第16話

 その男、池田は、事あるごとに地獄を抜け出しては、獄卒に連れ戻され、以前よりもひどい刑罰を受けていた。捕まって引き戻されたらさらにひどい目にあうとわかっていながら、何度も脱獄を繰り返す池田は、もともとは詐欺の罪で地獄に落とされたのだった。

 脱獄の手立てを得ようと、私は池田に近づいた。池田は、獄卒に金さえ掴ませれば脱獄は簡単だと言った。だが、地獄に落ちた私には金などない。消沈していると、なぜ人間界へ行きたいのかと聞くので、自分を殺した犯人を自分と同じ目にあわせてやりたいからだと正直にこたえてやった。

 すると池田は「霊体に人間は殺せない」と、残念なことを言った。それではやはり奴が死んで地獄に落ちてくる日を待つしかないのかと落胆している私を気の毒におもったのか、池田は、人間界で霊の望みをかなえてくれる男がいると教えてくれた。人の目には見えない我々幽鬼が、その男には見えるのだという。男は幽鬼と話をすることができ、幽鬼たちに代わって、叶わぬ望みを成し遂げてくれるというのだ。あるいは復讐も実行してくれるかもしれない。

 その日から、私は池田と示し合わせ、脱獄の計画を練り上げた。人間界に行き、私を殺した男に復讐を遂げる ― 私の一念は復讐にのみ、凝り固まった。

 銀髪の男を探せ。

 池田からそう教えられた私は、脱獄するなり、人ごみのなかから銀髪の男を探した。

 池田は言った。「雑踏のなかでひとりだけお前の存在に気付く男がいる。それが目指す男だ」と。

 私はあてどもなく、人々のごったがえす街をめぐった。師走をむかえた街はせわしなく、行きかう人々は足早で、そわそわしている。かつては、肩がぶつかりあうほどの道を縫うように歩いていたというのに、今や人々は私の体をすり抜けていく。

 池袋、渋谷、新宿と渡り歩いて、私はようやくその男に出会った。

 男は横断歩道の信号待ちをしている女たちを狙って片端から声をかけていた。

 銀色に染めた髪を針山のように尖らせ、体の大きさにあっていない黒のコートを裾をひきずるようにして着ていた。男は笑顔をつくって女たちに声をかけていたが、横断歩道の反対側にいる私の遠目にもその目が笑っていないとわかるほどで、女たちは次々と男から離れていった。年は二十歳前後だろうか、頬骨の少し上にニキビの痕がうっすらと残っていた。

 私は、女とみれば声をかけているその若い男をじっと見ていた。本当に、彼が、私にかわって復讐を成し遂げてくれるだろう男なのか。

 私の疑念を感じ取ったかのように、ふと男が私のいる方向へと顔を向けた。それまで浮かべていた作り笑いは消えていて、まともに視線がかちあった。

 男は死んだ魚のような目をしていた。人の海でもはや泳ぐことのない人間の目、感情の死骸がヘドロのように溜まっているだけの目。地獄で多くの死霊をみてきたが、彼のような目をもつものはみたことがない。何も怖いものはもうないはずの私ですら、背中にうすら寒いものを感じてぞっとする、そんな冷たい目だった。

 信号が青に変わると、どっと人の波が繰り出す。男は横断歩道をわたって、まっすぐに私のもとへと近寄ってきた。私の姿が見えているのだ。やはり、男は池田が言っていた銀髪の男だったのだ。

 男はすれ違いざまに「ついてこい」と言った。

 連れて行かれた先は、けたたましい音の鳴り響くパチンコ店だった。師走の昼間だというのに客の姿が多く、店内はタバコの煙がたちこめていた。

 男は故障中の札がかかった台のとなりに腰掛けた。札がかかった台には、私と同じ幽鬼がすでに座っていたが、男は幽鬼を追い払い、私に座るように言った。

「で、あんたの心残りは?」

 店内放送と球のはきだされる音とでうるさいはずだというのに、男の声だけがはっきりと聞こえてくる。少しハスキーな、ざらついた声だ。

 私は自分の身に起こったこと、殺人犯に復讐したいといったことを衝かれたように語り続けた。その間中、男の目はパチンコ台に向いたままだった。

 私は殺人犯の名を告げた。

 すると男は、ポケットからケータイを取り出し、誰かとやりとりをし始めた。しばらく経ってから男は

「一週間で片をつける」

 と言った。

 

 明日はいよいよ、男が約束したその日だ。15年間、地獄で待ち続けた復讐のその時がやってくるのだ。私は息を潜めて1秒1秒の時を見守っている。


 池田は男にはそれなりの報酬を払えと言ったので、私は報酬について尋ねた。男は今は何もいらないとだけ言った。

「ただ、俺のボスがあんたを必要とする時がきたら、そんときには働いてもらう」

「どんなことをするのか……」

「それはそん時になってみないとわからない」

 男はぶっきらぼうだった。言いたくないというよりは、言うのが怖ろしいと怯えているようにも取れる。

 私は「それでいい」と手を打った。

「ボスの呼び出しがあるまで、せいぜいこの世で逃げ続けるんだな」

 男はそう言い、私たちは別れた。

 

 私は悪魔に魂を売ったのかもしれない。だが、肉体はすでに滅び、地獄の責め苦に魂と呼べるほどのものはずたずたに切り裂かれて欠片も残っていない。そんなものでも欲しければくれてやる。


 明日の朝になれば、奴は私同様、首を切断されて死ぬのだ。その場に私は居合わせる。奴が死んだ瞬間、奴は私の姿を目にするのだ! 復讐の鬼となった私の姿を!

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