第14話

 かつて凄惨な殺人事件があった家に被害者の霊は留まっていないと知り、不動産屋の嵐は上機嫌だった。そして謝礼代わりに、スメラギたちを寿司屋に招待しようと申し出た。

「寿司ってか、もっとガッツリ食えるもんがいい」

 スメラギはそう言い、刑事の鴻巣の顔をみるなり

「カツ丼が食いたいなあ」

 と言った。

 こうしてスメラギと美月、行きがかり上招待せざるを得なかった鴻巣とは、嵐と売主の坂井に連れられてコトブキ不動産の近所にある肉屋の2階へと連れられていった。

この肉屋では、売れ残ってしまった肉を無駄にしまいと、2階に食堂を持っていた。売れ残りとはいえ、そこは肉屋の肉、一切れでも余すまいという意気込みの主人は高級な部位の肉でもおしげなく料理に使うので、出てくるものはコロッケだのトンカツだの庶民的なものばかりだが、文句なしにうまい。

 注文したカツ丼がくるなり、スメラギはかじりつき、そのままどんぶりまでかじりそうな勢いで腹にかきこんでいた。

「もう15年、なんですねえ。死んだ子の年は数えるなっていうけど、今ごろ僕たちと同じ年なんだなあ」

 親子丼を片付けた美月は、日本茶で一息ついていた。

「誰がだよ」

 2杯目のカツ丼に取り掛かっているスメラギの口元には、スメラギの魔の口を逃れた米粒がはりついていた。「スギさん、飯つぶ」と美月に言われ、スメラギは口をぬぐった。

「坂井 徹だよ。ああ、スギさんが転校してくる前だから、知らないか。僕らと同じ学年だったんだ。クラスは違ったけど」

 スメラギと美月は同じ町で生まれ育ったが、両親の離婚で母親に連れられて町を出たスメラギが生まれた場所に戻ってきたのは、母親の事故死後、スメラギが12歳のときだった。ただでさえ転校生というよそ者を受け入れがたい子どもたちは、生まれついての白髪に無口でぶっきらぼうのスメラギをよくいじめたものだった。

「ほう、あんた、あの子と同級生だったか」

 鴻巣はおもわず身を乗り出していた。富士見台一家殺人事件の悲惨さは、幼い子どもが犠牲になったというところにある。坂井 徹はわずか9歳でその命を奪われてしまった。生きていれば24、5、父親を親父と呼び、酒をくみ交わしていたかもしれないのにとおもうと、鴻巣は目頭が熱くなるのを感じるとともに、あらためて犯人への憤りがこみあげてきた。

「ひどい事件だったから、学校でも話題になったんだ。夜になると教室に坂井 徹の霊が出るとか、サッカー少年だったから、夕方のグランドにサッカーボールを出しっぱなしにしておくといつの間にかゴールに入っているとか、そんな噂があったよ」

「出たぜ」

 味噌汁をすすりながら、スメラギはさらりと言ってのけた。

「出たって何がだ」

 鴻巣は息をのんでスメラギの次の言葉を待った。そのスメラギは日本茶を飲んで鷹揚に構えていた。

「その、サッカー少年ってやつ、グランドにいたぜ」

「いたって、スギさん、坂井と話したのかい?」

「おい、そいつと話したのか?」

 美月と鴻巣と同時だった。

「小学校のグランドだろ? そいつが出るって言われたの」

「ああ」

「最初にみたのは、卒業する少し前だ。いつも夕方のグランドにいて、サッカー部の連中の練習をみてたな。それから―」

「それから?」

 鴻巣は先をうながした。もしかしたら、坂井 徹は犯人について何かスメラギにしゃべってはいないだろうかと淡い期待を抱いていた。

「中学に入ったら、今度は中学のグランドでみかけるようになったな。やっぱ、サッカー部の練習をずっと見てたぜ」

「サッカーが好きだったからね」

「んで、話しかけたら、サッカーがやりたいって言うもんだから、放課後に付き合ってやってた」

「それでスギさん、よく夕方にグランドでボールを蹴っていたのか。僕はまた、サッカー好きなのにバスケ部に誘って悪かったかと思っていたんだ」

 生まれつきの白髪、霊視防止のために常にかけている紫水晶の丸メガネのせいで、スメラギは同じ年頃の子どもたちから浮いた存在だった。子どもたちはスメラギの白髪をからったが、黙っていじめられているスメラギではなく、殴り合いの喧嘩が絶えなかった。そのたびに大事な霊視防止のメガネを壊してしまい、修理するのは美月の父親だった。美月は父親からスメラギの霊能力を知らされた。自らも霊媒体質に生まれついた美月はスメラギという少年に興味をもった。

 白髪だけでも染めれば少しは目立たなくなっていじめられなくなるかもしれないのに、スメラギは頑として染めようとしない。霊媒体質に生まれ、水晶の数珠をはめていなければ霊にその体をのっとられてしまう美月は、護符の水晶を目立たないよう足首につけ、靴下で隠していた。“普通でない”と知られたら、たちまちいじめの対象にされると美月にはわかっていた。だからこそ、堂々と白髪頭をさらしているスメラギを不思議に思った。口にこそ出していわないが、自分に特異な部分があるとさらしているようなスメラギに、美月は人としての心の強さをみた。スメラギを知って欲しい、スメラギにも“普通”の中学生としての生活を味わってもらいたいと、美月は自分が所属していたバスケ部に誘ったのだった。

「その子、何か言ってなかったか? その、なんだ、犯人は誰だとか、そういう……」

「なーんも」

 掴みかけたとおもった犯人につながる糸がぷつりと切れた。だが、鴻巣はまだ諦めなかった。

「まだ、そのグランドにいるんじゃないのか! 今からでも……」

 殺人事件の被害者から犯人の目撃証言がとれるかもしれないとおもうと、いきおい鴻巣は身を乗り出さずにはいられなかった。何の手がかりもないままに時効をむかえようとしている事件の犯人を追い詰めるには、被害者の霊の助けを借りたい。目撃証言さえあれば、物的証拠なんてものは後からいくらでも細工ができる、そんな悪魔の囁きさえ耳に聞こえていた。

「とっくに成仏してるさ。俺が成仏させてやったからな」

 たちまち、鴻巣は塩をふった青菜のように萎びてしまった。

「なあ、おっさん。犯人が野放しになっていて悔しい気持ちはわかるが、死んだ人間ってのは、よほどのことがない限り、この世にはとどまっていないもんなんだ。大抵は死んですぐに死神にあの世に連れて行かれちまうしな。あの子は、サッカーがしたいって気持ちが強く残っていて、この世にとどまっていたけど」

「…ほんとに、犯人について何も言っていませんでしたか?」

 それまで押し黙っていた坂井が重々しい口を開いた。消え入りそうな、か細い声だった。

「すいません。事件のことを知っていたら、何か聞けたかもしれなかったけど、俺、なんも知らなかったから……」

「いや、いいんですよ……。サッカー好きだったから、思う存分サッカーをして、成仏してくれたっていうんなら、それでいいですよ……」

 坂井は黒縁の眼鏡をとって、あふれる涙をぬぐった。そしてそれきり、事件については触れようとしなかった。

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