて、心まで綺麗。優しいし、気立てもいいし、私のことも、嫌味なんてなく、心の底から好きでいてくれるのが、わかる。
私は、ひがんだりなんかしない。むしろ、誇らしく思う。私は、こんなに素敵な女の子を、親友に持ってるんだって、堂々としていられる。私の持っているものの中で、唯一、そして一番、美しいもの。
たとえ東京に行けなくてもいい。だって、朱音ちゃんと一緒にいられるんだから。私たちは、一生の友達。いつまでも、ずっと一緒。
誰も、引き離したりなんかできない――そう、絶対に。
「あ、りんご飴!」
朱音ちゃんが叫んで、私の手を引く。
「食べよ!」
「うん。あ、でも……。」
私は躊躇する。
「大丈夫、私が買ってあげるから!」
「ええ、でも、いつも買ってもらってばっかりだし……私の分まで買ったら、高くなっちゃうよ。」
「じゃあ、一個だけ買って、半分こしようよ!」
――それなら、いいかな。
無理に断ることも、できない。
「うん、わかった……ありがとう。」
私たちは、一つのりんご飴を少しずつ舐めながら歩く。なんだか、今さらだけどちょっと照れくさい。
「ねえ、メイコちゃん。他には、食べたいものない?」
朱音ちゃんが聞いてくる。そう、毎年こんな調子で、ほとんど全部、朱音ちゃんにおごってもらっちゃうのだった。
「ううん、私……そんなにお腹すいてないから。」
「ほんとに?遠慮しなくていいよ、せっかくのお祭りだもの!」
「ううん、ほんとなの。」
それに、今となっては屋台の食べ物も、そこまで魅力的に見えなかった。
……このりんご飴が、一番おいしい。
「そっかぁ。」
「……朱音ちゃんは、自分が食べたいもの食べてて、良いよ。」
「ううん、実は私も、そんなにお腹すいてないんだ。お水飲みすぎちゃって、あはは!」
朱音ちゃんはお転婆だ。
――ふと、何気なく目に映った屋台の看板に、注意をひかれた。
「純白ノペンダント(二人用)――友ノキズナヲズット守ッテクレル、オ守リデス」。
「ねえ……朱音ちゃん。私、あれ買ってきていい?」
「うん?何、それ?」
「――ペンダント、だって……二人で持てば、ずっと一緒にいられるんだよ!」
少し高かったけれど、私はそれを買わなくてはいけない気がした。
「ほんとに!?どこに書いてあるの?」
「説明してもらったの。本物の、ありがたい石を使って作ったんだって!」
「へえ~、すごい!欲しいね!」
「うん、欲しい!……あの、だからさ、さっきは、りんご飴買ってもらったから……今度は、私が二人分、買うよ。」
「え、でも……。」
朱音ちゃんが、「お金、あるの?」という言葉を飲み込んだのがわかった。
「大丈夫、ぎりぎり足りるよ。おじさん、まけてくれるから。」
私は、自分でも驚くくらい自信満々に言った。
「そうなんだ……わかった。じゃあ、お言葉に甘えようかな。……ふふっ、ずっと友達、なんて、嬉しい。」
朱音ちゃんの笑顔が、私の胸を打つ。
「――ほんとに、そうできたら……。」
――あれ?私、何言ってるんだろう?
