第2話 鳴神

「くだらない冗談だな。私は忙しい」


 晴明がまた書物を読み始める。

 まだ、夜の闇が深い時代。油に灯された灯りを頼りに、晴明は書を読む。

 紫檀は、小さな狐火を灯して、晴明の手元を明るくしてやる。


「眠りかけていたくせに。無理をして疲れているのであろう? もう明日にして寝ればいいのに。添い寝してやろうか?」


 紫檀がそう冗談を言えば、晴明が苦笑いをする。


 確かに、うつらうつらとしていた。既に百歳を超えた。千年の妖狐と呼ばれる狐の血は受けているが、父親は人間。晴明も多少は疲れるようになったのかもしれない。

 しかし、この陽気で話し好きな狐が隣で寝ていては、眠れそうにはないのだが。


「うるさい狐だ。仕方ないであろう? 色々と気になる事はある……やはりか」

「どうした?」

「日照りだ」

「日照り? 日照りなぞ、珍しくもない」


夏空の下、何日も雨が降らないことなんて、そう珍しいことではない。自然のこと。放っておけば、天の摂理でそのうちに雨は降るだろう。紫檀は首をひねる。


「普通の日照りなら良いが、これは妖か術師の仕業だ」


晴明が言い切る。


「ふうん。どうして?」

「星の運行を計算すれば、明らかにここ最近の日照りの日数は、この季節には合わない。これは、何かが……」


晴明が、紫檀への説明もそこそこに、何やら都の地図を取り出して、線を何本も引き始める。


「それは?」

「最近の雲の動きを書き出している。……見ろ。雲が吸い込まれるように、都の戌亥いぬいの方角に流れていっている。通常では、このようにはならない。雲の流れは、今ならば、未申ひつじさるの方角から丑寅うしとらへ流れるはずだ」


 戌亥(北西)。

 昔、その辺りの滝つぼに竜神が閉じ込められて、日照りが起こったことがあった。術師の鳴神上人なるかみしょうにんが、時の帝に腹を立てて閉じ込めたのだ。

 その時は、絶世の美女と言われる雲の絶間姫たえまひめが、鳴神上人を騙して、しめ縄を切って竜神を解放したのではなかったか。


 何か、人為的なものを感じる……。


「紫檀、乗せろ。今から行く」

「はあ? 今から? 狐使いの荒い」


 ブツブツと文句を言いながらも、紫檀は大きな黒い狐に変じる。

 晴明が紫檀の背に乗れば、紫檀は、夜の闇の中を高く飛んだ。


 紫檀とて分かっている。もし、自然の物でない日照りが続くならば、何人もの罪のない人の命が奪われてしまう。

 一刻も早く原因を究明したいというのが、晴明の心。


「気持ちは分からなくもないが、しかし、周囲には死んだと言っているのであろう? あの世に足を突っ込んでも忙しいな、晴明翁は」

紫檀がカラカラと笑えば、


「死者には死者の仕事があるものだよ」

と、晴明が微笑んだ。

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