第6話


 全身くまなく触れられて、ゆっくりと解され開かれた場所は、初めてだというのに痛みもなくバディウスを受け入れている。


 うぅ…恥ずかしい。バディウスにかけられた魔法はとっくに効果を失ってるのに…。




 もう、だめ…っ。

 腕を突っ張ってバディウスの胸を押し返しているのに、ものともせず唇を重ねてくる。



「むっ……ぷは、…っもう、いや!」


「ん?ふふ…いやか。きちんと仕置きになっているようで安心した」



「う、ごめんなさ…、っおしおき、もう…やっ」


 頭がおかしくなる。内側から作り変えられているような…。

 人差し指の爪を無意識に噛んでしまう。



「ああ…。私の手によって戸惑い、涙を流すシェリーは本当に愛らしいな。もっと泣き顔を見せてくれ」


 私を泣かせて何が楽しいの!?耳元で囁かないで!!


 ポロポロとあふれる涙は、バディウスによって拭われていく。



「宰相として王へ進言し、君に罪を擦りつけた時はもっと困ってくれるかと思ったんだが…とても凛としていて、あれはあれでとても可憐だった」


 ぅん?


「追手を恐れて怯えてくれるかと思ったら、見事に追い返してしまったようだし。人間は本当に弱いな。役に立たない」


 ??


「私が勇者として君の前に現れた時と、私から逃げた時が1番怯えていたな。とても愛らしかった」


 ???


「驚いているのか?大きな瞳がこぼれ落ちてしまいそうだ」


 だめよ、今、流されては。この人、今、とんでもないこと暴露したわよね!?ちょ、っと…、待って!



「……っま、って!」


 先に、話を!!


「拒んでいるのか?ん、私に翻弄されて困っている君は本当に可愛い」


 止まってくれない。

 パチパチと目の前が白んでいく。


 今までの事全部、この人のせいなの!?







 重だるい腰をなんとか持ち上げ、眠るバディウスをそのままにベッドから抜け出す。


 なんだかあちこち痛いけど、とりあえず逃げなきゃ。


 魔法でいつものワンピースを纏い、廊下を走る。

 クロは何処かしら。



「シェル?どこ行くにゃ?」


 黒猫の姿でクロは現れた。

 良かった。今度は置いて行ったりしないわ。


「ここから逃げるのよ」


 わかったと、着いてきてくれる。


 長い廊下からエントラスにやっと辿り着き、重厚な玄関扉を開くと、鬱蒼としてどんより暗い森が眼前に広がっていた。

 今は、朝のはずだけど。


 カァカァと鴉の声が、よりホラー感を醸し出している。

 身を隠すには、良いのかもしれない。

 でも、あの人、私の事かなり把握してたわよね。もしかして、居場所くらいは筒抜けなんじゃ…。


 背筋に悪寒が走る。


 魔王から逃げ切ることなんて、出来るのかしら。

 と、とにかく、できるかぎり、離れないと。




 あてもなく森の中を彷徨ってみる。


「魔王様、嫌にゃ奴だったのか?」


 私の前を歩くクロが、こちらを振り返りながら聞いてくる。


 嫌な奴…だったかしら。性格が捻じ曲がっているのは確かだけど。


「まだ、よくわからないわ」


「魔王様、オレに広い部屋とご飯くれたにゃ。良い奴だにゃ!」


 クロの純粋な瞳が胸に突き刺さる。



 あの人が魔力をくれたから、父の暴力から逃げられたのは事実。だけど、私が謂れのない罪で殺されそうになった原因を作ったのもあの人。

 バディウスって、私に何を求めてるのかしら。




 バサバサっと音がして、身体が飛び上がってしまった。



「シェルフエール、見ツケタ!コンナ所デ何シテル!魔王サマ、探シテル!!」


 ジルが私の頭の上をギャアギャアと暴れ回った。


 え、見つかるの早くない!?いえ、それよりも。


 ガッと両足を掴んで逆さにぶら下がるように持ってやると、ジルはおとなしくなった。


「ジル、あなた最初から全部知ってたんでしょう!?私を騙してたのね!お友達だと思ってたのに」


「何ノコトダ?オレハ、サッキ魔王サマニ命ジラレテ、シェルフエール探シニ来タダケダ」


 え、何も知らないの?



