第7話 朱雀の池

 二十一世紀の現代ではすっかりその姿を消しているが、都の南には、巨椋池おぐらいけという巨大な湖があった。


 湖は。時代の変遷と共に埋め立てられて姿を消したが、その昔、都を守る朱雀の象徴とされ、祭られることで霊力を得、都を守る要の一つとされた。


「巨椋池に怪異でも現れたか?」

紫檀が尋ねれば、


「鵺が現れた」

と晴明が言う。


「ふうん。聞いた名だ。だが、あれは頼政らが、とうの昔に打ち滅ぼしたではないか」

つらない、負けた奴だ、と、紫檀が文句を言う。


 鵺という化け物が、宮中に現れて時の帝を病に伏せさせた。頭は猿、手足は虎、尾は蛇、胴は狸であると言われていたか。それを、矢で射殺したのが、源頼政であったと聞いている。

 

「うん。滅ぼした。だが、その亡霊が、その湖沿いの御堂に出るのだよ」


「妖の亡霊でございますか?」


「皆、死んでからもせわしないな」


 紫檀が、めんどくさいとゴロンと床に転がる。

 死んだならば、もはや心安らかにゆっくりと眠って休めば良いのに。そうすれば、その内にあるべき場所にたどり着く。なのに、現世での後悔や執着に囚われるから忙しいのだ。


「可哀想にの。その打倒された鵺の亡骸は、穢れを嫌われ、淀川に流された。それが亡霊となって彷徨っていたようなのだ。なんとかしてやりたいと思うだろう?」

晴明が、床に転がる紫檀を踏みつける。


 踏みつけられた紫檀は、晴明の足に反撃をしかけるが、ひらりと晴明に避けられて上手くいかない。

 じゃれて遊ぶ猫か犬のようだと、鳴神は、笑う。


「おい、淀川は、巨椋池より下流だろう?淀川を彷徨っていたものがどうして巨椋池で障る?」

紫檀にだってわかる理。下流を彷徨って海を目指していたものが、どうして上流の池に戻るのか。


「誰かが故意にそこに持ってきた?」

鳴神の言葉に、晴明が首を縦に振る。


「誰が?」


「まあ行けば分かる」

晴明はそう言って涼やかに笑った。


 狐の姿になった紫檀の上に、晴明と鳴神が乗る。


「お前ら、本当に狐使いが荒い」

空を飛びながら、紫檀が文句を言う。


「まあ、そう言うな」


 晴明が、ひらりと降りて、辺りを見回す。

 うっそうと茂る水草。蛙の声が辺りに響く。

 鵺の亡霊の話が辺りに広がっているのか、釣り人すら姿がない。

 

 漂う瘴気は、確実に悪意に染まった何かがそこに潜んでいることを示している。


 ただの亡霊であるならば、これほどの警戒を必要としないが、誰かが故意に朱雀の霊力を湛える池を穢すことを目的としているならば、何が起こるか分からない。


「もうし……。そこに居られるのはどなたか……」


木を削っただけの粗末なうつぼ舟の上に、ぼんやりとした黒い影が浮かび、晴明達に声をかけた。

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