第5話


「…ん、ぅ」


 頭が痛い。


 なんとか瞼を上げると、私が転がっているのは見慣れない天蓋付きのベッド。辺りを見回すと品のある調度品が並んでいる。


 どこ、ここ。私、なんでこんな所に?


 起きあがろうと動くと、ジャラッという音と共に足首へ重みを感じた。


 何これ…、足枷?


「どういうこと」


 魔法は、弾かれてしまう。


 この豪華な室内に、対魔法道具…。ここ、王城なの?地下牢に捕えられているわけでもない。でも、監禁されていることは確か。




 扉が開く音に身体が大きく跳ねた。


「シェルフエール、やっと起きたのか」


「殿下…?これは、一体」


 彼の恍惚とした表情に慄き後退るが、鎖を掴まれそれ以上動けなくなった。


「逃げてはいけないよ。…ようやく手に入った、愛しいシェルフエール…。父上が血迷ったせいで手間取ってしまったが、あなたを他の男の目に触れないようにするには、ちょうど良かったかもしれないな」


「な、にを…」


 今にも私を喰らい尽くしてしまいそうなギラギラとした瞳。

 いや、だ。気持ち悪い。


 父が暴力を振るう前のそれに、似ている。



 魔法を…っ!?


 私が振ろうとした手を殿下は強い力で掴み、不発に終わった。

 首へカチャッと何かをはめられる。


 チョーカー?


「これで魔法は使えない。…はぁ、あなたとこうなる事をずっと夢想していたんだ」


 どろりと溶けそうに澱んだ視線の奥で暴力的に燃える何かが、怖くてたまらない。


「や、やめっ」


「そんなに震えなくても大丈夫だ。私は性教育をきちんと受けている…あなたと気持ち良くなりたいだけだ。ああ、それと、願わくば、あなたとの子が欲しい。きっと、とても可愛いだろうな」


 わけがわからない。この人は、何を言っているの…。


 殿下の舌が無遠慮に私の口をこじ開ける。


「んぐ…っ、う、ンッ」


 操る、魔法を…っ、かけられれば。



「ぷはっ、あ。…っウィルラン、私を、逃して…っ」


 殿下が驚いた様に私を見る。すぐに口角を上げ、私の頬を撫でた。

 効いてない…っ。


「シェルフエールにその様に呼んでもらえるなんて…。まさか、魔力をチョーカーに封じられているのに、私を操ろうとしたのか?無駄なことを」


 いつ着替えさせられたのか、真っ白なワンピースの上から、身体のラインを確かめるかの様に彼の手が行き来する。


 気持ち悪い…!やだ、やだ…!!




 ──時が来たら、迎えに来る。


 そう言ってくれたあの子は、誰だったか。どうして今、思い出すんだろう。



 たすけて。


「…おねが、い。たすけて…っ!」


 名前も知らないあの人は、誰?






 ブワッと強風が部屋の中に吹き荒れる。


 この魔力、は…。


「な、なんだ!?シェルフエールは魔法を使えないはず…っ」



「王太子ともあろう者が、魔王の花嫁に手を出すとは…。シェルフエールが助けを求めないままだったなら、国が滅んでいたぞ?」


 真っ黒な髪が靡き、深紅の瞳が剣呑にきらめいている。


 そうだ、あの子も…。


 初めて魔法を使ったあの日、そばにいた少年の面影が重なる。


「他の男に泣かされるなど…あとで仕置きだな、シェルフエール」


 風で涙が飛ばされていく。



「魔王など、存在しないはずでは」


 殿下、呆然とされてるわ。物語上の空想の人物だと、私も思っていたもの。当然の反応ね。

 けれど、彼はここにいる。



 魔王は鼻で笑った。


「そもそも、魔女は魔王が見初めた人間の女に魔力を分け与えた者のことだ。王族には代々伝わっているはずだが?」


 魔王がパチンッと指を鳴らすと、私は彼にお姫様抱っこされていた。


 転移魔法?


 スンッと首筋の匂いを嗅がれる。

 私、今、汗くさいのでは!?


