第19話

 「おはようございます!」

 寝ても覚めても、土居の声が耳に入ってくる。いい加減、土居の声は聞き飽きたというのに、朝っぱらから土居は鴻巣にからんできた。

「夕べ、留守電にメッセージを残しておいたんですけど」

「ああ、聞いた」

「それで、鴻巣さんはどう思います?」

「どうって……」

 途中でビール片手に酔いつぶれ、鴻巣は土居の推理を最後までは聞いていなかった。聞いていたとしても、鴻巣の考えはどのみち同じで、現場に足を運ばないで頭の中だけで考えた推理なんてものはくえるかと言ってやりたかったが、鴻巣はぐっとこらえた。

「まあ、いいんじゃないか…」

 と、適当な返事をしたのがまずかった。相手は褒められたと勘違いし、ますます調子にのって自説を披露しはじめた。

「僕が思うにですね、やっぱり顔見知りの犯行じゃないかと。だからこそ、外から侵入したものがあったように見せかける小細工が必要だった。窓ガラスを内側から割ってしまうというヘマをしましたけどね。で、ちょっと調べたんですが―」

「何を調べたんだ?」

「いや、調書をみただけですけど」

「みたのか?」

「あ、すいません。いけなかったですか?」

「いや、別に。調書だからな」

 鴻巣の机の中にしまっておいたとはいえ、調書は私物ではなく公の文書だ。誰にでも閲覧の権利はあるのだが、人の机をさぐってまでというのが鴻巣の気にくわなかった。調書が見たければ一言声をかけてくれたらいいものを、勝手にみたという。だが、声をかけられたところではたして鴻巣は快く机の引き出しをあけただろうかと、鴻巣は疑問におもった。富士見台の事件は、鴻巣と高砂が、特に高砂が入れ込んでいた事件で、個人的思い入れが強くあり、他人である土居に口を挟んでほしくないという気持ちがあった。

「当時、被害者の坂井信行さんには多額の借金があり、返済は滞っていた。返済催促なのか、風体のよくない男たちが近所をうろついていたこともあったそうです」

 借金と男たちの目撃談については調書にあるとおりだ。

「まさか、借金取りが殺した、なんていうんじゃないだろうな」

 金のもつれから殺されたという考えは捜査本部に早くからあったが、推論を裏付ける証拠はあがっていない。

「借金が事件の引き金になっているとは考えられます」

「どういうことだ?」

「いいですか、当時、坂井信行さんは会社経営に行き詰って、多額の借金を抱えていた。にもかかわらず、年末からハワイへ家族旅行に行く予定だった。鴻巣さん、ハワイへの旅費、いくらぐらいかかるかわかります?」

 海外旅行などしたことのない鴻巣にはさっぱり見当がつかない。

「航空運賃、ホテル代、みやげ代、現地での食事、娯楽費、しかも大人は3人と、相当な金額になるはずです。借金している人間がそんな金、どこから出せたんですか?」

「うーん……」

 金はまた別のところから借りたにしても、借金のある身で年末にハワイ旅行とは、少し暢気なものだ。借金を返済するどころか大金を使って海外旅行に出かけようとする坂井を、債権者たちはどう思ったのか。

「僕、思うんですけど、ハワイ行きはなかったんじゃないでしょうか」

「旅行の準備はされていたぞ。玄関にスーツケースが用意されていた」

 玄関先をあがろうとしてスーツケースに足をぶつけた捜査官がいたのを、鴻巣はぼんやり思い出していた。

「ハワイではなく、夜逃げするつもりだったんじゃないでしょうか」

「夜逃げ?」

「周囲には、ハワイへ行くと言っておき、雨戸を閉めておく。旅行に出ているからだと近所の人間にはあやしまれないですむ。だが、坂井宅をうろついていた男たちは、坂井たちが逃げると勘付いた」

「それで、殺した?」

 ピー 留守電のタイムアップ、ではなく、捜査員の呼び出し音が鳴った。

「管内にて殺人事件発生。現場は―」

 続きはパトカー内で聞くことになりそうだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る