お前(俺)……消えるのか?
1
全ての名には意味がある。
しかし、その効用と由来を理解し、なおかつ自分の手足として扱える奴なんて滅多にいない。教室内の割合でいえば……まあ、一人いるかいないかだろう。
そしてその数少ない存在が――苦し気に這いつくばる僕を見下ろしていた。
その名の通り、あらゆる状況下において疑似的に河川の内部を再現するという、殺人にしか用途がなさそうな力を振るう、新入生のスーパーグラマラスギャルだ。
その表情は、哀れかつ冴えない先輩をいたぶる愉悦に染められて――
「……なに? 邪魔しないでくれる」
いた筈が、その声音は不機嫌なものへと変わっていた。
その原因はというと、
「せっかちそうだとは思ってたけど、こうも予想通りなんてね」
いつの間にか後ろに立っている、もう一人の後輩。
「ぶはっ!? はあ、はあぁ、ぜぇー、はあ……!!」
空気を求め、必死に喘ぐ僕。生きた心地がしないことこの上なかったが、側に来た星河が言い放ったのは、
『大丈夫ですか!? 心配したんですよ先輩!』
ではなく、
『もう、だから注意しなきゃ駄目って言ったでしょ、お兄ちゃん!!』
でもなかった。
「なーにノコノコ誘い出されてんのよ、あんた。おっぱいでかいギャルに呼び出されてワンチャンあるとでも思った訳? こんなちょろちょろ童貞が元・降魔だなんて、名前負けにも程があるっての」
降ってきたのはとんでもない死体蹴りだった。元々星河が早口気味であることも手伝って、とても効率的に男の心をへし折ってきた実績を持っている。まだ苦しいので、涙を流すゆとりもないけど。
「はぁ、はぁ…… 星河、どうしてこうなるってわかったんだ?」
「たまたまGPSをキャッチして、偶然あんたがここにいるって気付いたの。そこの子が鞄に何か入れたのは気付いてたし、帰った後画面眺めてたら……案の定ね」
「……アンタの方がよっぽどヤバイ奴じゃん」
ここは川内に激しく同意だった。え? ひょっとして僕、今までもGPSで監視されてたの? いつから? 本当にGPSだけだよね?
動揺する僕など放っておいて、後輩たちのバトルは続く。
「こいつをわざわざ教室で待ち構えてるなんて真似、時間の無駄過ぎてあたしには出来そうにないわ。そう思うでしょ? 名前乞食さん」
「無限ストーカーに言われたかないんだけど。でも、一つ聞いていい?」
「一つだけね」
「どうやって、そいつを抜けさせたの?」
川内の最大の疑問は当然そこにある。星河が姿を見せた途端、僕は解放された。
むろん、僕は答えがわかっている。こいつとの付き合いは、何だかんだ幼稚園の頃から続いてるからだ。
僕が遭遇した降魔の宿命に、幾度も星河は立ち会ってきている。
「溺れてたって、沢に上がっちゃえば関係ないでしょ」
「……ふーん。使い道のなさそうな名前だと思ってたけど、相性は良くないか」
そう、文字通り星河は僕を引き上げてくれたのだ…… 不可視の川底から。
救出専用というかなり癖のある力ではあるが、僕は幾度となくこの力に助けられてきた。川内からしてみれば鬱陶しいことこの上ないだろうな。正直言って、沢渡星河という名前は彼女に対する嫌がらせにしか聞こえなくなったに違いない。
乗っかる形で、僕も強がっておくとするか。
「悪いけど、名前の欠片なんて僕は持ってないぞ。ひとつ残らずあいつに流れてる。欲しかったらサレナの奴に頼めよ」
「チッ……」
舌打ちを漏らす川内。その仕草さえ様になっているとは、美少女と言うのは本当にチート極まりないな。見た目通り口が悪いことは理解できたので、これ以上悪態を吐いてもびくともしないぞ。こっちは小さい頃から耐性があるんだ。
まだ仕掛けて来るなら速攻で星河の背中に隠れようと身構える。恥も外聞もない僕を見て星河は軽蔑の表情を浮かべつつ、改めて川内に向き直り、
「……わかってんでしょ。今は小康状態を保った方がいい。新入生ってことにして一緒くたで管理されるのが嫌なのは理解できるけど、それだけ降魔の名は危険なのよ」
星河の口から出て来る不自然な単語。管理? 一体何のことだ……?
