平安の都で妖狐は笑う

ねこ沢ふたよ

四神

第1話 隠遁生活

 千年を超えて昔。

 平安と呼ばれる時代に、天才陰陽師と呼ばれる安倍晴明が生きていた。


 既に、並みの人間が生きる寿命は超えているのに、妖狐である母の葛葉狐の血を受けた晴明の姿は若い頃のまま。誰しもに怪しまれ恐れられた晴明は、自らが死んだという噂を流して、一人ひっそりと山の中に小さな庵に住んでいた。


 権力という物から離れて式神に身の回りの世話をさせ、一人静かに、書を読んで時を過ごし、晴明なりに隠遁生活を楽しんでいたのだが、最近、晴明の身の回りはどうも騒がしい。

 一匹の妖に目を付けられてから、静かに過ごせる時間は格段に減っている。何度打ちのめしてやっても、懲りずにまた次の日にはやってくる。

 頭が痛い限りだった。


 —灯りの油が切れそうになり、ともしびが頼りなく揺らめく夜遅く。


 晴明が書物を読みながら、うつらうつらとしていると、闇に潜む黒々とした影がある。

 影は、すうっと晴明の後ろから腕を伸ばす。

 何の音もなく、気配もなく、晴明の首に手が伸びる。


「おろかな」


 晴明は、伸びてきた手を握ると、そのまま壁に投げつける。


 投げつけられたのは、まだ若い妖狐、紫檀したん


 名を馳せた半妖の晴明が、この庵で世間から身を隠して隠遁生活を送っている噂を聞きつけて、毎日のように訪れては、晴明に打ちのめされている。


 バンと大きな音と共に壁にぶち当たり、紫檀はその場にうずくまる。


「痛いではないか。やり過ぎだ」

紫檀が文句を言えば、


「隙をつこうとするのが悪い」

と、涼しい顔で、晴明が言う。


 紫檀は、まだ尾の数も定まらず、大人にもなっていない若い妖狐。強い相手に腕が鳴るのであろう。何度打ちのめしても、その浄化の妖力で自らを直して、晴明に挑んでくる。

 この妖狐が毎日のように来るから、晴明の静かな生活は壊されてしまったのだ。

 晴明の何を気に入ったのか、何かにつけて懐いてくる。


 「美味そうなアケビが取れたから、一緒に喰おう」「天気が良いから散歩に行かないか?」「酒は一人で飲むより、二人が良いだろう! どれ一緒に飲んでも良いか?」様々な理由をつけて庵を訪れては、「遊ぼう!」と言って、勝負を挑む。


 晴明からすれば、迷惑極まりない話であるが、紫檀の陽気でどこか憎めない性格に、晴明も追い払いきれずに、つい相手をしてしまう。

 三回に一回でも相手をしてもらえば、紫檀は喜び、また懲りずに庵を訪れる。


「お前が来るようになって、今日で九十日ほどだ」

晴明がため息をつけば、


「応、そうであったか。晴明はなんでもよく覚えているな! 後十日も通えば、百夜通いになってしまうな」

と紫檀狐がカラカラと笑った。

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