第5話 庵

 紫檀が気づくと、晴明の庵の畳に上に放り出されるように寝ていた。

 既に天に日は昇り、先ほどまでの死闘が嘘のようだった。


「んあ?」

 情けない声を出しながら紫檀が跳ね起きれば、


「私は、話し合いをする気になるまで遊べと言った。話し合いに応じる気になっている鳴神にどうしてまだ挑もうとするのか」

 と、苦虫を噛み潰したような顔の晴明が叱る。


 隣で、先ほどよりも多少小綺麗な恰好になった鳴神が笑いをこらえている。

 怒りと恨みで殺伐としていた先ほどは違う鳴神の姿。

 晴明がどのような説得をしたのかは分からないが、笑えるようになったのであれば、もう大丈夫だろう。


「おう、人間らしゅうなったな」

 ニコリと紫檀が鳴神に笑いかければ、


「紫檀様。失礼いたしました」

 と丁寧に鳴神がかしこまって頭を下げる。


「尾も定まらぬ妖狐に、そんな丁寧に礼を言う必要はないさ。それよりも、鳴神。また、やり合おうぞ。お前は強い。楽しかった」


 そう紫檀は、返す。


「時に、晴明翁。鳴神をどうするつもりだ?」


 すでにその身は妖となってしまった鳴神。とても人間世界には戻れまい。


「うむ。この庵で下働きでもしてもらいながら、養うさ」

 まあ、なんとかなるだろう、とのん気に、晴明は笑う。


「ふうん。いいな。儂もここに住もうかな」


「寝首を掻こうとする、やかましい狐はいらん」


「ひどいな。じゃあ、良い」

 紫檀は立ち上がって、そのまま立ち去った。


「晴明様? 良いのですか?」


「何が?」


「紫檀様です。あのように邪険に……」


 鳴神は慌てる。

 あの妖狐は、並みではない。育て方を間違えば、とんでもなく邪悪な狐になって手が付けられなくなる。

 どう考えても、手元に置き、正しく育成してやる方がよいだろう。


 あれは、九尾になる狐。

 かつて九尾の妖狐が、人間に仇なして大変なことになったと聞く。人間を憎めば、きっと恐ろしい大妖怪になる。


 そうなれば、きっと紫檀を討てるような人間は、晴明しかいないだろう。

 それならば、いっそ晴明の傍に置いて、その行動を監視ていざという時のために備えておいた方が良いのではないではないだろうか? ……それが、鳴神の常識。


「私に、自分の都合の良い様に紫檀を育てろと? 紫檀を討伐するために監視しろと?」

 晴明が少し寂しそうな顔をする。


「あ、いえ決してそのような。……失礼しました」

 なるほど、晴明は、妖狐である紫檀を友人として信頼しているというのだろう。


「まあ、案ずるな」


 晴明が、涼しい顔で庭に出て小石を拾う。

 拾った小石を、何もない場所に投げつければ、イテッと紫檀の声がする。


「なんで晴明にはバレる?」

 紫檀が姿を現してむくれる。


「アホ狐。妖気が少し漏れている」

 晴明の言葉に、そうか、と紫檀がカラカラと笑った。

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