第20話

 時効が目前にせまる富士見台一家殺人事件。強盗と怨恨の線から進められた当初の捜査は、外部からの侵入者があったかのようにみせかけた小細工によって、顔見知りによる犯行と断定された。容疑者は、被害者、坂井信行が借金を負っていた債権者たちに絞られたが、確証を得るには至っていない。

 15年を経た今、当時担当だった鴻巣の若い部下、土居刑事は大胆な仮説を打ち立てた。ハワイ旅行へいくと周囲に言いふらしていた坂井家だが、ハワイ旅行とは名ばかり、実は夜逃げを怪しまれないための煙幕だったのではないかというのである。

 朝早く管内で発生した殺人事件の現場へむかう車中、鴻巣は興奮した様子で土居に推理の続きを促した。

「坂井一家の夜逃げを勘付いた連中が家に踏み込んで、一家を殺害した。土居、お前はそう思っているのか?」

 すると土居は静かに首を横に振った。

「いいえ」

 サイレンの音にかき消されたかと、鴻巣はふたたび土居に、犯人は借金取りかと問いただしたが、今度もまた土居のこたえはノーだった。

「事件の起こる少し前、坂井信行は大きな生命保険に入りなおしています。受取人は妻の由紀子。ですが、一家全員が殺害されてしまったため、保険は法定相続人である兄、圭介が受け取り、その金で借金の一部を返済しています」

 坂井信行の借金は死後、兄の圭介によって返済された。弟・信行の経営していたスーパーは売り払われ、資産のすべては借金返済に、母親名義になっていた株やその他資産、圭介の住んでいたマンションも売りに出され、圭介は事件のあった家をのぞいてすべて身包み剥がされてしまった。外資系の会社で働いていた圭介にはかなりの貯蓄があったというが、それも借金返済にあてられ、事件後、圭介は退職し、今は細々と北海道でコンビニ店の店長をしている。

「他の返済が滞っている債務者へのみせしめのために坂井一家が殺されたというのは、犯人のトリックです。犯人は、強盗の仕業のようにみせかけた現場をつくることによって、捜査本部に顔見知りの犯行であると断定させた。窓ガラスを内側から割ったのは、わざとです」

「なんでそんなことを……」

「捜査の目を、自分から借金取りに向けさせるためです」

 借金取り以外の顔見知りで、一家を殺さなければならない動機をもった人間が他にいたのか。鴻巣はおぼろげな記憶をさぐったが、それらしき人物の名は浮かんでこなかった。

「鴻巣さん。坂井信行を殺す動機があったのは、坂井信行自身なんです」

 自分で自分を殺したいというのは、自殺願望のことか。借金に困っていたというから、自殺したいと考えるのも無理はない。そう考えて、鴻巣はふと、事件の前に信行が生命保険に入りなおしたという土居の話を思い出した。

「自分が死んで入る保険金を、借金返済のあてにしようとしていたっていうのか」

 土居はうなずいた。

「ただし、生命保険だけでは足りない額の借金だった。足りない金額をどう捻出するのか。坂井信行は考えた。母親名義の資産、母親にかけた生命保険、妻・息子の生命保険、会社資産、それから兄・圭介のマンションと貯蓄……。

 生命保険を手にするためには、自分は死ななければならない。だが死んでしまっては、金を手にすることができない。そうして考えたのが、自分の代わりに兄・圭介に死んでもらうということだったのではないでしょうか。兄を殺してしまえば、兄の財産も自由に扱える。一石二鳥だったのだとおもいます。

 遺体の頭部を切断したのは、圭介の身元を隠すためです。圭介の遺体だけ切断されているというのは捜査の目をひくだろうから、他の家族の遺体も切断し、猟奇的な犯行を際立たせた。そうして自分は兄・圭介のふりをして借金を返済し、新たな人生を歩む……」

 突拍子もない推理だが、鴻巣には腑に落ちるところもあった。

 事件後、兄である圭介が借金返済に奔走し、そのために会社を辞めざるを得なかった。圭介が信行であったとすれば、同僚たちに正体が露見する前、早いうちに退職してしまわなければならない。

外資系金融会社の営業マンを勤める圭介は、明るく人付き合いのいい人間だという評判だったが、圭介に取り調べに協力してもらった鴻巣は、周囲とは違う印象を圭介に抱いた。目を悪くしたといってかけた黒縁の眼鏡の奥の瞳はたえず辺りを警戒するように動き、落ち着きがなかった。ちょっとした物音にも怯えるようなところがあり、明るいという人柄とはまるで違う。当時の鴻巣は、事件の残忍性が圭介に心理的な影響を及ぼし、その人柄までも変えてしまったのかと思っていたのだが、まるで違う人間だったということなのか。

「家族はハワイに行くと信じていたかもしれませんが、ハワイ旅行は嘘でしょうね。近所に海外旅行に行くと言いふらしておけば、雨戸がずっと閉まっていても、車が駐車場になくてもあやしまれない。車は遺体の一部を運んで、その後どこかに捨てたんでしょう……」

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