しかしそれ以上食って掛かることなく川内は、
「絶妙な位置取り。ハイエナみたいな奴ね、アンタ。……まあいいや。また明日ね」
低い声で悪態を吐くも、すぐに教室で友人に向けていた声音に戻る。去り際に「じゃーね、ちょろちょろ童貞君」と余計な罵倒をニヤケ面で残していく。
その後ろ姿を二人で見送った後、どちらからともなく言い出した。
「……行ったな」
「行ったわね」
「帰るか」
「そうね」
苦悶の中で発刊したせいか、反動でかなり体が冷えていた。それもあって、夕暮れの風がかなり応える。星河も長居するつもりは当然ないだろう。
しかしその帰り道、歩く中でどうしても気になることがあった。
「なあ星河、今年の新入生ってのはやっぱり……」
隣を歩く星河は、いまいち感情の読めないポーカーフェイスで答える。
「う……ん。ややこしい話だし、時間ある時に話す」
「そっか」
気が乗らないのか、昼休みに上級生の階までずかずかと踏み込んできた時の勢いは見られない。僕もそれ以上追及しなかった。
「じゃ、また明日。ちゃんと来なさいよ、センパイ」
星河はそっけなく言うと、僕に背を向けた。
後には、チャリを押すパッとしない二年生が一人。少しして、ニャァという行き場の定まらない猫の声が届く。
「……なあ。僕って、やっぱりちょろいと思う?」
また、ニャァという鳴き声が響く。
人気のないアフターグロウの住宅街で、もう少しだけ猫と向き合っていたい気分になった。
2
――よお、何でお前やつれてんの?
そんなにやつれているだろうか。次の日登校した僕は、またナイスバディギャルの襲撃を受けないかびくびくしていたこともあり、級友たちの目にはそう見えるらしい。
しかも不吉な予言もされたしな。
――予言? 占い師か何か?
僕の机に勝手に座る友人Eの疑問。ああ、僕ももしかしたら今週中に『見えない男』と化してしまうのかもしれない。やつれてる場合ではないんだよな。
――今も俺以外話しかける奴いねーし、消えても誰も気づかなかったりして? ハハハ!
他人事だと思えば、友の不幸とて酒の肴になるものだ。こうなればモブ野郎共の総力をもってして、SNSで一代ムーブメントを起こそうじゃないか。インフルエンサーともなれば、お前らが大好きな新入生の評価も一変するやもしれんぞ。
――勝手にやってくれ。迷惑系だけはやめてくれよ? 俺らにもとばっちりが来る。
やれやれだな。こうして行動しない者とする者の差が広がっていき、成功者と失敗者の明暗が分かれることになるとも知らずに。
そうこうして、典型的モブ会話を繰り広げていると、
「げ」
ふと目に入った教室の入り口。飾り窓から見える廊下の窓には、またしてもあの女が映っている。しかも、マスクの上にある目は明らかにこちらをロックオンしていた。
かくなる上は。
ビビり男たる僕はスルーを決め込むことにした。見えへん見えへん。目の前の友人Eと同じく、ね。
しかし、端末の画面に映る通知が畳みかけて来る。
『来ないと、真緒ちゃんのパンツ覗いてる動画流出させちゃおうかな♪』
僕はフリーズする。再生ボタンをタップする前から、逆上がり前の川内と僕が確認できる動画ファイルが送られてきた。震えるビビり男。
「ちょっとトイレってくる」
そう言って、僕は廊下へと出た。
偶然か作為的か、そこには一人の姿しかない。その目元が笑みを形作る。
「おは、サキトくん。サレナのスカートも覗いてみる?」
「断る」
川内に聞いたのか知らないが、目の前の後輩――降魔サレナも昨日のことを知っているようだ。しかし解せない。
「まさかお前、昨日の見てたのか?」
「ううん、見てないよ。でも見たいと思えば見れる」
わざわざ後ろ手を組み、屈みこんでまでする上目遣いは、まさに後輩としての特権かもしれない。
「そういうものでしょ♪ サレナ達の名前は」
顔は笑っているのに、声は笑わないなんて器用な真似をするんだな。
せめてもの抵抗として、仏頂面を作っておく。というか、
「……まさか僕、今一人で喋ってる奴に見えたり?」
急に心配になってくる。目の前のサレナはどう足搔いてもミスコン上位確定の逸材ではあるが、原理不明のステルス迷彩機能を搭載しているらしい。となると、パッとしない男子生徒とはいえ可視化されている僕の認識は如何に?
急に落ち着きがなくなり、教室からの視線が気になり始める僕。しかしサレナは首を可愛らしく傾げ、
「? このままだと遠からず一人になっちゃうだろうし。問題ないような」
薄ら寒くなるようなことを平然と言うサレナ。んー、と人差し指を顎に当て、考え込む。
「そだ、いいこと閃いたよ」
こいつと喋る度、死神の宣告を待つ亡者のような気分になっていることに気付いてしまう。
そんな僕の気持ちなどお構いなしに、今日も廊下にやってきた後輩は提案してきた。
「一限目の最中なら開いてるだろうし、あれやろ? 女子トイレでショート撮るやつ♪ どうせもう先生から当てられることもないだろうし、何ならさっき話してた友達もサキト君のこと忘れちゃってるかもだから、抜けても誰も気づかないって」
そう言って、『見えない女』は自分側に引き摺り込むかのように、指先で僕の袖をつまむのだった。
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