第17話

 マンションの部屋に戻ると、留守電のランプが点滅していた。刑事の留守電に残されたメッセージなど、ろくなものではない。

 明かりもつけず、鴻巣は冷蔵庫からビールを取り出し、床に座り込んだ。フローリングの床は冷たく、ざらりとした感触がズボンを透過する。1日中、留守にしていた部屋には、体臭と同じ臭いが澱んでいたが、5分も部屋にいれば鼻がなじんでしまった。

 家に寝に帰るだけの部屋には、これといった生活道具がない。テレビにベッド、冷蔵庫に電子レンジがあれば、最低限生活していける。40近くの独身男の部屋はそんなものだ。誰がくるわけでなし、シャツや靴下、ネクタイは散らかし放題だ。

 築15年の中古ワンルームマンションだが、これでも妻がいたころは掃除が行き届いて、きれいなものだった。掃除をし、愛情こめた手料理を用意して妻が待っている部屋に、鴻巣は滅多に帰らなかった。払っても払っても、いつのまにやら降り積もっている塵のように、さびしさはいつしか妻の心に澱んでいき、とりはらうべき鴻巣は不在のまま、妻は離婚を申し出た。

 妻が出て行ってからも、鴻巣の生活は変わらなかった。結婚生活はわずか1年しか続かず、妻のいる部屋に帰れた日は数えるほどしかなかった。結婚前の生活に戻るとおもえばいい、そう言い聞かせて2年が過ぎてしまった。


いつもならテレビをつけて深夜の通販番組を流しっぱなしにして寝落ちてしまうのだが、今夜はなぜか頭がさえて眠れそうにない。

 幼い子どもまで犠牲になった富士見台一家殺人事件の現場を訪れ、鴻巣の脳裏には15年前の記憶とともに悔しい気持ちがよみがえってきた。

 高砂をはじめ、捜査本部の刑事たちは口にこそ出さなかったが、犯人逮捕をかたく胸に誓った。だが、15年たった今、犯人逮捕どころか、時効が目前に迫っている。

 ひさしぶりに再会した被害者家族、坂井圭介は生きながらの死人のようだった。犯人は、坂井信行一家だけではなく、兄・圭介まで殺したも同然だった。

この15年間、坂井圭介は1日1日と命を削られながらかろうじて生きてきたのだろう。同じ15年という時間を、犯人は何の罰を受けることなく過ごし、時効が過ぎれば晴れて自由の身だ。鴻巣は今日ほど時間を残酷だとおもったことはなかった。

 どうも今夜はテレビをつける気にならない。

鴻巣はふと留守電でも聞いてみようかという気になった。なぜだか、今夜は人の声が恋しい。

 留守電はすべて土居からのものだった。ケータイに電話し続けているが出ないので、こちらにうんぬんという前置きから始まって、延々と土居の一方的な話が続く。

 鴻巣が署を出て、事件現場となった富士見台の坂井宅にむかった後、土居は自分なりに犯人についての仮説をたてていた。メッセージには、土居の仮説が吹き込まれている。

「現場ひゃっぺん!」

 その場にいない土居にむかって、鴻巣は大声で言い放つ。

 メッセージはさらに続く。

「…で、僕が犯人で強盗の犯行に見せかけようとするなら、勝手口を開けて、さもそこから家の中に出入りしたようにしますね。勝手口なら裏手にあたるし、時間をかけてピッキングをするにはもってこいじゃないですか。で、問題は、じゃあ、なぜわざわざリビング側の窓から入ったような細工をしたか。これは― ピー」

「すいません、途中で切れちゃって。で、あ、続きなんですけど、犯人がなぜリビング側の窓から入ったとみせかける小細工をしたか。僕は、犯人は坂井家と親しい付き合いのあった人間なのではないかとおもってます。犯人は玄関から、客として坂井家に入った。そして一家を殺害した。まるで強盗にあった― ピー」

「続きです。玄関から入って一家を殺害。まるで外部の見知らぬものの犯行のようにおもわせるため、現場を荒らしたり、侵入経路は外からであると思わせるため、わざとリビングの窓を割った。そうして自分は窓から逃げる。でも、犯人はヘマをやったんです。急いでいたからか、窓を内側から割ってしまっ ― ピー」

 目の前のビル群の明かりがすっかり絶え、鴻巣はビール片手にいつの間にか眠りこけてしまっていた。

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