「やっ」


「私の魔力とシェルフエールの精気がうまく混ざり合っている…。時は来たようだ」


 嗜めるように、彼の指がうなじを撫でて、くすぐったい。



 チラッと殿下へ視線を向けると、未だ目を見開いて立ち竦んでいた。


 目隠しするように、魔王は私を肩へと押し付ける。


「その様な男、君の目には入れたくない」


 耳の奥へと注がれる重低音。

 

 腰が、震えた。




 時空が歪み、ギュッと目を瞑る。


 次に目を開けると、黒を基調としたシックなお城の一室に立っていた。

 ここが、魔王城?


 カツンッとチョーカーが床に落ちる。


 外してくれたのかしら。

 頭2つ分ほど見上げると、バッチリと目が合って、パッと逸らしてしまった。


 と、とても綺麗すぎて、直視できないわ。




「シェル!良かっにゃ、無事だったにゃ!?」


 え、クロ!?


 扉が勢いよく開いて、クロが胸に飛び込んで来た。


「クロ、どうしてここに」


「君の使い魔だろう?私が呼び寄せた」


 魔王の言葉に、瞠目する。


「魔王様が、シェルはここに住むことににゃるから、オレも来いって。塔でお留守番出来にゃくてごめんにゃさい…」


「そんなこと…。私こそ、あなたを置いていってしまって、ごめんなさい」


 ぎゅうぎゅうと抱きついてくる温かい体温。

 んんっ、かわいい…っ。



 せっかくクロを堪能していたのに、魔王にひっぺがされた。


「もういいだろう。…ジル、そいつを連れて行け」


「ワカッタ!!」


 何処にいたのか、急に現れたジルがクロの首根っこを咥えて、引きずりながら部屋を出ていってしまった。

 寂しい…。


「その様な顔は、私だけに向けろ」


 ?…どんな顔のことかしら。って、ちか…っ。


 振り向くと、鼻先が触れそうになった。


「全く。君は、無自覚に男を誘う」



 ちゅ、と唇が触れ合う。

 …っ~!?

 初めてでも無いのに、この小っ恥ずかしさは何!?


「この唇は、何人の男を操ったんだ?」


「う、あ、そんなに、多くは…」


「私も操れるか、試してみると良い」


 いや、色気!魔王の色気が…っ!!

 どうしてあんなに必死でこの人から逃げたのか、わからなくなってくる。

 目が、回りそう。


「口を開けて舌を出せ。私に魔力を流し込んでみろ」


 そ、んなこと、言われても。顔から火が出そう。うぅ…。


 そろりと口を開くと、かぶりつく様に彼の口に塞がれた。


「…っン、ぐ……」


 魔力、流し込めない…っ。逆に、濃いのが、流れ込んで……っ、っ。

 チカチカする。



「シェルフエール、気持ちが良いな」


 ガクンッと、脚の力が抜ける。

 頭の中、気持ち良いが…いっぱい。


「あ、…っだ、め、んぅっ」


 腰に回された腕に支えられ、耳元でクスリと笑われる吐息さえも気持ち良くて、頭を振る。


「君も私を操ってみろ。名前は、バディウスだ」


 腰を屈めてくれるバディウスの首へ、腕を絡める。


 何も考えられない。でも、言われた通りにしなきゃ。



「…っ、バディウス。もう、やめて」


「ああ、そんな甘い声で呼ばれても、それは聞けない相談だ。仕置きもしなくてはならないからな」


 全然魔法かかってない!!

 キッと睨みつけると、脚の間に入れられた膝が上に上にと押しつけられ、水音が鳴る。


 え、嘘、私。


「あ、だめ、いや…こんなの、ちがっ」


「ふふ、濡れているな」


 これは…、バディウスの魔法のせいで…っ。

 彼の腕に爪を立て、胸に額を擦り付ける。


 だめ、だめだめだめっ!


「…っんん、ふ、あぁっ」


「可愛いな、シェリー。さぁ、ベッドへ行こう」


 私の、愛称…?誰にも呼ばれたことない。



 息が整わない内に、またお姫様抱っこ。触れられている所が全部気持ち良いのは、操られているせい。絶対そうよ。



 ふかふかのベッドへ寝かされる。私をすっぽりと覆う影。

 どこまでも労るような瞳に見つめられ、少しずつ力が抜けていく。


「大丈夫だ。君の本当に怖がるようなことはしない」


 唇を親指でなぞられる、ただそれだけなのに、目尻から雫が落ちた。



「…痛いのは、いや」


「ああ、わかっている。痛いことはしない、絶対に」


 …っ。


 慈愛に満ち溢れたバディウスの声色に、私は小さく頷いた。



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