たまにはクジラの背に乗って
シロヅキ カスム
【SS】たまにはクジラの背に乗って
全長は二メートルを超えるらしい。
商品説明欄の寸法を読んで、私は自分の両手を広げてみる。
そのぬいぐるみの大きさを想像してみた。
「…………」
メジャーはない。
でも、大体私の身長の頭二つ分くらいだろうか。
ひとり暮らしの部屋に置くとなると、かなりのスペースを消費してしまう。
もう一度、スマホの画面に目を落とす。
ショッピングサイトのさる一ページ、商品写真のスライドに人差し指をなぞらせた。
クジラのぬいぐるみである。
それも超特大サイズときた。
ディープブルーの背中に、縦ジマの入った白いお腹。
目元の刺繍は灰色、下向きの半弧はゆったり眠っているようだ。
『マシュマロのような、ふんわり素材を使っています』
というキャッチが、先程から私の気を引いてやまない。
こんな大きなクジラさんを、思いっきりぎゅっと抱きしめたら……抱きしめたままベッドに眠れば、どんな素敵なユメの世界に私をつれていってくれるだろうか。
(アホらしい……)
そう、とてもアホらしくて、子どもっぽいと自分でも思う。
私はもう大人だ。
会社にも行っているし、実家を出て都会でひとり暮らしをしている――立派な社会人で、大人なのだ。
そもそも、ひとり暮らしをはじめる時に決めたはずだ。
部屋に置くのは、生活に必要な最低限のものだけで十分だと。
だから、私はあれもこれも……たくさんの物を捨ててきた。
お金だって、ちゃんと働いて頂いたお給料なのだ。
もっとこう……英語やITの勉強をはじめるとか、洋服とかエステとか、自分磨きに使うのが正しい。
「…………」
ぬいぐるみの、青い大きな背中を見ていたら、ぽたりと画面の上に雫がこぼれ落ちた。
乱暴に、かたわらにあったティッシュボックスから数枚を引き抜く。
まぶたの熱を冷ますよう強くティッシュを目に押し当ててから、くしゃくしゃに丸めて捨てた。
すでにフローリングの上は、丸まったティッシュだらけである。
その大きなクジラのぬいぐるみに目がとまったのは――仕事で失敗して、しょげていた時だった。
(アホらしい……ほんまにアホらしい……)
自分の心がこんなにも弱かったなんて。
* * *
クリスマスのプレゼントだって、こんなに巨大な箱はもらったことがない。
横に長い段ボールが届いた。
配達の人に、なにか変に思われたのではないかと想像して、顔が熱くなる。
でもそれ以上に、気持ちがワクワクと温かかった。
こんな感情は久しぶりかもしれない……私だけの、私のための子どもっぽい大人の無駄づかいだ。
「…………!」
段ボールを開けた。
二日前にスマホの画面で見た、きれいなディープブルーの背中に私の目が輝いた。
――が、それもつかの間で。
箱の中に入っていたのは、見るも哀れなビニール袋で圧縮されたしわしわのクジラさんであった。
「……ははっ」
思わず、声を立てて笑ってしまった。
そのあと、私はビニール袋からクジラのぬいぐるみを救出した。
すぐに空気を吸って、クジラは元気に膨らんだ。
しばらくは、ビニールの跡が残るしわしわの背を優しくなでて伸ばしていく。
優しく、優しく……ふんわり。
「…………」
全長二メートル越えの巨大なクジラのぬいぐるみ。
よいしょっと持ち上げて、私はぎゅっと抱きしめる。
そのまま、倒れるようにシングルベッドへダイブイン。
布団の波をかぶって、私はクジラを抱きしめたまま目を閉じた。
ハグっていいな。
大人になろうと、頑張って頑張って……背伸びをしていた私。
柔らかいぬいぐるみの感触に、こぼれ落ちた雫には塩辛さはなかった。
(ええね、これ……)
ぽんぽん、クジラの頭をなでた。
クジラといっしょに眠りに落ちる。
楽しいユメの世界へと、つれていってくれるような気がして。
たまにはクジラの背に乗って シロヅキ カスム @shiroduki_ksm
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