第15話
この15年、私は、今日こそは奴が地獄に落ちてくる日かと思いながら一日一日を過ごしてきた。
地獄では、生きていた時に自分が犯した罪が自分の身にはねかえってくる。他人のものを盗んだなら、地獄では自分の大切にしているものが盗まれる。騙した人間は騙され、殺した人間は、殺される。地上世界と同じ風景に日常生活を営むとみせかけた地獄では、毎日のようにあらゆる犯罪行為が繰り返される。人々を守る法律はなく、あるのは「目には目を」の地獄の掟だけだった。
あるものは体を八つ裂きにされながらなおも苦痛を味わい、一度死んだ身とあって、バラバラになった手足を動かしながら苦悶の叫びをあげる。すると獄卒たちがやってきて、体をひとつにしたかとおもうと、再び手足をもがれ、股を裂かれて悶絶する。殺人鬼のなれの果てだった。
殺人犯や凶悪事件を引き起こした人間が地獄へ落ちるというのはわかる。だが、私は殺された被害者なのであって、地獄に落ちる道理がない。落ちるべきは、私を殺したあの男ではないのか。
地獄へ連れてこられた私は、そう言って閻魔王にくってかかった。私をむかえにきた死神は、地獄行きに納得できなければ閻魔王に訴え出ろと言ったのでそうしたのだ。
さんざん待たされたあげくにようやく面会かなった閻魔王は、金髪の美女だった。四方の壁から天井、足元にいたるまで真紅の執務室のソファーに、見事なプロポーションの女が体の線も露な姿で腰掛けている。私の不服をめんどくさそうに聞いていた閻魔王は、真っ赤な唇をペロリと舐めたかとおもうと、「不服申し立ての期限を過ぎているので受け付けられない」と言った。
その後は何を言っても無駄だった。獄卒に追いたてられ、私は地獄へ落とされた。人を殺したわけでもない、犯罪をおかしたわけでもないのに、なぜ地獄へ落とされるのか。私は生前の自分を振り返った。嘘をついたことがないとは言えない。だが、人を陥れるほどの嘘をついたことはなく、正直に生きてきたつもりだ。だが、私は知らなかったのだ。生きていた頃、私の軽率な言動がもとで人ひとりが自殺していたことを。今となっても、私はどの言葉とどの行動がその人物の自殺の引き金となったかを思い出せない。それほど、私にとっては何でもない言動だった。
その罰として、毎日来る日も来る日も、周囲の人間の言葉に文字通りに体を傷つけられ、全身から血を流しながらのあげくには獄卒に首を絞められて殺される。私を傷つける人間は毎日異なり、私は誰が私を傷つけるのかを知らない。首を絞めて殺されて1日を終えたあとにはすっかり殺されたことなど忘れて、また新たな地獄での1日を始める。傷つけられ、獄卒に首を絞められながら、ようやくと自分は地獄にいるのだとおもいだし、罪の重さに苦しみながら1日を終える。それが地獄での1日だった。
獄卒に首を絞められると、奴に首を絞められたときの感覚がよみがえる。内臓がよじれそうなほどに捻り上げられ、絶命したあと、奴は私の首を切り落としたのだ!
私は、自分の首が切り落とされるのを目の前で見ていた。皮膚が裂け、肉を断って、冷たい刃は骨にあたった。奴は何度も首の骨に鉈を振り下ろし、そのたびに石を削るような乾いた鈍い音がたった。何度、刃をあてがわれようと傷がつくばかりの首の骨は私の意地だった。私を殺した男への最後の抵抗だった。切られてたまるものか、私は自分の死体を足元にみながら、首筋に手をあて、しっかりと押さえていた。だが、男の根気強く打ち落とされる鉈の前に、やがて骨は砕け、頭部がごろりと床に転がった。ボーリングの球が転がったような音だな、自らの頭部を足元に、私はそんなことをおもったのだ。
私に並々ならぬ苦痛を与えた男を、私は赦さない。だが、その男も、死んだ後には地獄に落ち、私が味わったのと同じ苦しみを味わうのだ。それだけが、地獄で1日をおくる私の心の慰めだった。
いつかは……
そうして時ばかりが流れていった。男は一向に地獄へやってくる様子がない。
私はふと、人間世界で男がどうしているかが気になった。
男は、私を殺し、女、子どもまで手にかけ、年老いた母まで殺し、遺体を切断した。それだけのことをして、世間が放っておくはずがない。警察は男を捕まえたのか、司法は奴にどんな罰を与えたのか。
私は地獄をこっそり抜け出した。そして、知りたくないことを知ってしまった。男はのうのうと生きているばかりか、殺人犯として捕まっておらず、人間界での罰を受けていないのだ。
私は苦しみのあまり、自分の身を引き裂いてしまいそうになった。地獄で獄卒に首を絞められるよりも、男によって殺された時よりも、男が自由の身でいることを知った時の苦しみは、はるかに強く、霊となった私を粉々に打ち壊さんばかりだった。
だが、私は耐えた。たとえ人間界で罪を逃れたとしても、男には地獄が待っている。獄卒に地獄に連れ戻された私は、そう思い、男の堕獄を待ちわびていた。
しかし、事件から15年目をむかえようとする時、ふたたび私の胸は騒がしくなった。まさか、本当に15年逃げのびて、時効に守られて自由の身となってしまうのではないのか。男が早回ししたいほどの1日を、巻き戻したい私は、男が地獄へ落ちてくる日を待ってはいられなくなった。人間界に戻って、奴に復讐してやりたい。自分と同じ目に、いや、それ以上の苦痛を味あわせてやりたい。いつしか、私は復讐の鬼を自らの内に飼い始めていた。
そんな時、私はあの男に出会ったのだ。
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