「できるよ。」
朱音ちゃんがそれを真に受けて、大真面目に返事した。
「え?」
「ずっと友達で、いられるよ。二人が望めば――そうでしょう?」
「う……うん!」
そう、力強くうなずいたまではよかったのだけれど。
けっきょく、ペンダントはもう既に、他の誰かが買ってしまっていた。
「残念だったね……。」
「うん……ごめんね……。」
「……ううん、過ぎたことは仕方ないよ。それよりほら、もうすぐお神輿が来るよ!」
そう言って朱音ちゃんは、私とつないだ手を大きく振った。
ガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤ……。
大通りには、多くの人影が集まっていた。相変わらずおしゃべりが途切れない。みんなピシっと立ち止まって、お神輿が来るを待っている。
「お神輿には、神様が乗ってるんだよ。メイコちゃんも、神様に会いたいでしょ?」
「うん!」
私は元気よく答えた。
――神様って、どんな見た目なのかな。
すごく、長いひげを生やしたおじいさんかな。それとも、すごく美人かも知れない。
そう思っていると、通りの反対側の人影の中に、本当に美人さんを見つけた。
――もしかして、神様……?そんな訳、無いか。
白い洋風の傘を差して、水色の……なんというのかわからないけれど、洋服を着ている。お祭りには似合わない格好だったけど、私は見とれてしまった。
美人さんは私の視線に気づいて、こっちに微笑みかける。
私は顔が真っ赤にして、目を逸らす――もう一回見た時には、その人はもういなかった。
「どうしたの、メイコちゃん?」
朱音ちゃんに聞かれて、私ははっとする。
「今ね、あそこにすっごくきれいな人がいたの。洋服でね、白い傘差しててね。」
「そうなの!私も見たかったなぁ。」
「で、でも……朱音ちゃんの方が、美人さんだよ。」
私はあわてて付け足した。
「うふふ、ありがとう!」
朱音ちゃんは、「綺麗」とか「可愛い」とか言われると、本当にうれしそうにする。でも、決して「そんなの当たり前よ!」みたいにえらそうにしない。そんなところも、大好きだ。
そうこうしている内に、お神輿がやってきた。
「「「わっしょい!わっしょい!」」」
担ぎ手以外の、道のわきで見ていた人たちも、次々と列に加わっていく。
「「「わっしょい!」」」「「「ガヤガヤ……」」」「「「わっしょい!」」」「「「ガヤガヤ……」」」
掛け声だか何だかわからない声が入り混じりながら、列はどんどん長くなっていく。
「私たちも行こう!」
朱音ちゃんが、私の手を引っ張った。
「う、うん……!」
私たちは列の端っこの方にくっついた。
「「「わっしょい!」」」「「「ガヤガヤ……」」」「「「わっしょい!」」」「「「ガヤガヤ……」」」
「わ……わっしょい!」「わっしょい!」
私たちも一緒にわっしょいする。
「「「わっしょい!」」」「「「ガヤガヤ……」」」「「「わっしょい!」」」「「「ガヤガヤ……」」」
「「「わっしょい!」」」「「「ガヤガヤ……」」」「「「わっしょい!」」」「「「ガヤガヤ……」」
最初はちょっとうるさくて怖かったけど、だんだん楽しくなってきて、私たちは大はしゃぎしていた。
みんな、とっても楽しそうだった。
大人も子供も。男も女も。大工さんも船頭さんも。食堂のおかみさんも兵隊さんも。お坊さんもお侍さんも。犬も猫も。カエルもネズミもトンビもみんなみんな。
先頭をかけていくのは、私たちと同じ小さな子供たちだ。みんな、目の部分が黒い穴になったお面をつけている。
「ねえ、お姉ちゃん。」
傍に来た小さな男の子が、私の浴衣の裾を引いた。
「いちばんまえにおいでよ!」
「え……。」
「いいわね、行こう!」
朱音ちゃんも私の手を引っ張った。
「う、うん……。」
私は呼ばれるがままに、子供たちと一緒に先頭に走っていった。
私たちが先頭に来ると、みんなが拍手をしてくれた。
「「「ガヤガヤッ、ガヤガヤガヤガヤガヤ~!!!」」」
子供たちも飛び跳ねながら言う。
「「「お姉ちゃんも、僕たちの友達!」」」
なんだか私は嬉しくなった。
「――メイコちゃん。」
「何?」
「すっごく、楽しいね!
朱音ちゃんは満面の笑みで言う。
「――うん!」
私も笑顔で答えた。
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