「魔女が魔王の花嫁というのは、魔王と王族しか知り得ない。…今までの事も、私が勝手にやった事だ」


 ジルを握っていた手が、後ろから伸びた大きな掌によってゆっくりと解かれる。逃げるようにジルはクロの背に飛び乗った。



 お城から、かなり歩いたはずなのに。


「バ、バディウス」


「良い顔だな。鬼ごっこは終わりか?」


「…っ、ま、まだよ!!」


 離れようとしたのに、後ろから抱きとめられる。足をバタつかせるが、痛みに動きを止めた。

 筋肉痛が…っ。かなり歩いたけど、それくらいでこんなのありえないわ。


 耳朶にバディウスの唇が触れて身を捩っても、びくともしない。



「君と遊びたいのは山々だが、今日の鬼ごっこは終いだ。昨夜は無理をさせたからな。身体を休めろ」


 大して力を入れていないであろう腕さえも振りほどけないなんて、私はなんて無力なの…これからは鍛えるんだから!見てなさいよっ。


 睨みつけているのに、嫣然とした微笑みを向けられて、余計に腹が立つ。



 バディウスがひとつ指を鳴らしただけで、魔王城へと逆戻りだ。解せない。

 私の転移魔法は壁をひとつ越えるくらいしかできないのに…魔王、チートすぎる。


 ベッドに座らせてくれる動作と額へのキスがひどく優しい。


 うぅ…私が駄々を捏ねてるみたいじゃない。逃げる事に一生懸命で、こんなに下半身に違和感があったなんて、気づかなかったわ。腰も痛いし。


 もじっと膝を擦り合わせると、バディウスが口角を上げてこちらを観察していた。何を考えてるのか、さっぱりわからない。



「…逃げた事、怒ってるの?」


 何か感情を向けられるとしたら、それくらいしか思い浮かばない。だけど、私を見つめる彼の瞳は、とろけるような甘さを含んでいるような気がして、落ち着かない。


 なんで、私をそんな風に見るの。


 枕を胸にきつく抱いて、バディウスからの視線から逃げるように顔をうずめる。



「シェリー、君は本当に可愛いな」


 バディウスの指が、私の髪を耳にかける。私の耳は、きっと赤い。


「可愛い可愛いって…私の事、馬鹿にしてるの!?」


「君を馬鹿にするなんて、ありえない。愛しているから、愛おしくて仕方ないだけだ」


 あ、愛…?いやいや、いつどこでどう思ったらそうなるの!?子供の頃に一度会っただけなのよ!?


「私の愛を、疑っているのか?」


「ぅ、あ…だ、だって、あなたが私を好きになる理由なんてどこにもないし」



 私は与えられた居場所をいつも放り出されてきた。バディウスだって、私に飽きたらきっと…。

 だから絆されてはだめよ、シェルフエール。その時はまた傷つく事になるんだから。



 旋毛に柔らかい感触。バディウスの、唇かしら。


「幼い君が流している涙が、とても綺麗だった。だから、泣かせたくて仕方がなくてな」


「城を追い出され、殺されかければ泣くとでも?」


「ああ。だが、私は間違っていた。昨夜、私の下で、私の手の中で啜り泣き善がる君の涙が1番愛おしく可愛かった」


 ん?どういうこと?結局は、私を泣かせたいってこと?


 ポカンと彼を見上げるが、うっとりと見つめ返されるだけ。


「私はどうやら君の色んな表情を知りたいようだ。今こうして呆けている顔も可愛くて仕方がない。泣き顔が1番だがな」


 待って、情報が整理できない。彼にとって私はおもちゃってことかしら。

 飽きたらポイされるわ。絆される前に逃げるが先ね。


 そんなに顔中にキスされたって、私は絶対に魔王なんて好きにならないんだから!!




「怒っている顔も可愛い」


 可愛いしか言えないのか!

 枕を投げつけたのに簡単に受け止められて、それも腹が立つ。


「そんなに動くな。昨夜は初めてだったんだろう。身体が辛いはずだ」


「こ、これくらい平気だわ!あなたの言いなりになんてならないっ」


「言いなりにしたいわけじゃない。心配しているんだ」


 そう言いながら、私を布団へ寝かせてるじゃない。というか、誰のせいであちこち痛いと、思って…。


 考えないようにしてた昨晩の行為がぶわりと思い起こされる。

 繋がれた手の甲をなぞる親指の硬さ、言葉を紡ぐ艶やかな唇。それらは、昨夜、私を…。



「どうした、熱を出してしまったか?真っ赤だ」


「…っ~~!!」


 そんな、本気で心配してるように装ったって、私は絆されないわ!!


 ガバッと布団を被ると、上からそっと撫でられた。



「軽食と飲み物を用意しておこう。今日はゆっくりお休み、シェリー」




 

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